4周目
悲鳴が聞こえる——。
気が付くと私は有隣堂の1階に立っていた。
私は1階のエレベーターの前に走った。6階からエレベーターを呼ぶ。
しかし、私はエレベーターを待たずに階段を上った。
ちょうど郁さんが2階の売り場から走ってきたところだった。
「今、上から悲鳴が!」
「何かあったのかもしれません。一緒に行きましょう」
私は郁さんと一緒に階段を駆け上がった。
有隣堂は不気味なほど静まり返っている。
4階に上る階段の途中、私は一人の従業員の後ろ姿を見つけた。
「間仁田さん!」
そう。Yは間仁田さんだ。
1周目と2周目、悲鳴を聞いた間仁田さんはエレベーターで上階に向かった。
そして、6階で扉が開いた直後——。
ブッコローに食われたのである。
私が1階からエレベーターを使ってもブッコローと鉢合わせになることはない。
だが、最初に3階にいた間仁田さんは違う。所要時間がずっと短い。
結果、ブッコローと鉢合わせになった。
エレベーターの中に飛び散っていたインクは、間仁田さんが食われた跡だったのだ。
その証拠に、3周目はエレベーターの中にはインクが飛び散っていなかった。
間仁田さんの断末魔の叫びは、エレベーターの防音効果とブッコローの巨体に阻まれて聞こえない。
3周目の最後に、私が気付いたのはそのことである。
では、3周目の間仁田さんの行動はどうだったのか。
エレベーターを見送った間仁田さんは、階段で6階を目指すことにした。
駆け上がるのではなく、歩いて。
今回、私が間仁田さんに追いつくことができたのはそのためだ。
悲鳴を聞いて急いでいるはずなのに、なぜ間仁田さんは歩いて階段を上るのか。
それは、自転車で標識にぶつかって左の鎖骨を折り、転んだ拍子に右足を打撲していたせいで階段を駆け上がることが困難だったからだ。
階段を使わされた間仁田さんは、佐藤さんを追ってブッコローが下りてくるまでの間に5階にさえ辿り着けない。
結果、4階のあの場所でブッコローに食われてしまった。
これが真相である。
間仁田さんを追い越して4階に上った私は、1階からエレベーターを呼んだ。
「エレベーターを呼びました。それで6階に向ってください」
「あ、どうも」
その場に間仁田さんを残して、私たちは6階まで階段を駆け上がった。
荒らされたスタジオに大量のインクがぶちまけられている。
割れたヴィンテージ眼鏡。蓄光のガラスペン(蛍光)。
緑色のノートを拾い上げて名前を書いた私は、郁さんにも名前を書いてもらった。
ふいに下の階が騒がしくなった。
階段で5階に下りてみると、売り場の方から佐藤さんが走ってくるのが見えた。
「逃げてください!」
その後ろから、巨大な怪鳥が驀進してくる。
「ブッコロー⁉」
逃げてきた佐藤さんにノートに名前を書かせる。
自分の能力を知った佐藤さんが前に出る。
「時間よ、止まれ‼」
だが、ブッコローは止まらない。
ブッコローの両目が私と佐藤さんを同時に睨んでいる。
「二手に分かれるしかない! 郁さんは上へ!」
「ですね!」「はい!」
郁さんと私は6階へ。
佐藤さんとブッコローは4階へ。
「超速スピード!」
郁さんが能力を使用して佐藤さんを逃がす。
階下から断末魔の叫びは聞こえない。
代わりにポーンと音がして、エレベーターから間仁田さんが現れる。
私は間仁田さんにノートを見せて名前を書かせた。
「私の能力は『時間を巻き戻す能力』です」
「使ってください」
間仁田さんが呪文を唱える。
「カラフル間仁田で⤴ カラフルカラフルぅ⤴」
まるで皿を洗うかのようにインクが拭き取られ、そこにはとぼけた顔のザキさんが立っていた。
私はザキさんにノートを渡して、名前の最後の一画を書いてもらう。
「私の能力は『時間を止める能力』です」
ふいに変声機を使ったような独特の鳴き声が聞こえた。
「ゲンバノフンイキ、サイアクダヨ」
階段の下から虹色の羽角。続いて斜視の目玉、黒い嘴が覗く。
ブッコローである——。
ブッコローが驀進してくる。
ヤバい色の目はザキさんを睨んでいる。
その時。
ザキさんがブッコローに頭を下げた。
「ごめんなさい」
ブッコローが、止まった。
「ぬいぐるみ。インクで汚してしまってごめんなさい。捨ててしまってごめんなさい」
「ハア?」
「でも、ちゃんと供養しました。あなたはもういません」
ヴィンテージ眼鏡の奥で、ザキさんの涙がちょちょ切れる。
まるで渾身のジョークが滑った時のように、ブッコローが白目を剥いた。
「クビカナ?」
ブッコローの巨体がみるみる小さくなる。
後にはインクで汚れたぬいぐるみが転がっているだけだった。
ブッコローの時間は止まったのだ。
こうして、私たちは有隣堂しかない世界から脱出することに成功した。
その後、ブッコローの姿を見たものはいない——。
「スキクナイナー。2テン」
有隣堂しかない世界 ~失われたザキを求めて~ 下方陸 @shitakata
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