第13話 真っ白な部屋と重い空気

「……ん」


 頬に何かが触れて、私は首を動かした。体が痛んでうまく動かせず、眩しい光で目を開けることもできない。

 にわかに周囲がざわついた。いろいろな音が混じり合って頭に飛び込んでくる。そのままフッと何も聞こえなくなり、再び音が聞こえ始めたころ、やっと重いまぶたを開いた。


 最初に目に入ったのは左腕から伸びたチューブと点滴。白い天井とクリーム色のカーテンだ。蛍光灯の眩しさに目を細めた。

 右手を強く握られている感覚に、視線だけを動かすと、あの人が両手で私の手を包み、額を当ててうつむいている。

 

(どうしてここに……それに、私は何でこんな……)


 自分自身では把握しきれない状況に、指先が震えた。ハッと顔を上げ、さらにきつく手を握って来たあの人と目が合い、私は恐くなって急いで顔を反らした。


「やっと目を覚ましたね、本当に良かった。今、先生を呼んでくるから」


 もう一度、強い力で手を握ってから立ち上がり、部屋の外へ出ていった。

 起き上がろうにも体が鈍っていて、うまく起きられず、横になった状態で足だけを床に着いた。ズキンと膝と足首が痛む。


 そう言えば雨の日に地下鉄の階段で転んだっけ……。


 もう二度と会うことはないと思っていたあの人がここにいて、私はとんだ醜態を晒したに違いない。

 いたたまれない思いに、逃げ出してしまいたくなる。点滴は勝手に抜いてしまっても大丈夫だろうか?

 私の手荷物と着替えはベッドの横にある棚の上に置かれていた。荷物の中身はちゃんとあるだろうか?

 何をなくしても、財布さえあれば……。


「何をやっているんだ! もうすぐ先生が来るというのに、寝ていなきゃ駄目じゃないか!」


 ベッドの脇にうずくまって荷物の確認をしていたところに、急な怒鳴り声が響いて飛び上がるほど驚いた。

 振り返ると、あの人の怒った顔が私を見下ろしている。ベッドの向こう側からつかつかと歩いてくると、私は肘を取られベッドに押し戻された。


 惨めな思いに胸に刺すような痛みを感じ続ける。あの人の顔を見ることもできず、横になった私は顔を背けた。

 聞きたいことは沢山ある。その最たるが、なぜここに、あの人がいるのかということ。まさか、私が川に落ちたせいで、連絡が行ったのだろうか?

 ううん、私の携帯にあの人の番号はもうない。それに……携帯は水没してしまっていたら、使いものにならないだろう。

 じゃあ……どうして……?


「あの……どうしてここに……いるんですか?」


 あの人の顔が曇る。

 僕は――。

 その言葉は病室に訪れた医師と看護婦にさえぎられた。診察のために、一度外へ出ていくあの人の背中は元気がなさそうに見えた。

 厄介事を背負わされた、そう思っているのだろう。


 川に落ちた私は、幸いどこにも怪我はなかったと、医師は言った。擦り傷一つなく、頭を打った形跡もないのに、四日間も意識が戻らなかったそうだ。

 昨夜はとうとう心音も弱り始め、私は危篤状態におちいった。それが今朝になって突然、心音も意識も戻った。


 看護婦に過去の病歴を聞かれたけれど、私はこれまで特に大きな病気はしていないし、健康診断でも異常が出たことはない。

 医師はただ、首を捻るばかりだっだけれど、これから二日間、検査をして異常が見つからなければ、退院しても大丈夫だと言った。


 夕方には母親もくるというので、私は益々気が滅入ってきた。布団に潜り込んで眠ってしまいたくても、点滴が邪魔をして身をよじることも不便でならない。

 医師たちが出ていったのと入れ替わりに、あの人が戻ってきた。

 気まずい空気がまた部屋にあふれる。ここが大部屋じゃなく個室なのも原因の一つかもしれない。

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