宝田幸雄はアンラッキー

双六トウジ

タカラダ・サチオのとある一日

 7月の、とある休日。

 とある貧乏くさそうな家で。


『カニ座の方の今日のラッキーナンバーはぁ! セブンでーす!』

「へぇ〜。なあ、兄ちゃーん。セブンだってよおー」


 テレビのニュース番組で、常に笑顔を浮かべた女性キャスターが読み上げる、朝の占い。そしてそれに反応するまんまるぽっちゃりの弟。

 俺は狭い家の洗面所から声を張り上げる。


「うるせぇー! 今身だしなみチェックしてんだから邪魔すんな!」

「でも兄ちゃん、せっかくだから7の付くもの持っていきなよー」


 俺は宝田幸雄。28のおっさんだ。弟と比べりゃほっそりしている。奴が言うには痩せすぎ、とのことだが。

 鏡を見ると、死んだ魚のような眼とクマ、寝癖だらけの黒髪と、髭剃りに負けた血だらけの肌が写っている。

 ケッ、この髭剃り置いてたコンビニまじでカスだな。禿げたジジイが店長だからか?


「ほらぁ、このレシート持ってきなよ。代金の合計が777フラグ。レアじゃん」

「あのなぁ。俺たち兄弟にとって大事なことは、未来のことよりも今生活できるか否かなんだよ。わかるか貞雄サダオ

「でも今日は違うでしょ、今日は」

「……そりゃ、そうだが」


 今日は俺の誕生日、7月22日。

 そして、彼女にプロポーズする日だ。

 付き合ってちょうど7年目。籍を入れるにはもういい頃だろう。

「ほらレシート持ってって!」

「はいはい」

 弟から手渡されたそれを、雑にスーツのスラックスのポッケに突っ込む。

 最後に玄関の鏡を見る。

 ……頭はともかくスーツはクリーニングしたてだから上等だな。よし。


 そして一歩外に出ると、犬の散歩途中の、コンビニのジジイとかち合った。

「おーう、不死身兄弟の細い方じゃねんかあ。よくまあこんな古臭ぇ家に住み続けれるもんじゃわあ」

「んだと禿げジジイ。あ、テメェんとこから買った髭剃りマジでカスだぞ。新しいの持って来いや」

「そりゃあお前さんのいつものアレだろお」

「アレェ?」


「アンラッキー」


 ***


「うっわ……雨降ってんじゃねぇか」

 待ち合わせ場所に向かう電車を降りた矢先、俺は肩をすくめた。

 外は土砂降りの雨だった。弟が隣にいれば、『天然のシャワーだ』と喜んだだろう。

 天気予報じゃ晴れのち曇りだったが、どうやら外れたらしい。

「くそっ、傘持ってきてないぞ」

 慌てて財布を開けて中身数えると、きっちり777フラグ。

 駅前のコンビニで売ってる傘の値段は、1500フラグ。

 はぁ~もう駄目だぁ〜……。

 俺はガックリして携帯電話を取り出す。

 彼女に電話して迎えに来てもらうのだ。

 ……いや、俺だってそんな情けないことしたくないよ? マジで。でもずぶ濡れのままプロポーズするわけにもいかないだろ。

『もしもし?』

 すぐに彼女が出た。さすがだぜ。

「もしもしぃ、悪いんだけどそのぉ……」

『あ、幸雄? ごめんね、今ちょっと忙しくて』

 プツリ。

 切れた。

 え? 嘘。頼みの綱が一瞬にして消え去ったんですけど?

「……」

 仕方なく、弟を呼び出す。

『嘘だろ兄ちゃん。大事な日なんだから金持ってけよ』

「るせーっ! 早く傘持ってこーい!!」


 そしてしばらく待つと、真っ黄色のTシャツにオーバーオールの(くそでけぇミニオンだなおい)弟がビッグなリュックサックと二本の傘と共に現れた。

「おう、ありがとよブラザー。そんじゃ兄ちゃんはプロポーズ行ってくるわ」

 そう言って彼女の待つアパートに向かおうとするが。

「僕もついてくよ、兄ちゃん」

「は?」

「だって兄ちゃんだけじゃ心配だもん」

「心配だぁ〜??? だーれに向かってンなこと言ってんだコラァ」

「あ、兄ちゃんそこで止まっちゃ駄目だよ」

「え」

 バシャアアァ。

 俺の横を車が通り、タイヤが水を跳ね上げた。

「あぁ!?」

「大丈夫かい、兄ちゃん」

 そしてお綺麗にしてたスーツがビッチャビチャになった!

「あ゛〜もうホントにホントに駄目だァ〜……」

 もう無理だと絶望した俺。しかし、まだ救いの手は残っていた。

「諦めるな、兄ちゃん! スーツの替え持ってきたから!」

「お、弟よ……!」

 このとき、俺には弟がぽっちゃりの天使に見えた。

「でもこの後もヘマしそうだから、彼女のアパートの近くで着替えよ。だからしばらくそのままね」

 間違えた、ぽっちゃりの悪魔だ。

 パンツ濡らしたまま歩けって?



 しかし弟の貞雄の言う事は正しかった。

 俺はこの後、マンホールに落ちたり。

「おわああああ!!」

「兄ちゃーん!!」

 赤信号に突っ込み車に轢かれ。

「おわああああ!!」

「交通安全守れ兄ちゃーん!!」

 工事中のビルの横を通れば鉄骨が落ちてきたり。

「おわああああ!! 弟よぉぉ!!」

「僕のことはいいから早く行けーッ!!」

「お前を置いて行けるかぁぁ!!」

 銀行に寄ったら強盗の人質になったり。

「俺に近寄るんじゃねぇ! さもなきゃコイツの頭が吹き飛ぶぞ!」

「助けてくれえええ!!! 弟よおおおおお!!!」

「兄ちゃあああん!!! 今助けるよおおお!!!」

「うるせぇなこの兄弟!」

「喰らえ、僕の百貫タックルッッッ!!!!」

「うグォ」

 極めつけは、ラーメン屋。

「兄ちゃん僕ラーメン食いたい」

「バカヤロッ、俺ァこれからプロポーズしに行くんだぞ。体をニンニク臭くしてどうする」

「でもお腹が凹んじゃった。鉄骨や強盗に当たったし」

 しょぼんとした顔でそう言われちゃ兄ちゃんは頷くしかない。

「……仕方ねぇな。俺も車に轢かれて血ぃ少ないし」


 ぽっちゃりの貞雄はもちろん、細い俺も案外食う。

 そういうわけでチャーシュー麺大盛りと餃子2皿を頼んで全快した。


 俺たちは生まれたときから不死身の兄弟。食べるだけで怪我は治る不思議な力を持っていた。

 しかしその代償としてか、俺はいつもアンラッキーなのだった。


「しっかし、なーにがラッキーセブンだよ」

「ん〜? あんおおああし?」

「食いながら喋るな。ほら、朝のニュースでやってたろ」

 ポッケからレシートを出して愚弟に見せる。

「なーにが、カニ座の本日のラッキーナンバーはセブンでーす、だ。アホか。ほれ、このスーツの汚れようはなんだ? 雨と下水と血でまみれてんじゃねえか」

「そりゃ兄ちゃんが普段からアンラッキーなだけでしょ。そのレシートが無かったらもっと酷い目にあってたかも」

「はぁー? んなことねぇよバーカ」

「でも、この間だって近所のおじさんからもらったカニに指をちょん切られたし」

「アレはァー、……あんジジイがくれたのがまだ生きてた奴だったのが悪い。ま、すぐ茹でて食ったから指は治っただろ。カニ座の俺に食われて良かったじゃねえか、あいつも」

「そういうもんかなぁ」

「そういうもんよ。ほれ餃子やるぞ」

「わあい」

 俺が分けた餃子を弟がもぐもぐ頬張るのを、箸を止めて見つめる。

「おうおう貞雄、不幸続きの兄貴は嫌か?」

「ううん、僕、兄ちゃんの弟で良かったよ。美味しいものいつも分けてもらえるもん」

「だろ〜〜〜〜」


 俺が不幸な代わりに弟にはとことん幸福を与えたいと、俺はいつも飯を多くコイツによそってきた。だからか、常にエビス顔の恰幅のいい男ができちまった。

 可愛いけど、おデブじゃモテないよ。痩せてくれ。そう何度も伝えた。けれど奴はこう返す。この贅肉は、いわば兄ちゃんの愛でできているのだと。なら俺は何も言えねぇ。

 弟よ。これからも兄ちゃんはお前に飯を分けてやるぞ。


「でもアレだよね、彼女さんはすごいよね」

「ん? 何が?」

「いっつもアンラッキーな兄ちゃんとよく付き合えるよね。陰気臭いのが趣味なのかね」

「……お前、チャーシュー寄越せ」

「兄ちゃん見て、店に備え付けの味唐辛子。兄ちゃんのラーメンにかけてあげる」

「バカ、やめろ」


 この後。

 腹が満腹になって昼寝をしだした弟を担ぎ、俺は倍以上の時間を掛けて彼女の家に向かった。


 ***


 そして彼女のアパート前。

 近くの公園のトイレで新しいスーツに着替え、ついでに花屋で花束を買った。

 準備はオーケー、後は扉をノックするだけ。

「よし、行くぞ弟よ」

「うん。頑張ってね、兄ちゃん」

 ……今更ながら、なんで横に弟がいるんだ?

 疑問に思いつつ、俺はコンコンと扉を叩いた。

 すると中からパタパタと足音が聞こえ、ガチャリと鍵の外れる音と共にドアが開く。

「幸雄! ……と、ええと、」

「弟の貞雄です」

「ああそうそう弟くん! さ、入って入って」

「はい!」

 弟よ、やっぱ帰ってくれ。俺は肘で隣の巨漢を突っついた。

 おっといけないいけない、プロポーズだプロポーズ!

七海ナナミ。俺、言いたいことが……」

 しかし彼女は、

「あ、ごめんなさい、ちょっと待ってね」

 そう言って一度部屋の中に引っ込んだ。

 俺たちが不思議そうな顔して待っていると、再び扉が開き、

 ――パーンッ!

 クラッカーの音が響いた。

「サプラ~イズ! ハッピーバースデー!」

「七海〜♡」

 彼女は俺の誕生日を覚えていたのだ!

 嬉しくなって、思わず彼女を抱き締めた。

「ふふふ、なにもう!」

「お、俺、どんなに不幸続きだって、七海と一緒なら幸せだ!」

「そんな恥ずかしいことよくまあ外で言えるわね! さあさあ今度こそ入って、ケーキ用意してあるから!」


 ***


 皿に分けられたケーキを俺が味わって食べている間、弟は道中あったことを彼女にわざわざ言いやがった。おかげで俺は恥ずかしくて死にそうになった。

 だが彼女が楽しそうなので良しとする。


「ねぇ、思ったんだけどさ。貴方達、双子なんでしょう?」

「おう、そうだよ。俺が7月22日に生まれた、カニ座の兄」

「僕が7月23日に生まれた、しし座の弟」

「逆なんじゃない?」

「「……逆?」」

「幸雄がしし座で、弟くんがカニ座」

「あーつまり、俺が弟で弟が兄で、ってこと?」

「面白い仮説じゃない?」

「……」

「……」

「……どっちが兄でどっちが弟か勝負しようぜ」

「望むところだよ兄ちゃん」

「「じゃんけんぽん!!」」

 俺はチョキ、奴はパー。

 結果は俺の勝ち。

「よっしゃあああ!!」

「おわあああああ!!」

「そんなんで決めていいの!?」

 七海はアホほど笑った。


 ***


 そうして俺たちは自分たちの家に帰ってきた。

 スーツを脱いで、ポッケの中にあった下らないレシートを弟のオーバーオールの胸ポッケにゴミとして入れて、風呂に入った。

 風呂から出たら、もう寝ることにした。

「ラーメンとケーキ食ったから、飯はいらんよな?」

「うん。でもアイス食べたい」

「……一個だけだぞ」

 弟が棒付きアイスを舐めている間に、兄である俺は布団を二つ敷く。

 そのとき、ふと、思い出した。

「あれ……結局プロポーズしてないじゃん俺」

 肝心なことを忘れていた。

 今日はそのためにパリッとしたスーツを着て、幾多の不幸を乗り越えて、彼女のもとへ行ったのに。

「お、弟よ。俺そういやプロポーズしてなかったや……」

「ああうん、知ってるよ」

 はあ? 

 俺は一瞬固まった。

「おい弟よ……。お前、今日一日なにしてたんだ」

「え? 今日一日、兄ちゃんの後をついて回ってたけど」

「そうじゃねえだろ!! 兄ちゃんがプロポーズしに行って、でそれを忘れて帰ってきてるのに、何で言わねぇんだ!!」

「なんか言うタイミング逃しちゃって。だって嫌でしょ、弟に促されてプロポーズさせられる兄って」

「……」

 そう言われちゃ返す言葉がない。

 俺は盛大な溜め息と共に、布団に入った。

「仕方ねぇ。また今度だな」

 そのとき、弟の嬉しそうな声がした。

「おおおっ! すげぇ、当たった!」

「ん? 何が当たったって?」

 布団から出て弟のとこへ行くと、何かを握り締めている。

 アイスの棒だ。

 そこには、『おおあたり』の文字があった。

「すごいよね! これをアイスの会社に送ったら懸賞の7万フラグ貰えるんだよ!」

「……」

 そういや、貞雄のオーバーオールのポッケには、例のレシートが入ってる。

「……あながち、間違いじゃねえのかもな。お前がカニ座ってのはよ」

「え?」

「だってほれ、今日のラッキーナンバーはセブンなんだろ?」



 布団に入りながら俺は呟く。

「もう七という数字は見たくない……」

「今7月だよ」

「畜生……!!」

「それに、兄ちゃんの彼女さんの名前は七海だし」

「確かに!」



 ***


 暗闇の中、どこかのアパートで囁く声が聞こえる。


「ええ、はい。彼らは怪我を負いながらも私のアパートにやってきました。一旦ラーメン屋に入ったそうです」


 七海。

 またの名を、超人監視機関ラッキーズウォッチャーのエージェント【セブン】。

 彼女の現在のターゲットは、宝田兄弟だ。


「……はい、分かりました。観察を続けます。ラッキーズウォッチャーの名のもとに」


 彼女に、幸雄に対する恋愛感情は、無い。

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