第5話 翻訳者ララ
翌日、お腹にギリギリと刺すような痛みが走った。
冒険者になる時に小さくお腹にほった月の女神の紋章のあたりだ。皮膚にプツリプツリと何かが入り込んでくる感覚に恐ろしくなり、私は急いで鏡を見た。
私の部屋は質素ではあるが、下町時代よりもずっと豪華な部屋を与えられている。鏡も高級品でいつも汚れがないように丁寧に扱っているが、今はそんな場合じゃない!
寝巻をまくって、お腹を見ると、月の紋章の横に徐々にではあるが緑色の紋章が”生えている”。
「いやああああああああ!!!???」
こんな現象聞いたこともない。紋章が変化することはあったとしても、それはその神の加護を得られたからだと聞く。これはまったく別の存在のものだ。
「どうしたララ!」
「ララ!?」
私の叫び声を聞いて、巫女や神官たちが部屋の扉を叩いている。
お腹を出しているし、こんな恰好で人前になんて……。
そんな羞恥心と、広がりゆく紋章への恐怖で私の脳は動くのを……やめた。
「何かあったのかもしれない……」
「もしや……賊では……?」
扉の外では物騒な会話が繰り広げられている。
しかし、私は鏡にうつる紋章の様子から目を離すことはできない。
まるで植物が生えるかのように、するすると伸びる枝葉を模した緑の紋章。それは月の女神に寄り添うようにして止まった。
そこからじんわりと暖かさと痛みが広がっていく。
ガッシャーン!
大きな音がして、はっと振り向くとそこには唖然とした顔のみんながいた。騎士や神父さままでいる。
「ララ!? ――みなさん、出て行ってください……」
巫女の一人が他の全員を部屋から追い出した。彼女はララが幼い頃から礼儀作法を教えてくれていた、元貴族令嬢の巫女だった。
「サーナ先生!」
「ララ、なんですかその恰好は!」
「た、たすけてください!!!」
怒っていたサーナも、慌てふためくララの様子にすぐ心配そうな表情を浮かべた。
ララが紋章と痛みについて説明すると、サーナはすぐに何かに気づいたようだった。
「今は痛みますか?」
「今も痛いんですが、だんだん落ち着いてはきています。呪いか何かなんでしょうか……?」
「それなら大丈夫ですね。――まずはその恰好を何とかしなさい、はしたない!」
何が大丈夫なのかは分からないが、少しほっとした途端に私の瞳から涙がぽろぽろとこぼれおちた。
寝巻から巫女服へと着替え、私とサーナは神父さまの元へと向かった。
サーナは、途中で騎士団の訓練場でアランを呼び出した。
「昨日、精霊の件で他に何かありましたでしょう?」
「え? 国の騎士団になんとかしてもらいましたよ」
「あなたの報告は意味をなしていないようですね……。今すぐ神父さまの所へ行きますよ」
私とアランは顔を見合わせた。
サーナ先生がこうやって怒り神父さまの所へ行くときは、必ず二人からお説教をされてきた。
今日は何を怒られるのか、私は少し憂鬱な気分になったが、紋章について知らなければならない。
先生と神父さまに私とアランは必死に暴走精霊の件を説明した。
スキルが発動して、一時的に精霊の言葉が分かるようになった騎士団長と精霊が契約してすぐに解決した。
それを聞いて、サーナ先生は口元を手で覆った。神父さまは指でこめかみを押さえている。
「何かまずいことをしてしまったでしょうか?」
「サーナ、今すぐ隣国の神殿へ連絡しなさい」
「はい! ララ、荷物をまとめてすぐに引っ越せるようにしなさい。多くても手にもてるものだけ……。アランも連帯責任です。あなたも荷物をまとめておきなさい!」
「えっ? 俺もですか!?」
「『俺』もです! 二人ともこの国に帰れない覚悟をしておきなさい」
途端にどたばたと神殿はあわただしくなる。神殿同士は魔法技術のおかげで遠隔での連絡が可能だ。
それもお布施次第で平民も貴族も使うことができる。
内容は神殿の関係者に聞かれてしまうが、そこは身内に神殿に入ってもらって実質内々にもみ消せば良い。だから貴族は庶子がいればすぐに神殿に送り込み多額の寄付をする。
「帰れないってどういうことですか!?」
私が焦って神父さまに問うと、彼はひどく悲しそうな顔をした。
「ララ、スキルというものにもレベルがある。君の与えられたスキルは、言語と言語を翻訳するだけではない。意思を持つもの同士であれば世界のシステムとして共有することが許されない言語だとしても翻訳してしまう」
「つまりどういうことっすか?」
アランの軽い質問に、神父さまはため息を吐いた。
「本来、精霊は契約したもの・精霊師としか会話が出来ない。だが、今回のことでララのスキルを使えば全てのものに精霊の言葉が分かることが国に知られてしまった。しかも契約者ではないのに、精霊から祝福をもらっている」
「へー、ララの仕事が増えるってことですか?」
「あの紋章はあの子の祝福だったんですね……私しなないんだ!」
私とアランの言葉に神父さまは苦笑して、そして私の頭をぽんと撫でる。
「ララ、覚えておきなさい。君の力は、意思ある者たちをつなげる、気持ちをつなげることができる平和のための力なんだ。素晴らしいスキルであることを忘れないでほしい」
そしてアランも少し嫌がっていたが神父さまは頭を撫でていた。
彼も下町出身で、スキル判定の儀からこの神殿でお世話になっていた。
二人が複雑そうな顔をしていたのは、当然だ。訓練の途中で連れ出して来たものだから、アランの頭は汗でびしょびしょだった。
「うぐ……アラン、元気で。ほとぼりが冷めたら二人とも元気で帰って来なさい」
「す、すみません……」
荷物をまとめるために、部屋から追い出された私とアランは、神殿のあまりの騒ぎように驚いた。
孤児から上級神官に至るまでが、礼儀なんて忘れるほどに逃げまどっている。
通りがかった騎士にアランが話を聞くと、国の中枢を担っているライトナー公爵家からの使いが神殿にやってきたという。
「翻訳者を出せとさ……」騎士は呆れたように言った。「俺たちが仲間を売るような真似をするわけないだろ。荷物まとめてる時間はないだろうからさ、裏門でサーナ先生が待ってるから早く行け」
「ありがとう!」
私は礼を言って、アランと一緒に神殿を走る。二人とも幼い頃から神殿暮らし、言葉がなくとも裏門への最短ルートは知っていた。
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