騎士なんて碌でもない
そこからは、荒れ狂う大河を遡るかのような目まぐるしさで、ローゼはあまり仔細を覚えていない。
気がついた時には、医務室に寝かされたアルバインの横で、丸椅子にぼんやりと一人腰掛けていた。
アルバインの怪我は右上腕のヒビと、各所の打撲。診断としてはそれだけだが、意識が戻らないうちは、打撲の影響がどこまで深く届いているかは、医師にもわからないらしい。
少し削げた頬にも、削り出したような額にも、唇にも、顎にも、あちこちに擦過傷があって痛々しい。
「大怪我で空輸が必要だと連絡が来たから、もっと酷いのかと」
「いや、目撃していた全員が最悪を覚悟したらしい。不慣れな騎士が地削獣から振り落とさかけていたのを、飛び移って代わりに制御したそうだ。だが、鞍に立ち上がっていて不安定な体勢で急停止したために、獣たちの行進の只中に転落した。
地崩れに巻き込まれるようなものだ」
「なぜ助かったんです」
「地削獣たちが、ぴたりと止まったそうだ」
「は? 勝手に、ですか?」
「仲間か、群れの子供だと思われてるんじゃないかと、部隊でも話題だそうだ」
ランドリックとゼンゲン侯爵が小さな声で話していたのは、いつだったか。
どうやら、名誉の負傷というものらしい。
「やっぱり、騎士なんて碌でもないじゃない……」
静かな部屋に、アルバインの荒い呼吸の音だけが響く。
少し険しい寝顔を眺めているだけで、胸が潰れそうだ。
大切な人が苦しむというのは、これほど苦しいものなのか。
ローゼはじっとアルバインの息に耳を澄ませていたが、ふいに込み上げる震えるような恐ろしさを宥められずに、上掛けの横からそっと手を忍び込ませた。
冬だが、地下に湯が流れているとかで、部屋はほんのりと暖かい。上掛けは、体の線がぼんやりとわかる程度に薄くて軽いものだ。
ローゼは左腕があると思われる場所を探った。
温もりを頼りに、触れないようにそっと辿って、手を見つける。
大きな手。ここには、ひどい傷はなかったはずだ。
初めて手を握ったのに、何の反応もない。
けれど、あたたかい。
それだけで、何もかもに感謝をしたくなった。
後悔をしなくて済みそうだ。せめて、言えないで逃げ出した気持ちを、伝えさせてもらえれば。
そして出来るなら尋ねたい。どうして、こんなに痩せてしまったのか。会えなかった間何に苦しんでいたのか。
私が、少しでも支えになれないか。
だから、その目を開けて。
そうしたら、今までよりもっと輝く世界が始まる気がする。
「俺のせいかもしれない」
「……俺のせいって?」
今日はアルバインが医務室から寮に移ると聞いている。
寮には入れないが、医務室に手伝いに行こうと思っていたのに、朝から客室を二箇所整えるよう伯父に申しつけられて、メイドたちと一緒に渋々作業をしていたところだ。
作業といって、ローゼが実際に手を動かすのではなくて、室内の調度品に意見を求められて決定していく。これが、意外と難しい。
早く終わらせてしまいたいけれど、アルバインのことで伯父には無理をお願いした。感謝の気持ちがあるから、真剣に取り組んでいたところなのだが。
慌ただしい客室に入り込んできたランドリックは、お構いなしだ。肩を落として、顔色が悪い。こんな様子を何度か見てきたローゼは、今回も何か嫌な予感がした。
最近はランドリックが年下のような気がしてきている。
「遠征直前に仲直りさせようと思って、あいつを呼び出したんだ。ほら、ローゼリアを連れ出しただろう? 熱を出す少し前、街で食事をしようって。あの時、結局あいつは来なかったから、ローゼリアには言わなかったけど」
覚えてる。
伯母様にも引きこもりを心配されていた時、強引に連れ出され、人目があるから渋々エスコートを受け入れたのを覚えている。
そういえば、妙にはしゃいだ様子のランドリックが、僕の筋肉の感想を言えなどと、ふざけて胸を触らせようとしてきた気がする。
……猛烈に果てしなく嫌な予感がした。
「あとであの辺にいた連中に聞いたら、あの日アルバインが近くまで来てたらしい。でも、俺たちの前には現れなかった。遠征中、あいつかなり無茶に自分を追い込んでだって話も聞いた。もしかして、俺たちのこと誤解してヤケになって」
気がつけば、ローゼは生まれて初めて人を殴っていた。しかも拳で、従兄弟の綺麗な顔を打った。
メイドたちの悲鳴が耳に入ったが、どうでもよかった。
許せない。
ローゼの恋を殺しかけたばかりか。
ローゼの大切な人を殺しかけたなんて。
「ランドリック! 貴方のその自分勝手で傲慢な杜撰で適当で人を思いやらないところ、最低よ! 騎士だからじゃない! ランドリック、貴方なんて大っ嫌い!」
「ぁち……」
衝撃で横を向いたまま、ランドリックが呻いた。
人を傷つけたことのない娘の細腕だ。物理的衝撃など、ささやかなものだ。衝撃を弱めるように身体を引いて頬で受けたのは、むしろローゼの手を心配してのこと。だから、実は痛くもない。
痛いのは、違うところだ。
ランドリックはぐいと目を擦った。
「なんで、貴方が泣くのよ!」
ローゼは腹立ちのまま叫んだ。
泣きたいのはローゼであり、アルバインだろう。医務室で目覚めた彼が、心配してくれているのかと信じられないように確認していたのは、そのせいもあったのだ。
「大体、いつも勝手にいろいろするのが悪いと思う! 話を、してよ! それからでしょう!?」
自分にも刺さる言葉だけれど、それでも言い切った。
ランドリックは少し目元を赤くして、険しい顔をしている。
いつもの笑顔の時よりも、近くに立っている気がする。
「……君は、僕の妹分だ。君がどう思っていようと、叔父が生きている頃に守ってやってくれと言われたから、僕はそのつもりだ。だから、その心も守ってやりたいと思ってた。
けど、周りにいる令嬢たちとは全然違うから、社交のマナー本も役に立たない。何を喜ぶかもわからない。僕にも父にも全然近寄ってこない。
だから、理解はできないけど、ローゼリアには、ローゼリアらしい幸せがあるはずだって信じることにした。
僕は近寄らないようにして、父上が縁談を持ってくるのを牽制して、ローゼリアには、自由でいてもらおうとした」
自由――それはきっとランドリックには、あるようでないもの。
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