3周目

悲鳴が聞こえる——。



気が付くと私は有隣堂の1階に立っていた。

心臓に悪い。

細川さんの能力は『(ブッコローの)時間を早送りする能力』だろう。

だから、細川さんは一切役に立たないと言ったのか。


今のところ、郁さんの能力以外は役に立ちそうにない。

だが、この狭い有隣堂しかない世界には、もう他にプレイヤーが残っているようには思えない。


それが盲点なのだ。

実はもうすでに登場している。


ザキさんである。


おそらく、ザキさんがブッコローに食われてしまった時点で詰みなのだ。


もっとも、階段では間に合わない。

エレベーターを使う。


ただ、エレベーターは1階からもっとも遠い6階にある。

階段と比べてどちらが早いのか微妙だが——。


やってみよう!


私は1階のエレベーターの前に走った。6階からエレベーターを呼ぶ。

エレベーターを待っている間に、2階の売り場から郁さんが階段を駆け下りてきた。


「今、上から悲鳴が!」

「何かあったのかもしれません。郁さんも一緒に来てください」


私は郁さんとエレベーターに乗り込んだ。


ふいにポーンと音がしてエレベーターが3階で止まった。

開いた扉の向こうには誰もいない。


「郁さん、押しました?」

「いえ——」


再び扉が閉まる。


誰かがエレベーターを呼んでから乗るのをやめたらしい。

まあ、誰かといっても佐藤さんしかいないわけだが。

悲鳴が聞こえた時、佐藤さんは3階にいたのか。

おかげで時間をロスしてしまった。

佐藤さんにはエレベーターではなく、ブッコローを止めてほしいものだ。


ようやくエレベーターが6階に止まった。

扉が開いた時、目の前の凄惨な光景に私は息を呑んだ。隣りで郁さんも息を呑む。


間に合わないのか!


荒らされたスタジオに大量のインクがぶちまけられている。

割れたヴィンテージ眼鏡。蓄光のガラスペン(蛍光)。

緑色のノートを拾い上げて名前を書いた私は、郁さんにも名前を書いてもらった。


ふいに下の階が騒がしくなった。

階段で5階に下りてみると、売り場の方から佐藤さんが走ってくるのが見えた。


「逃げてください!」


その後ろから、巨大な怪鳥が驀進してくる。


「ブッコロー⁉」


逃げてきた佐藤さんにノートに名前を書かせる。

自分の能力を知った佐藤さんが前に出る。


「時間よ、止まれ‼」


だが、ブッコローは止まらない。

ブッコローの両目が私と佐藤さんを同時に睨んでいる。


「二手に分かれるしかない! 郁さんは上へ!」

「ですね!」「はい!」


郁さんと私は6階へ。

佐藤さんとブッコローは4階へ。


「超速スピード!」


郁さんが能力を使用して佐藤さんを逃がす。


階下から断末魔の叫びが聞こえた。


がっくりとうなだれる郁さん。

いや、ちょっと待て。

なんで、佐藤さんが食われる?


前回との違いは——。


エレベーター?

でも、何の関係が——?


「ひとまず、エレベーターで行きましょう」


そう。エレベーターは前回も今回もこの時点で6階にあったはずだ。

ボタンを押して扉を開く。

考え込みながら、私はエレベーターに乗り込んだ。


「何階ですか?」


パネルの前に立った郁さんが私に尋ねる。

何が起きたのかを確認したい。


「4階を押してください」

「わかりました」


エレベーターが4階に到着して扉が開いた。


医学書センターと書かれた案内板。

白い本棚には医学関連の書籍がびっしりと並んでいる。


飛び散ったインク。


不気味に明滅する蛍光灯の下で、一人の従業員が呆然と佇んでいる。


「どうして、あなたが生きているんですか——?」


佐藤さんだった。

私は身震いをせずにはいられなかった。

では、周囲に飛び散ったこのインクはいったい誰のものなのか!


「郁さんのおかげです。でも、代わりにどなたか別の方が犠牲に——」


私は止まっていたエレベーターの降下ボタンを叩いた。


「一緒に来てください」


地階へ。

エレベーターを降りた私たちは、雑誌に紐をかける従業員の姿を見つけた。


「細川さん!」

「みんなして、どうしたんです——?」


上の騒ぎに気付いていないというそぶりで細川さんは言った。

まだ見ぬプレイヤーが存在していたのだ——。


推理の時間だ。


まだ見ぬプレイヤーを仮にXと呼称する。

いや、有隣堂にちなんでYと呼称しようか。Yちゃん。

叫び声からするとYは男性である。


Yは、どこにいたのだろう?

どうすればYに会えるのだろう?


1周目と2周目、私はYの存在に全く気が付かなかった。

そして、3周目になって突然Yは現れた。

これには、私が6階に向かうためにエレベーターを使ったかどうかが関係している。


そういえば、と私は思った。


6階に向う途中、誰もいない3階でエレベーターが一度止まったが、あれは——?

佐藤さんの話を聞く必要がある。


「佐藤さん。最初に悲鳴が聞こえた時、佐藤さんは何階にいたんですか?」

「4階です」

「その後、どうしました?」

「階段で5階に上りました。そうしたら、売り場がメチャクチャになっていたんです。それを片付けていた時に——」


佐藤さんは「——見つけたんですよ」と言った。


「何をです?」


私の問いに佐藤さんが答える。


「ブッコローのぬいぐるみですよ!」


佐藤さんはまくし立てるように続けた。


「気が付いたら床に落ちていたんです。拾い上げようとしたら、みるみる巨大化してあの化け物になったんです!」


ブッコローが現れた経緯はさておこう。


佐藤さんの話からすると、3階にエレベーターを呼んだのはYだ。

悲鳴が聞こえた時、Yは3階にいたのだ。

今回、私がエレベーターを1階に呼んだことで、エレベーターはYの前を通り過ぎて下まで行ってしまう。

それでYは階段を使うことにした。


だが、そうすると不可思議なことがある。

Yは、なぜ3階のすぐ真上の4階でブッコローに食われてしまったのだろう。


1周目と2周目のYの行動も謎だ。

私はエレベーターを使わなかったから、Yは自分で呼んだエレベーターに乗ったはずだ。

その後のYの消息が全くわからない。

なお、1周目に聞いた叫び声はYではなく佐藤さんが上げたものだ。

でなければ、2周目と辻褄が合わない。


普通に考えれば、エレベーターに乗った後、Yは悲鳴が聞こえた上階に向かうはずだ。

各階ごとに扉を開けて状況を確認してもいい。

いずれにしても、最終的には6階であの光景を目撃する。


その後は?


エレベーターで下に戻ったわけではない。エレベーターは6階に止まっていた。

階段で下に戻ったわけでもない。それなら、私はYとすれ違うはずだ。

Yは忽然と姿を消してしまう。


まさか——。


どうして見落としてしまっていたのか。

私はよろめきながらエレベーターの前まで歩き、ボタンを押した。

地階に止まったままだったエレベーターの扉はすぐに開いた。


そういうことか。

それなら、なぜ聞こえなかった——?

いや、聞こえないものなのか?


そうだ!

聞こえないのだ!


なぜなら、私は聞いていない!

1周目!

郁さんの悲鳴を!


謎は全て解けた!


エレベーターには乗らずに踵を返した私は、細川さんにノートを見せて名前を書いてもらった。


「細川さんの能力、使ってみてもらっていいですか?」

「まあ、別にいいですけど——」


細川さんが雑誌を紐で縛る時のように舞うと、突然、目の前に巨大なブッコローが現れた。


「ソウイウコトカー」


変声機を使ったような独特の鳴き声でブッコローが鳴いた。

むさぼり食われた私のインクが飛び散る。


「メッチャウマイ。80テン」

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