ちびっこイリュー使い!
みね子
プロローグ
「あーおーいー! なに、かいてんだぁ?」
「文字だよ。もじ」
あおいと呼ばれた幼い男の子。蒼は、黒髪をふさふさ動かしながら、一生懸命紙に文字を書いていた。文字と呼ぶには、よじれて、ねじれすぎているが、三歳らしく愛らしい立派な文字である。
もう一人の金髪で赤眼が特徴的な男の子。ジェイムは、同い年だが、文字は一文字も分からない。普段は何かを教えられても興味さえ示さないのに、今は蒼の書く「もじ」が目新しいのか、友達がやっていることを自分もやりたいのか、これは何て読むのと盛んに聞く。
「おとうさん、おかあさん、あおい、だよ」
無視すると泣き喚くのを蒼は知っている。まだ途中だが、指を止め、一文字ずつ指さしながら教えた。
「へぇー」
しかしいざ教えてもらえれば、途端に興味を無くす。そっけなく上の空な返事に、蒼はイライラしてくる。
そんな時に余計な一言を言ってしまうと、ちびっこの怒りパラメーターは頂点に達してしまうのに、その余計なことを言ってしまうのがジェイムである。
「でも、あおいの、おとうと、おかあ、いないよな?」
そこからはもう、どんちゃん騒ぎの始まりだ。
「二人とも! やめなさい!」
勢いよくとびかかってくる蒼に、ジェイムがバチバチと電磁波が鳴る手をぶつけようとしたところで、慌てて少女がジェイムを抱きかかえる。
手から放たれる電磁波こそ、『イリュー』の一種である。
『イリュー』とは森羅万象を操る力である『イリューツ』を使った、不思議な現象のことである。イリューを操れる者を『イリュー使い』と呼ぶ。
「ねぇちゃん!」
さっきまでムキになっていたジェイムだが、姉のマリアンヌに抱きかかえられ、すっかりご機嫌である。
「あのな! あのな! あおい、すごいんだよ! もじかいてるんだよ!」
蒼が文字を書いていたことを、まるで自分の手柄かのように、姉に報告した。
「え、文字? わぁー! すごいわ! 蒼は賢いのねぇ!」
マリアンヌが蒼を見ると、今すぐにでも泣きだしそうだった。よほどジェイムに言われた『一言』を気にしていたのだろう。マリアンヌは大急ぎで弟を床に降ろして、蒼を撫でて宥める。
またムキになったジェイムは姉の二つに結んだ金の髪の毛を、不機嫌そうに引っ張る。
そして、その光景を発見した別の男の子が、わなわなと口を震わす。
「ず、ずるいー! マリーちゃん! コルクもかけるよ! もじ!」
マリーちゃん大好きコルクは、負けじとマリアンヌの腕にとびつく。
団子状態になってしまったマリアンヌは、コルクの碧色の髪を撫でながら苦笑いをした。
一息ついて、この部屋にいるはずの、もう一人の男の子を目で探すと、その子は窓から外をずっと見ていた。
「よし、ちゃんと四人いるね……キース君、何見てるの?」
外を見ている銀髪の男の子。キースは小さな顔には不釣り合いな大人用のメガネを掛けている。マリアンヌの方を向くと、メガネがずれて落っこちそうになった。
「……おじさんが、来てる」
「え、どういうこと!?」
マリアンヌが駆けよれば、残り三人も窓を見たがり、台はぎゅうぎゅう詰めになる。
同い年四人の中では背が大きいキースは台を譲り、マリアンヌがこの家の家主に報告しに行くのにコルクはついて行った。
結局、台に立っているのは蒼とジェイムだけになる。
「ねぇー! どれどれー!」
密着しているのに、耳元で元気いっぱいに叫ぶジェイムに、蒼とキースは二人揃ってうるさいと言う。
「声をちいさくしたら、おしえてやる」
「……わ、ワカッタ」
コソコソとジェイムは声を抑える。
「あの道のおく。ふたり人がいるだろ?」
キースが指さす方向に、外套を着た二人がこちらに向かってきているのが見えた。
一人はキースと同じ銀髪の青年である。
もう一人は青年と比べてずいぶん背が低い。
痩せこけていて、少年か少女か区別がつかない。よく見ると手首や胸元に蔓が巻かれている。明らかにアクセサリーには見えない。
その子どもは、どこか蒼に似た顔で、儚い目を蒼は宝石のように感じた。
青年のことも、その子どものことも覚えていない蒼は、彼らのことをただ、誰だろうと思うだけであった。
「……だよな! あおい!」
蒼は自分に話しかけられていることに気づく。
「なに?」
「……へ? あれ……なにはなしてたんだっけ?」
ジェイムは、その子どもに興味を持っている蒼に、呆気にとられた。驚いたら数秒前に言おうとしたことさえ忘れてしまった。
筋金入りの人見知りの蒼が、知らない人を食い入るように見るのは珍しいことだ。
「なあ! 外いってみよう! こっちくるんだからさ!」
ジェイムは蒼の手を引っ張る。
ジェイムは思った。蒼はさみしいんだ。お父さんとお母さんがいないから。だからあの子に会わなきゃいけない。絶対に。
「っ、ひっぱるな! 中にいようよ!」
「いーやー! 外いくー!」
「なんで!」
「……うー、わかんない!」
ジェイムがこうなったら止められないことを蒼は十分知っている。それでも知らない人と会うのが怖い蒼は叫ぶ。だが、うるささと元気は、他の子の倍あるジェイムに抵抗できることは残念ながらなかった。
「君は……蒼?」
二人が玄関先でわあぎゃあ騒いでいるうちに、その子どもはすぐ近くまで来ていた。
話し掛けられたことに気づいた瞬間、二人の動きはぴたっと止まった。
声からして女の子だと、ジェイムはのんきに言おうとしたが、隣の蒼が電流が走ったように硬直していて、何も言葉が出なくなった。
「蒼……なの?」
少女は蒼の前に膝を地面につけて、蒼の顔の高さに合わせた。
「う、うん」
その言葉を聞いて、少女のラピスラズリ色の瞳には涙があふれてくる。
少女は震える手で蒼を抱きしめた。
人見知りの蒼は、知らない人は苦手だ。しかし、少女の腕の中は温かく、優しく感じて、とても心地よかった。
「ああ、蒼……あおい……」
少女は何度も蒼の名を呼んだ。
そこで蒼は夢から醒めた。
『あの日』から十数年を経た蒼が、夢で思い出せるのは、少女の目に浮かんだ涙だけだった。
「……なんで泣いてんだよ。姉さん」
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