描きたいのは

井上 幸

描きたいのは

 毎朝、練習場で駆ける姿に憧れていた。言葉を交わすわけでもなく、ただ遠くから見つめるだけで十二分に幸せを感じている。

 ほうっと溜息を吐いて目の前の光景を脳内に焼き付けた私は、持参しているチェアを広げて鉛筆を手に取った。


「おはよう。今日も精が出るね」

「あ、先生。おはようございます」


 すっかり描くことに夢中になっていると、聞き慣れた声がした。私が毎朝この場所で絵を描く許可を取ってくれた美術部顧問の先生だ。


「今回のは力強い線だね。君にしては珍しいな」

「似たような絵ばかりになってきたので、少し変えてみようかと思って。変ですか?」


 先生はスケッチブックを覗き込み、しばらく考えてから口を開いた。


「いやぁ、青春だね」

「えっ」

「えらく熱のこもった愛情を感じるから、さ」


 くつくつと笑いながら続けられた言葉に、カッと頬が熱くなった。先生は時々こうして私を揶揄うのだ。


「もう良いです」

「ははっ、ごめんごめん」


 ひとしきり笑った後で、すっと空気が変わる。


「うん、驚いた。君はこういう大胆な表現は苦手だって言ってたけど、よく描けてる。特にこの線。脛の辺りの線が活き活きしているね」

「そう、そうなんです! あの辺り、半腱様筋はんけんようきんだと思うのですけれど、その動きというか曲線、とにかく躍動感を出したくて。もちろん、胸筋の張りもつやつやで素晴らしいのは確かなのですけれど、やっぱり後ろ脚の筋肉が創り出す曲線が」


 美しすぎると続けようとして、はたと我に返った。

 そろりと先生を見上げれば、またくつくつと笑っている。描いたものから読み取ってもらえたことが嬉しくて、はしゃいでしまった自分が恥ずかしい。


「大事だよ、そういう気持ち」


 朝礼に遅れないようにねと言い置いて、先生は校舎へ歩いて行った。頬の熱は引かないけれど、何となく温かな気持ちになって、私はまた鉛筆を握りしめる。練習場を駈ける蹄の音を聴きながら。

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描きたいのは 井上 幸 @m-inoue

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