となりにいてくれるだけで十分なのにね

夕奈木 静月

第1話

「筋肉とは美学だ。見ろよ、この何物にも似ていない複雑な腕の文様を」


 はあ……また始まったわ。腕まくりをして、二の腕に力こぶを作る、いつものやつね。


 同棲中の彼氏であるれいはいつも大人げない自慢をくり返ししてくる。


「なあ、美香みか。おまえもどうだ? 筋トレはいいぞぉ」


「筋肉ムキムキになった私を女として見られるの?」


「ああ、もちろんだ。ほら、一緒にやろう」


 いつからか怜は体を鍛えることに異常に執着するようになった。私たちは家が隣同士の幼なじみで、ずっと一緒にいたけれど、いつ頃からだったかは覚えていない。


「ねえ、前から聞きたかったんだけど、どうしてそこまで鍛える必要があるの?」


 素朴な疑問をぶつけてみた。


「ん? 理由なんてないよ。健康な精神は健康な肉体に宿る、って言うだろ? 身体はすべての基本なんだ」


「それだけじゃない変な意地みたいなのを感じるんだけど……」


「そ、そんなことないさ……」


 やっぱりなにかあるわね……。




 週末、私が部屋で何の気なしに子どもの頃のアルバムを開いていると、怜が涙目になって横から覗き込んできた。


「えっ!? そんなに懐かしくて感動した?」


 驚いて尋ねた。


「いや、そうじゃなくて……。悪かったなって思って」


 神妙な表情でうつむく怜。いったいなんだろう。


「なんのこと?」


「お前がさ、木登りしてて……、途中で力尽きて落ちてきたときあっただろ?」


「ああ、小学校のときね」


「それでさ……俺、支えきれずに倒れちまっただろ?」


 そういえばそんなこと、あったっけ……。今言われるまで完全に忘れてたけど。


「申し訳なかったなって。俺は無事だったけど、お前、あのとき腕の骨折っただろ?」


「よくそんな昔の事覚えてるね? 私、いま言われるまで完全に忘れてたよ」


「マジで!? 俺、めっちゃ気にしててさ……。それで身体鍛えきゃ、って思って筋トレ始めたんだよ」


「……そうだったんだ。……なんかごめん。私のために鍛えててくれてたんだね……」


「いや、その……、そーゆーわけじゃ……。いや、そーゆーわけか」


 頭を掻きながら照れくさそうにしている怜がなんだか可愛くて私は頭をなでる。


 何度も何度も。そこに怜がいることを確かめるように、慈しむように。


 気づけば、私も同じことをされていた。


 壁に隣り合ってもたれながら、私たちは差し込んでくる夕方の陽の光に照らされてまどろむ。


 いい雰囲気でキス……の流れになったところで、突然チャイムが鳴った。


「あっ……、頼んでたバーベルマシーンがきた」


 バーベルマシーン!? それ、めちゃくちゃ場所とるやつじゃないの?


「怜!?」


 しまった、という顔をして怜は玄関に向かう。




 果たして、開梱したバーベルマシンはめちゃくちゃ大きかった。


「怜……!」


「いや……な、なんとかするから」


 ワンルームの部屋では何とかなるサイズじゃない気がする。




 夜中、冷える季節になってきた。トイレに行こうとベッドから降りて歩き出す。と、


 ガン!


「痛った……!」


 バーベルの円盤でヒジを強打した。




 私は約一週間、怜と口を聞かなかった。


 でも、夜中にベッドのなかで眠っている怜の手にそっと触れてみた。


 私を守ってくれようとした、その大きな手をこっそりと感じたかったから。














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となりにいてくれるだけで十分なのにね 夕奈木 静月 @s-yu-nagi

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