ぐちゃぐちゃはかすっただけ
「なぁ、圭輔の知り合いに小麦に詳しいのはいないのか。できたら、外国の小麦を扱ってる商人がいいな」
克哉の要望に神経質そうな顔が素知らぬ顔を作ろうとして苦い薬を飲んだような顔をした。杏でもわかるぐらいに嘘がつけないらしい。
「お前、本当に誤魔化すのが下手だな」
「無遠慮な口につける薬もないけどな」
明け透けな言葉に、減らず口が返される。
で、と答えを促され、圭輔はしかめっ面で口に一文字を引いた。
不思議そうに眺めていた克哉はああ、と呟き圭輔の肩に置いていた手で今度は背中を叩く。
「お前の許嫁の家がちょうどいいじゃないか。三浦のお嬢さんだったろ」
「……ない頭でよく思い出したな」
「そんな口をきくなよ。安い賃金で訳してること、相手にばらすぞ」
口喧嘩をぽかんと眺めていた杏は、克哉の言葉でやっと思い至った。遠慮する杏に臨時収入が入ったからと飴を差し出されたのは、つい先日のことだ。本屋に来たのは本を買うためかと思っていたが、小遣い稼ぎの翻訳を渡しにきたのだろう。克哉の生活を垣間見れて、心があたたかくなった。
圭輔にも感謝の気持ちを抱くのとは裏腹に話は嵐のように荒れていく。
「友人だから、金など言ったのは何処のどいつだ。そういう悪知恵ばかり働くのどうにかしろ」
「なんだよ、紹介してくれないのかよ。不仲なのか?」
「自分の話ばかりを進める奴がいるか!」
「圭輔の悩みを聞けばいいのか」
「若、店先ですよ」
文具屋の方から冷静な声が飛んできた。
あたりは耳が痛く感じるほど静かになる。押し黙る客達はあからさまではないが、圭輔と克哉に視線を送っていた。
そうだぞ、と真面目に頷く克哉に圭輔は項垂れる。
「お前のことだ。納得するまで帰らないんだろう」
返事の代わりに子供のような笑顔を見た圭輔はげんなりとした顔で奥へと案内した。
杏は迷ったが、克哉に手招きされたので、着いていく。一人で帰る自信もなく、店先で客の目に晒されるのも嫌だったからだ。
案内された部屋に腰を下ろすや否や、克哉は口を開く。
「紹介してくれよ」
「わざわざ俺が出なくても、
「言っていなかったか? 親父は俺が洋菓子を作ることを嫌うんだ」
「面倒事の片棒を担げと」
「友人の頼みを無下にするような奴じゃないだろう」
一点の曇りもなく告げた克哉に圭輔は鼻を鳴らして外方を向いた。端に縮こまるように座っていた杏は空気に角がなくなったと感じるのだから、相当わかりやすい性格だ。
大袈裟なため息がついた後、圭輔は顔を戻す。
「どこのだ」
「
口の中で繰り返す友人に克哉は無邪気な笑顔を向ける。
「許嫁とうまくいってるんだな」
「そうでもない。お前だってそうだろう」
半眼が豆鉄砲をくらったような鳩のような顔に向けられた。
あーと濁し、座りをなおした克哉の答えは苦笑混じりだ。
「そりゃあ、親が勝手に決めるからなぁ」
「紹介された許嫁もはた迷惑な話だな」
全くな、と克哉は頷くが、杏はそれどころではなかった。克哉に許嫁がいるだなんて聞いたことがない。まだ子供だからと大人達が口にしないようにしていたのだろうか。もしかすると、今までの使いの品は許嫁に出すものだったのだろうか。克哉はいつ結婚してしまうのだろう。
「この返事も一週間先でいいな」
「よろしく頼む」
杏の思考がぐちゃぐちゃのまま、話は終わってしまった。
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