シャドウバスター萌花

石田宏暁

テーマ〈アンラッキー7〉

「前の彼女が別れるときに彼を拷問したのよ。私、なんでそんな男と付き合うと思ったのかしらね。ふふふ」


「これで良かったじゃないですか」佐江子は空になったカップのコーヒーを潰して私のカップに重ねた。


 深夜の公園に警察はたしかに来た。それでも喧嘩両成敗の状況で両者に訴えが無ければ何も出来ないといわれた。


 美和さんの父親と安堂は黙って逃げてしまった。後日、互いの事情聴取はされるそうだ。


 朦朧としている加瀬店長を車に乗せて、事務所の簡易ベッドに寝かせる。二人で血を拭ってコーヒーを飲みながら暫くの時間のんびりと語り合っていた。


「ラッキーだったと思いますけど――」


 沼田佐江子の言葉に坂本萌花は黙ってうなずいた。自分でも安堂などと付き合いたいと思っていた気持ちへの整理がついていない。


 皮肉にも安堂というスマートな見た目の男に私も沼田佐江子も惹かれたのは事実だった。


「まあ、大事おおごとにはならなくて良かったかもね。仕事と彼氏を同時に失った私はラッキーとはいえないけど」


「安堂さんが拷問されるような男なら、別れてラッキーです」


「でもそれって激情にかられるほど彼に魅力があるってことでしょ。つまり拷問する価値のある男って意味じゃない?」


「店長は拷問される側じゃなくて、する側なんですよ」佐江子はため息混じりにいう。「拷問される側に魅力なんてありません。店長はどんな手段を使っても拷問します。何でもひっくり返しちゃう。そういう人なんです」


「……」


「これだけいうと語弊がありますけど、もちろん愛と倫理が前提です」


「分かるわ、私も拷問されたから。常識という概念からは逸脱してるけど、どうにか協力しようとは思ってる」


 偶然にも加瀬店長と同僚の安堂に拷問という繋がりがあったのが不思議だった。する側とされる側という違いはあれど。


 沼田佐江子はいった。「実は私も安堂さんに理想を重ねていたんです。店長とあって人は外見じゃないってはっきり分かりました」


「それは……そうね」


 それほど単純ではない。こうも不幸が続くと自分に問題があると思わざる得ない。


 就職にカウンセリング事務所を選んだことを今では失敗だと思っている。時間をかけて寄り添いながら長く通ってもらう方針は、私には向かなかった。


 兄のPTSD問題では私は何の力にもなれなかった。藁にすがる思いで加瀬店長に頼ったのは正解だったと思っている。


 私が担当していた松本さんがセラピーでアルコール依存症を克服したと聞いた。同じ時期に安堂の担当していた沼田さんもカウンセリングを辞退していた。


〈体験型書籍販売店〉が顧客を奪っていると知り安堂と共に加瀬店長の事務所に乗り込み直談判することになった。


 恩人であるはずの店長が、非公認の拡張現実シミュレーテッドリアリティーで不法の拷問をするのを止めなければならないと感じた。


 そして安堂の暴走と暴行が始まった――。


 仕事でこの失敗は完全にスリーアウト・チェンジだ。退社して職変えするしか方法がないのは分かっていた。


 安堂との恋愛関係も同じだ。見た目だけで付き合ったのはアウト。一緒に不法侵入までしておいて通報したのだから、連続スリーアウト。仕事と人間関係をほぼ同時にスリーアウ卜でチェンジしなければならなくなってしまった。


「ふぅ」やっぱり納得が出来ない。「先に始発で帰るわ。店長さんに宜しく」


「ねえ、坂本さん」沼田佐江子はこちらを振り向かずにいった。「きっと良いことがあるとおもうよ。ラッキー7っていうでしょ」


「ふふふ、どうかしら。私にはアンラッキー7が起きそうな予感しかしないわ」


 ひとり落ち込むしかない思考にとらわれたきり、私は最寄りの駅にむかって歩いた。始発までの静かな町並みから少しずつ人の賑わいのある中央通りまで。


 重い足をひきずるように歩いた。水浸しになった紙の船をなんとかして浮かべることに疲れたような気分だった。今まで、カウンセラーという仕事をして何になったのだろう。


 間違って間違って間違ってばかり。加瀬店長が私の目を覗き込んだ日――。彼は未来も望みもない私の秘密を直視した気がしたのだ。


 だから仮想空間での拷問が本物になった。すくなくともあの瞬間、私は生きていることを実感したのだ。そんな私が誰かの役にたつはずがない。


 駅に近づいたとき、ちょうど夜は明け始め藍色の暁をきる赤光のなかで、中年男性ふたりが酔いつぶれているのが見えた。


「ほら、もうすぐ始発ですよ」酔っ払いを介抱している男に見覚えがあった。偶然にも、私が担当していたアルコール依存症の松本さんだったのだ。


「飲みすぎなんですよ、しっかりしてくださいよ」


「……」私は慌てて身を隠した。彼が、結局はまた酒を飲み歩き、始発を待っている姿を見たくはなかった。男は松本さんの肩にもたれたまま喚いた。


「なんだ、松本ぉ。結局おまえ、一滴も飲んでなかったじゃねぇか。ちくしょう」


「だから言ってるでしょ」松本さんはシラフだった。「ずっとカウンセリングを受けて酒は辞めたんですよ」


「そりゃ聞いたってんだ。カウンセリングじゃなくて拷問セラピーだろ、この野郎ぉ。何で酒をやめちまったんだよ。寂しいじゃねぇか!」


「まあ、ざくっというとそうですけど、それだけじゃないんですよ。丁寧に聞いてくれるカウンセラーがいて、ずっとキッカケが欲しかったんですよ。そんなとき、解決してくれたのが拷問セラピーだったわけで――」


「うるせぃ!」

「もう、飲みすぎですって。さあ、駅までもう少しですから」



 私は電柱の影でじっと聞いていた。ブラウスの袖はボロボロと流れる私の涙でいつのまにかすっかり濡れてしまっていた。


「……ぐすっ」


 いくら拭っても拭っても、涙が止まらなかった。松本さんは、ずっと、ずっとお酒を前にして、一滴も飲まなかったのだ。


「……ぐすっ……ぐすっ。ふ、ふえええぇええぇん、ふえええええん……ぐすっ」


 それが、それが、どれほど凄いことなのか、頭では何も分からないのに……涙が溢れるのを止められなかった。


 私のアンラッキー7がどうなるか、それは加瀬店長に掛かっていると思った。


『なんでもひっくり返しちゃう、そういう人なんです』


 彼女は確かにそういったのだから――。



   〈いよいよ最終回ですね〉



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シャドウバスター萌花 石田宏暁 @nashida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ