ちびっこイリュー使い!

「どりゃぁぁぁあ!」

 雄叫びとともに空から雷が落ちた。

 雷の勢いで、蒼が読んでいた本のページが何枚もめくられる。

 うざったそうにジェイムの方を見るが、何を言っても無駄だと思い直し、元のページに戻して読み始める。

「あー! 思ったところに雷落ちないー!」

 ジェイムは力尽きるたようにばったりと倒れた。ジェイムを受け止めた芝生は、地平線のずっと向こうまで続いていて、わさわさと風に揺れる。

 美しい青空と芝生の間に、あちこちに動き回る活発な少年と、静かに本を読む少年がいた。


 三年の時が経ち、蒼たちは六歳になっていた。

 どこまでも穏やかな耕作地が、花々に囲まれた『加護の村』で、蒼たちはすくすくと育っている。

「ねぇ! このアクアナイトの絵本なんて書いてあるんだ⁉」

 鎧を着た騎士が描かれている絵本を、ジェイムは掲げる。

 『アクアナイト』とは数年前に国に現れた、水のイリューを使い、国を守る最強の騎士のことだ。

 ジェイムのような少年たちの、ヒーローみたいな存在である。

「この絵本だと目が青色っぽいけど、本当にそうなのか⁉」

「……」

 無視する蒼に対して、ジェイムは口をへの字に曲げる。

「なー聞こえてない? そんなに何読んでんの?」

「……人間がイリューを習得する原理の観察と推測」

 説明した途端に、ジェイムが物事に興味を無くすことを蒼は知っている。だがこの場合、説明の内容以前に、言葉が難しくてジェイムが理解できていないことを、蒼は知らない。人に伝えるための言葉選びが出来るようになるには、もう少し時間がかかりそうだ。


 蒼は六歳にして、大人さえ読むのが難解な本を既に好むような、本好きの少年に育った。

 ジェイムは六歳にして、空から雷を落とすほどのイリューツを既に持ち、アクアナイトに憧れ、その素質に溢れる少年に育った。

 普通の子供とは大きくかけ離れている二人だが、毎日の日課は日向ぼっこにお昼寝と、それから……

「なあ……今日はなんの『イタズラ』する?」

「……またやるの?」

 蒼は本を閉じる。口ぶりはそっけなく冷静を装うが、ジェイムと同じく口角は上がり、瞳は『イタズラ』を待ちきれずに爛々としていた。

「やるに決まってるだろー!」

「もう、うるさいなー…… 誰にやるの?」

「うーん…… コルクとキースだな。コルクの頭をパーってやりたい」

 ジェイムの言う『パー』とは、ジェイムの雷イリューで髪の毛に静電気を発生させて、髪をパーマにすることである。そしてコルクは四人の中で一番ストレートな髪質で、毛量も多いため『パー』の標的になりやすい。

「いつもそれだな……じゃあ、こういうのはドウ?」

「ドウイウノダ?」

 誰も周りにはいないのに、二人は作戦を聞かれないように、ひそひそお互いに耳打ちする。

「まず、キースのメガネを盗んで指紋をつけて」

「? 指でベタベタするってこと?」

「そう。それをコルクに持たせる。そしてその場にキースを呼んで、コルクがイタズラしていたって言って、コルクに濡れ衣を掛けて」

「あ! 分かったぞ! それでおしおきってことで頭をパーに……!」

「完璧でしょ」

「カンペキだ!」

 そうと決まれば二人は一目散に村に戻る。

 こうして悪ガキ達は今日も日課をこなす。






 イタズラを無事成功(?)させた二人は、村一番の大木の下に隠れていた。

 頭をパーマにされたコルクと、結局最初から二人のイタズラだと気づいていたキースに追いかけられながら、上手く撒いて秘密基地に駆け込んだ。しかしここはコルクとキースの秘密基地でもあるため、見つかるのはさほど時間がかからない。

「やったな! 今日も成功したぞ!」

「成功したのかな……キースにバレていたよ」

「コルクをパーできたから成功!」

 ジェイムは握りこぶしを蒼に向ける。気づいた蒼もこぶしをくっつける。

 二人は何をする時も一緒だ。


「……でも、ここすぐバレるよね。怒られちゃうかな?」

「何言ってんだよー。怒られるのが楽しみだからするんだろ?」

「……どういうこと?」

 蒼は、ジェイムの意味の意味が分からないという顔をする。

「だってオレたちはおとうとおかあがいないだろ? 蒼はなんだか最初からいないからキースの家で暮らしてるし。オレはおかあは死んでて、おとうは全然会いに来ないから。だから他のやつより目立たないと!」

 ジェイムは満面の笑みで、自信満々に言う。

 蒼はジェイムの言うイタズラする意味がまだ分からなく、テキトーにうなずいた。こうしてジェイムが幼なじみ達の中で『たまにいいこと言うやつ』認定されるまで時間がかかった。

「しかも今日はかおるさんが来る! 蒼だって怒ってる姉ちゃんみたいだろー?」

「……それは、見たいかも?」

「だろだろー? 香さんは……なんだっけ? キシの偉い人? だからいっつも村にいないし。やっと久々に会える!」

「隠密騎士。国の重要機密について扱う騎士」

「それだー!」

 ジェイムはうなずくが、隠密も騎士も言葉の意味が分かっていなかった。


「でもさ、早く蒼もイリュー使えるようになればいいよな」

 ジェイムは無意識に口を滑らせる。

 蒼のこめかみがピクリと動き、あからさまに口をへの字に曲げる。

「だってさ、蒼の姉ちゃんは香さんだし。香さんはアクアナイトと同じ水のイリュー使えるすげぇ人だし。だから蒼も水かもしれないだろ? いいなー」

 個人差がありが、イリューは四、五歳から使えるようになり、六歳には大半が使えるようになる。

 蒼は六歳になったがイリューを使えずにいた。

 そのことを気にしている様子に気づかず、ジェイムは言葉を続ける。

「蒼がイリュー使えたら、イタズラもいろんな種類ができるだろー!」

 蒼の怒りパラメーターは、ジェイムと一緒に過ごすうちに日々強化されている。だが、ここ最近の一番の悩みに関しては、対抗する術を知らない。

 そしてジェイムは、いつでも余計な一言を言ってしまう男の子である。

 言葉に悪意がなくとも、時に相手を傷つけてしまうことを、ジェイムは知らない。

「早くイリュー使えるといいな!」


 蒼はふらりと立ち上がる。

「……なら言うけど。どうせ怒るのはマリーちゃんかキースママだし。姉さんは横で見ているだけだろうし」

「……え?」

「怒られている間にどんどん姉さんと話す時間がなくなってくから、それならイタズラしない方が良かったし」

「え⁉ そうなのか⁉」

「それに……姉さんが怒るとしたら、ジェイムにじゃなくて僕にだし‼」

「ええー⁉ なんだってー⁉」






「……ジェイム君と喧嘩したの?」

 蒼は姉の膝の上に座っている。二人は丘の上で星空を見上げていた。

 結局ジェイムは、姉のマリアンヌに連れて行かれた。いつもなら蒼はキースの母親に説教されるところだったが、今夜は久しぶりの姉弟の再会だからと説教は免れた。

 姉に怒られるかと思っていたが、イタズラに関しては『ダメだよ』の一言だけだで、それよりもジェイムと気まずそうにしているのを心配していた。

「……」

 香が話しかけても、蒼は何も言わずに俯いている。何も言わないのではなく、言いたいことがたくさんあるのに、会えて嬉しい気持ちが先行して、言葉が見つからないのである。

「……」

 口下手な香も一緒に言葉を出さなくなった。

 二人の間に静かな時間が流れる。二人が会えば、いつもこんな風に時間を共に過ごしていた。


 香が手のひらを広げるのを蒼が眺める。

 手のひらから水が生み出され、その水は馬の形になって二人の周りを歩きだす。他にも猫や星の形の水を香は創り出していく。

 いつもなら目を輝かせる蒼だが、今日はそれが逆効果であった。蒼はイリューを見ないように振り返り、姉の胸に顔を埋める。

「今日は、イヤ!」

 思っていた以上に大きな声が出て、香も本人も驚いていた。

 本当は姉のイリューが好きである。しかし、周り子がイリューを使えているのに自分だけ使えないことに、疎外感を持ち始めてから、姉のイリューを見ていられなくなった。

 姉のイリューだけではない。

 ジェイムなどの幼馴染たちのイリューも、イリューを使ってみせて家族に褒められている光景も、見ていられなかった。

 そういう時に限って強く感じるのだ。

 何故自分には家族がいないのかと。

 何故自分は本当の家族とは一緒にいられず、他人の家族の中に置いてけぼりにされているのか。


 姉がそっと蒼の背をなでる。

 蒼の描いた想像の中では、今日はイリューを初めて姉に見せていた。蒼がイリューを使い、姉に褒めてもらい、もっと上達出来るように教えてもらう。

 そうやっていっぱいお話をするはずだった。だが全然話せていない。今も声を出そうとしても、目に涙が溜まり鼻の奥が痛い。

 こうしている間に一緒にいられる時間が減っていくと思うと、蒼はとうとう泣き出してしまった。

「……どうして……どうして、いっしょにぃ……一緒にいてくれないの!」

 蒼は声を張り上げて泣く。

「なんで帰ってきてくれないの! お仕事がそんなに大事なの! 姉さんが隠密騎士って本当なの? なんで一回も……一回も何しているか教えてくれないの‼」

 もっと話したいだけなのに、一緒にいたいだけなのに。

 出てきた言葉は姉を責める言葉ばかりだった。それが悲しくて、余計に蒼は涙があふれる。

「……ごめんね」

 今にも消えそうな声。

 どれだけ泣いても、どれだけ一緒にいたいと願っても、貰えるのはいつもの言葉だけだった。






 星座が西へと少し移動した後。

 蒼は泣き疲れて眠ってしまった。

「……」

 香は弟を抱きしめる。共鳴するように水の膜が二人を覆うように形成される。

 しかし、イリューを完成させようとしたところで、蒼の体が光りだした。

 よく見れば蒼の体に纏わりつく粉が光っていて、それは『加護の村』で暮らすうちに付着した花粉である。

「ごめん……逃げられそうにないや」

 香は途中でイリューを止める。すると、花粉の光も消えた。

「……ごめんね、何も言えなくて……」

 赤く腫れてしまった弟の頬を、優しく触れる。

「蒼にだけは……蒼にだけは、嘘をつきたくないんだ……」

 香は弟を抱きしめる手に、力を込めた。






「あおいくん、いますかー!」

 蒼が住むキースの家の玄関前で、朝からジェイムの元気な声が響く。

 ジェイムは昨日の喧嘩を特に気にしていなかった。一方的に蒼がジェイムを嫌っただけで、喧嘩したつもりさえなかった。

 むしろ今は慣れない君付けにムズムズしていた。家を訪ねる時は『蒼君』と呼ぶように姉と約束したから仕方ない。

「……朝から元気だな」

「あ! ソフィルおじさん!」

 振り返れば庭先からキースの叔父、ソフィルがやってきた。ソフィルは昨夜、香と共に村に帰ってきていた。

「えーと、ソフィルおじさんは、たしか、オウサマを守るキシ!」

「そんなことももう分かるのか」

「キシってなんだ?」

 国王近衛隊の寡黙な一番騎士とされるソフィルも、ジェイムの発言にクスクスと笑ってしまう。

 この『騎士』とは、国に忠誠を誓う代わりに、快適な生活を約束されたイリュー使いのことである。給料や土地でなく生活であるのは、イリュー使いは自由奔放な者が多く、そのようなものでは、彼らに『忠誠を誓わせる』ことはできないからである。そして王が約束するのは、本人の生活とは限らない。

 ソフィルは騎士の説明を一応し、ジェイムは軽く頷くが、内容が頭に入ってないことは、説明中の落ち着きのなさから見ても明らかだった。


「それよりさ! アクアナイトの顔見れたー?」

「あー……残念ながら見られなかったよ」

 ジェイムは声を上げて落ち込む。

 アクアナイトは全身を甲冑で身を包んでいて、顔が一切見えないヘルムを被っているため、子どもたちはヘルムの下の素顔が気になって仕方ないのだ。

 分からないからこそ、身近なあの人かもと夢を膨らませるのである。


「ジェイム君いらっしゃい~朝ごはん食べた?」

 ジェイムがキャッキャと話を聞いているところに、キースの母親が玄関を開けて声を掛けた。

「今日はコルクママからもらった!」

 二歳差の姉と実質二人暮らしのジェイムは、いつも近所の人たちから食事を分けてもらっていた。

 そして案内されるより速く、開かれた玄関に入っていった。

「ふふ、今日は香ちゃんがいるから元気百倍ね」

「……蒼君はどうだ」

「毎日元気にすくすく育っているわよ。お兄ちゃんはなんも心配いらないわ」

「そうか……香の弟を頼んだぞ。あの子は王にとってなにより重要だからな。なにせ、わざわざこの村を囲むほどの、花を創りだしているんだからな……どういう意味か、お前なら分かるだろ」

「……少なくとも蒼君に関しては、我が子のように思っているわ。任せて頂戴」






「香さんだー!!!」

 ジェイムは香を見つけた瞬間、一目散にひっついた。

「おい! 離れろ!」

 それを見た蒼は、ジェイムを姉から引き離そうとする。無意識に「姉さんは僕だけのもの」と独占したい気持ちが強いため、自分以外が姉に抱き着くのを許せないでいる。

 だがどれだけ引っ張っても、ジェイムは離れない。

「香さん! 香さん! 会いたかった! ねえ何してたの! アクアナイトと会えた⁉ そうだ! イリュー見せてよ! オレにイリュー教えて! あのね! 空から雷落ちてくるの! オレもアクアナイトになれる⁉」

 ジェイムの言葉は止まらない。まさにマシンガントーク、怒涛の勢いである。

「いいかげんはーなーれーろー‼」

「あ! そうだ! 蒼!」

 言いたいことを言い終えたのか、ただ思い出したのか。ジェイムは香から離れて、次は蒼の手をひっぱって少し離れたところに連れていく。

「あのな、昨日はごめんな」

――よし、姉ちゃんとの約束終わり!

 姉から説教された時に約束したごめんねの一言を言い終え、満足そうなジェイム。自分の言葉を誤る必要があるとは、全く思っていないようだった。むしろ、蒼が願っていることを言っただけと思っている。だが、大好きな姉との約束は守る子がジェイムである。


「蒼あおい!」

 ジェイムは耳打ちするポーズをとる。

 明らかにごめんと思っていなさそうなジェイムに納得行かない蒼だが、ふて腐れながらも耳を貸す。

 どれだけ喧嘩をしてもしなくても、二人はいつも一緒にいる。

「それでな、今日はトックンしようぜ」

「……特訓?」

「オレがイリューを教えてやるよ! それで使えるようになったところを香さんに見てもらうんだ!」

 日頃誰にも見られないように村はずれの林でイリューの練習をしている蒼を、ジェイムはこっそり知っていた。出来るようになって皆を驚かせたいのかなと思って、何も言わずにいたが、姉に説教されている間に蒼の言葉を考えていた。

 四六時中に蒼のイリューを期待していると言っているのに、昨日だけは怒り出してしまったのは何故か。

 いつもなら歴史物語みたいなのを読んでいる蒼が、昨日はイリューの本みたいなのを読んでいたのはどうしてか。

――そんなのは決まってる! 本当は今日という姉ちゃんに会える日にイリューを使いたいからだ! ならコソコソ練習してちゃあ間に合わない!

「あ! 忘れてた! 香さんいつまでいるの⁉」

 話の途中でジェイムは大声を出すので、蒼は耳の穴をふさぐポーズをし、顔をしかめる。

「今日の夜ごはんまでいるよ」

「よし! じゃあ少ししたら木の下に来て! これから蒼と秘密の特訓をするからついて来ちゃだめだよ!」

 ジェイムは香と勝手に約束をする。

「はぁ? 今から? 僕姉さんといたい……」

「よっしゃいくぜー!」

 ジェイムは蒼を引っ張って全力疾走。あっという間に二人は見えなくなった。

 香は今に泣きそうな弟が手を伸ばしていたので、代わりに手を振った。

「仲良さそうでよかった……でも、木ってどの木だろう」






「ガってなって、グワってなって、どりゃぁーだ!」

「……そんな気がしてた」

「だろだろー」

「そういう意味じゃない」

「?」

 二人は村一番の大木の下にやってきた。

 イリューを教えると言ったジェイムだが、蒼が予想した通りだった。

 ただ目の前でイリューをしてみせるだけや、擬音しかない説明を聞かされるだけである。さらに困ったことに、この小さな『先生』は、イリューを完璧に教えられていると思っているようだ。

「とにかくやってみろよ!」

「……何度も試したよ。本に書いてあることも全部やった」

「本になんか書いてないよ!」

 文字を満足に読めてないくせにと思いながら、蒼はイリューをやってみようとする。

 イリュー使いがよくやっているように、右手を前に出して力を込めてみる。

 特に何も感じることなく、何も起こらない。

「……できない」

「蒼は気合が足りないんだよ!」

「……イリューに気合なんて必要なの?」

「いるに決まってるだろ! イリューはイメージだ!」

「……どういうこと」

 エビデンスは感覚だけ、ジェイムの感覚論が始まった。

 いつもなら聞き流すだけだが、イリューに愛されたジェイムが話すのだから、少しは役に立つかもしれないと蒼は期待する。


「だから、イリューはイメージなんだよ! とにかくイメージしながらやってみろよ!」

「……何をイメージするの」

「なんでもいい! イリューを使える自分でもいいし、今日の夕飯でも! 知りたいことでもなりたい自分でも! 願いでもいいんだ!」

 ジェイムは腕を振り回し、くるくる回ったりして全身で表現する。

「そんでいっぱいのイメージを全身で感じるんだ! そうすると熱みたいな、力みたいのがぶわって! なんか出てくるんだよ! ワキデル? っていうのか? それが! えーと、なんだっけ。イリューの力」

「イリューツのこと?」

「そう! ゲンリキだ! んでそれを体の外にぶわーって出すと、雷が出るんだよ! これがイリュー!」

「……」

 理解不可能だ。だが、ジェイムの言う通りな気もする。

 この世界にイリューが生まれた神話や、逸話はいくつでもあるが、世界の真実は神のみぞ知る。

 だから、もしかしたらジェイムが言うような、簡単なことなのかもしれない。

 科学で証明できない摩訶不思議な現象であるイリューは、誰かの空想や、幻想の力で成り立っているのかもしれない。


「……やってみる」

「……! おう!」

 先ほどとは雰囲気の違う蒼を見て、ジェイムは手ごたえを感じる。そして邪魔しないように少し遠くに移動する。


 蒼は目を閉じ集中する。自分が何を考えているかを。

 本を読み知識欲を満たしたい蒼には、知りたいことが多くある。

 イリューのこと。様々な国の歴史。そこで生きた人々の想い。

 星空。

 災害。

 この世界の起源。

 アクアナイトの正体。

 そして一番知りたいのは、ラピスラズリの瞳の香のこと。


 蒼は両手を前に広げる。

 知りたいこと全てが血を通って、全身に巡る想像をする。

『香に会いたい』

 どこかから声が聞こえた。すると全身が熱くなり、何かがうごめくように感じた。

 その感触を手探りするように、五感全てを使って手繰り寄せる。

 だんだんと熱は上がり、暴れだしたいようなもどかしさが頂点まで達した時、蒼は目を開けた。


「すげー‼ 水だー‼」

 蒼の前で水が揺らめいていた。

 本人よりもジェイムが、創り出された水に食い入るように見ている。

「……できた」

「ああ! 蒼がイリューを成功させたぁ!」

 ジェイムが万歳をしながらはしゃぐ。

 蒼の『知りたい』というこれまでにない強い幻想が、蒼の中で眠るイリューツを呼び覚ましたのだ。そしてイリューツは蒼の幻想に応えるべく、イリューという現象として、蒼の体外へ放出された。

 蒼はどっと疲れが出たが、疲れを吹き飛ばすくらい満足そうに笑った。

 口角を上げ、眼を細めて笑う蒼は珍しく、ジェイムが余計に嬉しそうにする。

「イリュー使い・蒼のたんじょうだー‼」


 一通りはしゃいだ後、ジェイムはとあることに気づく。

「蒼の水、香さんの水とちょっと違うな。なんか、冷たい?」

「え、そう?」

 蒼はもう一度、自身の創り出した水を見てみる。今も両手の間で宙に浮く、水の冷たさを感じようとした。

 すると、水が凍り始めた。

「すげー‼ 氷だー‼ 蒼はもしかして氷のイリュー使いなのか⁉」

 水と氷の混じったイリューを、二人は不思議そうに見つめる。

 そして蒼が何もしなくても、イリューが大きくなっていることに、はっとする。

 水が生まれれば氷が増え、その氷の分だけ水が流れ出す。

 どんどん水と氷が増え続け、止まることなく暴れだす。


「ジェイム! これどうやって止めるの!」

「はぁ⁉ わかんねえのか? って、うわぁ!」

 自分に氷が勢いよく当たりそうになって、ジェイムは後ろに跳ねる。

「っ! ジェイム! 離れないで!」

 次の瞬間、蒼のイリューが爆発する。

 蒼は突然膝から崩れ落ちた。しかし主の意識に関係なく、氷と水は生きているかのように動き続ける。

 大量の水と氷が創り出され、村一番の大木の背を越すほどに高くなる。

 水と氷は次第に回りだし、渦を作り始める。

 渦の威力はどんどん増していき、木をなぎ倒すほど強くなっていく。


「っ! 蒼!」

 台風の目のように勢いが弱い渦の中心で気を失った蒼に、ジェイムは手を伸ばす。

 自分に向かってくる木の破片を雷で投げ飛ばし、自身は何度も放電しながら渦に逆らおうとする。

 それでも中心へ向かうほど渦の威力が増していき、上手く進めない。

「蒼!」

 氷と水の包囲網。その中心は、どんな生き物でも長居すれば凍てつく冷たさだった。

 蒼の体が凍っていくのが見える。ジェイムは雷の熱で何とか冷気を防いでいるが、それが出来ない蒼は、水と氷によって全身の熱が奪われていく。


「っ! 雷みたいに! 雷みたいに動けオレぇぇえ!」

 ジェイムは必死に手を伸ばす。

 刹那、全身の筋肉に電流が流れ、世界が移動する。

 

 移動したのは世界ではなくジェイムだった。ジェイムは蒼の手をしっかり掴む。

 ジェイムの瞳の赤色が濃くなる。

 蒼の体についた氷が溶け始め、顔に色が戻っていき、安心した途端ジェイムは全身から力が抜ける。


 だが、冷たい渦は止まることはない。

 渦の中心がずれ始め、二人はまたも渦の回転に飲まれていく。

 薄らと開いたジェイムの瞳に、巨大な木の根が映し出された。

 動ける力はもう無い。ぶつかると思い、ジェイムは目をぎゅっと閉じる。


 想像した衝撃が無く目を開けると、木も氷も水も、全てが小さな水滴になって止まっていた。

 まるで、時が止まったかのように静かになった。

 そして無数の水滴は消えた。

「蒼!」

 ジェイムが顔を動かし、香の声がする方を見てみると、蒼を抱きしめる香がいた。

 渦は消え、ジェイムは地面に倒れていた。

 水と氷の竜巻が村近くで発生したという騒ぎを聞き、一目散に香が駆けつけたのだ。そして水イリューを使い、二人を助け出した。

「蒼! 蒼!」

 香が蒼を呼ぶ声がだんだん遠くなっていった後、ジェイムは気を失った。






「蒼……蒼、お願い目を覚まして」

 蒼の顔に、香の涙が落ちる。

「蒼、ごめん、蒼……蒼、死ぬな……」

 香は力強く抱きしめる。

 周りの水蒸気が香の気持ちに共鳴して、だんだんと大きくなり、しずくになっていく。

 香のイリューツの量は膨大で、それこそ気候を変えてしまうほどである。

「蒼が死んでしまったら……私は、なんのために……何のために、故郷でもない国を守っていたというの……蒼がいてくれたから、『あの日』にまだ生きたいと思えたのに……」


 全身に打ち付ける雨に、蒼は目を覚ます。

「蒼!」

 ぼんやり空いた目で、ラピスラズリの涙を見る。

 綺麗だなと思って手を伸ばす。

「……姉さん」

「蒼、良かった……本当に、よかった……」

 手を伸ばすが、力がうまく出なくて腕が落ちそうになったところを、姉がしっかりと掴む。

 姉の手は優しく、暖かい。

「姉さん……僕、イリュー使えたよ。見てた……?」

「見たよ。ちゃんと見ていたよ」

「よかった……」

 蒼は今にも気を失うほど疲れているのに、嬉しそうに笑う。

「……僕、姉さんと同じ。水。使えたよ……しかも、凍るんだよ」

「……うん」

 必死に言葉を紡ぐ弟に、香はさらに泣く。

「僕……姉さんみたいに、強く、なれるかな」

 香は蒼を抱きしめる。大好きな姉に抱きしめられ、蒼は安心した顔で顔を埋める。

「なれる、なれるよ……私なんかよりずっと、多くの人を……世界を救えられるくらい強くなれるよ」






「え? 水使えなくなったのか?」

 ジェイムは見るからに残念そうな顔をする。そして全く表情を隠そうともしない。

 蒼とジェイムはいつも通り日向ぼっこをしている。一つ違うとすれば、村一番の大木が無くなり、見上げれば、ただ真っ青な空だけがどこまでも続くようになったことだろうか。

「そう。僕のイリューは氷だけみたい」

「えー蒼は絶対水だと思ってたのにぃ」

 ジェイムはひたすらに駄々をこねる。『アクアナイトと同じ水ならー』『アクアナイトみたいにー』などと、延々と喋る。ジェイムは、アクアナイトになった自分を蒼に重ねていたのだ。

 ジェイムにこれほど羨ましがられていたことを、初めて知った蒼はだんだん自分のことが誇らしくなってきていた。

 結局使えるイリューは氷だが、今までのジェイムへの引け目は一切なくなった。

 ジェイムはずっと対等な相棒として一緒にいた。それに気づけず自分のことばかりを気にしていた蒼だったが、イリューを使えるようになってようやく、勝手に自分が壁を作っていたことに気が付いた。


「じゃあなんで、あの時水が出てたんだ?」

「なんか僕の中に、姉さんのイリューツが混ざっていたんだって」

 蒼の様子を見て、香は蒼に自分のイリューツが残っていたことに気が付いた。

 自分以外のイリューツが存在し、上手く外に出すことができなかったため、蒼は今までイリューを使えることが出来なかった。

 しかし蒼の中のイリューツの増加によって、香の残り香は耐えることが出来なくなり、体外へ全て放出されたのである。

「あれか! 香さんのやつで蓋されてたけど、突き破るくらいいっぱいになって、突き破ったら蒼のやつものいっぱい流れちゃって、止まらなくなったってことか!」

 相変わらずジェイムの説明は比喩ばかりだったが、蒼は素直にうなずいた。

「そう。そんな感じ」

「そうなのかー……でさ、結局香さん喜んでた? 蒼がイリュー使えれるようになって」

「うん。なんか『危険な状態にしちゃってごめん』って分からないことを言っていたけど。最後には一緒に遊んでくれたよ。姉さんが創った猫の水を、僕が凍らせたりして……」

 ずっと夢に描いていた、姉弟揃ってイリューをすることを叶えた蒼は、その記憶を思い出すだけで、蒼の顔がほころぶ。イリューを使えば、姉にうんと褒めてもらい、頭を撫でて貰った。

 だが、二人で創り上げた氷の猫は、数日後には溶けてなくなってしまったのを思い出して、今度は悲しくなった。


 ふとジェイムから返事がないと思って顔を上げると、ジェイムはこれ以上なくニヤついていた。

「……何?」

「いやー蒼が嬉しそーでなー。本当にイリュー使えるようになって良かったな!」

「うん……また、姉さんと遊べるかも」

「いーなーオレも香さんと遊びたかったー」

「ジェイム、僕より寝ていたもんね。何もしてないのに十日も気を失うなんて寝すぎだよ」

 蒼のイリューが暴走した日。二人は擦り傷程度はあるものの、大きな傷を負うことなく済んだ。

 蒼はその後すぐに目を覚まし、王都へ帰る姉を見送った。だがジェイムはその日には目が覚めず、目覚めたのは十日後であった。

「何もしてないってなんだよ! オレだって必死だったんだぞ!」

「そうなの? 僕その時のこと全然覚えてないんだよね」

「それこそお前が寝てたから大変だったんだぞー!」

 思い出すだけでジェイムは寒さで震えだしそうになる。

 だが、渦の中で蒼の手を掴んだ時に何が起こったのか、ジェイムには分からなかった。ただあの日以来、眼が前より熱く感じた。


「でもなんで香さんのやつが混じってたんだ?」

「さぁー……聞いてもはぐらかされた」

「? 教えてくれなかったのか?」

「そう」

 蒼はもちろん聞いたが、香が答えることはなかった。

 イリューツは親から遺伝されるが、親のイリューツそのものが混ざることはない。ましてや姉弟間で混ざることは、意図があって注入することしか有り得ない。


「姉さんは、何を聞いても、姉さん自身のことを教えてくれないんだ。隠密騎士っていうのもキースママから聞いた話だし……普段本当に何しているんだろう……」

 蒼は姉の話になると、言葉が多くなるのをジェイムは知っている。そして言葉では表しきれない寂しさを、瞳に抱えていることも知っている。

「じゃあ、教えてくれるまで、一緒に強くなろう!」

「……強くなったら教えてくれるもんなの?」

「えー、わかんない!」

 ジェイムは考え無しに笑う。その顔にイラつきはするが、あまりにも屈託のないその表情は清々しく、蒼も一緒に笑う。

「一緒に強くなろうぜ! オレはアクアナイトみたいになるために! 蒼は香さんとか、知りたいもんを知るために! オレたち二人で強くなれば、アクアナイトぐらい強くなれるかも!」

「何それ……でも、なんかいいね」

「だろだろー! 一緒に特訓しようぜ!」

 二人は笑いながら約束をする。

 その約束は、二人の絆をさらに強くする。


「でもさー……今日もするだろ?」

 ジェイムは耳打ちをしながらニヤつく。

 その顔を見て蒼もニヤつく。

「えー何をさー」

「分かってんだろー! 蒼がイリュー使えるようになったから、いろんなことできるぞー!」

 二人はクスクス笑いながら、今日のイタズラを考える。

「氷と言えば雪! 雪と言えば、キースのメガネが曇る!」

「あーそういえばそうだね」

「うまくキースのメガネ曇らせれないかなー」

「わかんない。やってみよう」

「よっしゃー! じゃあ出発―!」

 二人は一目散に村へ戻っていく。

 今日も今日とて、ちびっこイリュー使い達は全力で駆け回る。

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