アンラッキー7はかすっただけ

 桜餅を届けた杏は、勝手口を出て胸を撫で下ろした。足を踏み出そうとした時、扉が開けられる音と声が飛び込んでくる。


「アンは来たか」


 杏の足は止まってしまった。恐る恐る振り替えれば、誰もいない。確かに克哉の声だったはずだと周りを確認しても影も形もない。


「来ましたけど、ついさっき帰りましたよ。用事があるようならすぐに追い付けると思いますが」


 料理長の聞き取りづらい声に、中から漏れ聞こえているのだとわかる。

 見つかっては困ると杏は木の影に隠れた。すっぽりと影に収まり、早鐘を打つ心臓をなだめながら時間がすぎるのを待つ。勝手口が開いて、克哉が首をのばして見ているような気がした。

 早く過ぎてと願う時間はひどく長いものに感じる。


「いないか。ショートブレッドを食わせてやろうと思ったのに」


 勝手口を開け閉めする音と共に、声は中に引っ込んだ。

 腹の底から息を吐いた杏は残念がる心に目をつむり、いつ動こうかと頭を回し始める。物音がしては気付かれそうだ。帰る途中で誰かに出くわしたら。そうしたら克哉に見つかってしまうかも。

 一歩、踏み出す勇気がなかなか出てこない。変に絡まれるのは、もう御免だった。


「七か……二つで割るには数が悪いな」


 機嫌悪そうに言われても、杏は知るものかと振り切るように足を忍ばせた。


「土産なんて要りませんよ」


 続いた女の声に、動きが止まった。ちょうどアンの頭のてっぺんと同じ高さの窓がわずか空いている。

 気になる杏はだめだと思いながら、壁にすり寄った。


「喜ぶかと思ったんだが」

「……本条ほんじょう様も強情ですね」

「気遣い上手の間違いだろ」


 小さな声で笑いながら、そういうことにしておきましょうと彼女が返した。

 軽快な切り返しに杏は二人の親密さに目眩がした。


「じゃあ、七つ全部包もう」

「太っ腹ですねぇ。そんなに食べれやしませんよ」

「そりゃ――」


 続きが聞きたくない杏は脇目もふらずに駆け出した。屋敷を出て、茜色の道を幾分か進む。胸が痛くて、それは走るせいだと思いたい。

 飛び出してきた猫に驚き、足が止まった。何よりも先につい先程聞いた言葉が頭の中で繰り返される。

 彼女は克哉と軽快に話していた。きっと利発で頭の回転の速い。杏のように言葉を待たせるような人ではない。

 杏はひとつしかもらえないのに、彼女は七つももらおうとしている。気負いしなくてもいい間柄なのだ。学校も卒業していない、仕事もしていない杏は自分に誇れるものなんてなかった。

 それに、食べている間はずっと作り手のことを考えてしまうではないか。


「七つも」


 溢れだし、荒れ狂う想いを抑えることができない。風呂敷で包んだお重をぎゅっと抱え、目頭に力を入れる。

 あたたかい夕陽がゆらゆらとゆれていた。




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