第7話 取引
馬車はライトナー公爵家にたどりついた。
アランはどうしてかあっけらかんとしているが、私は震えが止まらない。神殿に来ていた貴族とはわけが違う、彼らは神殿を襲い、私たちをさらうくらいには明らかな敵意がある。
「ララ、大丈夫だ」
馬車は既に公爵邸の敷地内を走っている。美しい庭園を見ている余裕などない。
警備のための騎士の瞳もこの馬車を、私たちを見張っている。
「何か秘策があるの?」
私の言葉にアランはとても良い笑顔を返した。いつも通りで少し力が抜ける。
「ない! なんなら剣を置いてきたから、死ぬときゃ死ぬ!」
「なんでそんなに楽観的なの……。神殿のみんな、それにサーナ先生も、きっとみんな……」
戦う意思を持ったとしても、戦うための力があるかどうかは別だ。今、戦えるのはアランしかいない。
私のすがるような視線に、アランはふき出した。そしてコホンと咳ばらいをした。
「ララ、一つ考えてほしいんだが……」
「うん」
「俺は剣があったところで公爵家の騎士団にかなわない。俺に一騎士団に勝てるくらいの力があるんだったら冒険者になってる! ――その方が金になるからだ!」
「なんでそんなに自慢気に言うのよ……」
こんな状況に笑うアランの姿に、私もつられるように笑顔になってしまう。
緊張が解けたかのように、ボロボロと涙がこぼれる。
「それに、ほらライトナー公爵家は民衆から支持されるくらい平民でも大事にしてくれるって噂で聞くし……あとあれだ、こんなときこそ女神ディアナに祈るべきなんじゃないか?」
「アランが祈るのは困った時だけじゃない!」
「信じるものは救われるっていうし、まあどうにでもなるだろ」
私は袖で涙をぬぐった。悩んでいる私がバカみたい。
馬車は既に速度を落とし、窓から見える騎士の数も増えていっている。泣いているひまはない。私は覚悟を決めなくてはいけない。
やがて馬車は止まり、怯える私たちをよそに馬車の扉が開けられた。
「月の神殿のララさまと護衛の方ですね」
扉を開けて私たちを迎えたのは、優しそうな執事だった。
導かれるようにして、馬車から降りると想像していた敵意はない。それどころかどこかの令嬢のように丁寧に公爵邸へと案内された。
私たちを待っていたのは、公爵一家だった。
大広間に案内されて、公爵と対面するように座らされた。礼儀作法の授業がありがたいと思ったことなど今までなかった。まさか、神父さまも先生たちもこの状況を想像していたのだろうか。
アランはこれ幸いと私の後ろに控えている。
「急にお連れして申し訳ないことをした」
「あ、いえ……はい……」
礼儀作法の授業は受けたけど、本番は体験したことがない……。ここまでの様子で、公爵家は――少なくとも表立った敵意がないと思う。
アランもそう思ったのか、緊張してぐだぐだになる私の様子を見て笑いをこらえている。
「それで――今回、君を招待したのは一つ提案をしたいからだ」
招待、そして提案と言った。その言葉でゆるんだ緊張を取り戻す。
私は何も聞いていない。それだけ急なものだったのだ。後ろで笑っていた気配もおさまった。
「君の能力を我が家門で生かしてはくれないだろうか?」
「脅し、ですか?」
「これは提案だ」
貴族は怖い。昔、授業中につぶやいたサーナ先生のその言葉が私の中でがんがんと繰り返される。公爵は私を見据え、他の家族も私を見つめることはないものの様子を伺っているのが理解できた。
≪提案っていうか礼だな!≫
「は?」
聞き覚えがある声に、周囲を見渡すと、公爵の横に座っている人物の横にふわりと緑の少年が浮かんでいた。
「暴走精霊!」
≪まあ聞こえてるとは思ってたけど、俺は今はヴィントって名前があるんだ≫
「良かった! 契約できたのね」
知り合いの顔を見て喜ぶ私に、周囲は怪訝な顔をした。けれども一人だけ、納得するように頷いていた。公爵家の家族構成と席順で見て、次期当主だろうかニ十代前半の青年だ。
≪誰かさんのおかげで≫
「ヴィント!」
精霊の軽口を少し叱りながら、彼は私を見た。何かおかしなことをしてしまっただろうか。
「ララ、ひとり言は今はやめといた方が……」
「え?」
小さくアランが言ったその言葉に驚いた。前回使ったスキルは永続的な効果があるわけではなく……。ということは今、私は貴族相手にいきなりひとり言をつぶやいていたってこと?
ああ、冬と眠りを司り、安寧と秩序を守る女神ディアナよ、神殿のみんなのために戦うことを決意しましたが、私は不敬罪で死んでしまうかもしれません……。
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