第11話

 12



 「……悪い、リリー」


 薬草のにおいが充満する家の中。リリーの家。

 椅子に腰かけ、ブレイルは酷く申し訳なさげに彼女を見上げ、弱った笑みを浮かべ言った。

 そんな彼に、キッチンから姿を現した彼女は、両手にカップを二つ持ち、同じように笑みを浮かべる。

 手に持つカップを彼の前に、並々と注がれたヨモギ色の液体がゆらゆら揺らめく。


 「いいのよ。当然だわ」

 

 机を挟んで反対。彼女はブレイルの正面に座りながら言った。

 紅茶アールグレイの入ったカップを持ち、小さく啜る。

 彼女の様子に、ブレイルは苦笑を浮かべ。溜息。

 

 「はあ……【神】……か。実感わかねぇな……」


 頭の上で手を組んで、そう小さく呟くのである。


 エルシューとの謁見。アレから数時間。

 リリーの誘いで、ブレイルは彼女の家まで戻って来た。

 怒りのままに飛び出した彼をリリーが引き留めてくれたのだ。

 「取り敢えず。気持ちを落ち着かせて、私の家まで行きましょう」――と


 行く場所もなく、その言葉に甘えた訳だが。

 今ブレイルの頭にあるのは、エルシューの事だ。正確に言えば、彼が無責任に自身に頼んで来た【神殺し】。

 理解が追い付かず、手を払いのけ出て来た訳だが。――ブレイルはリリーを見る。


 「……リリーもさ、その……【神】って言う奴、やっぱり困ってるのか?」

 その言葉だけで、リリーの表情は強張った物へと変貌した。

 大きく肩を震わし、紅茶がカップから零れ、机を汚す。目を逸らし、唇を噛みしめ、俯いて。それだけで十分すぎる反応だ。少しの間、リリーは小さく頷いた。


 「え、ええ。……ごめんなさい。口にするもの恐ろしいわ」

 「そう、か」


 其処までの存在なのか。勢いのままに飛び出して来た手前。倒して欲しい【神】とやらが何の神なのかも聞けずじまいであった。聞けたのは特徴だけ。

 出来るなら、もっと情報が欲しかったが。リリーの様子を見るに、彼女は【強大な悪】とやらの話はしたくなさそうだ。リリーのとってはそれ程の存在。

 これはエルシューとの問題。彼女に無理強いをさせるのはしたくない。仕方が無く諦め、机に膝を付き頬杖をする。

 そんなブレイルの様子にリリーは不思議そうに眉を寄せた。


 「……ブレイル、エルシューの頼みを断るつもりなのよね?なのに、どうしてそんなに気にしているの?」

 「――ん?」

 

 ブレイルは金の眼をリリーに向ける。

 彼女の問いは最もだろう。真っすぐに此方を見据える青い瞳に、ブレイルは身体を上げ、同じように真っすぐと見据える。


 「断るとは決めてないだろ?――まだ少し考えたいだけだ」

 「は、え、で、でも!」


 リリーが身体を乗り出す。ソレをブレイルの手が制した。

 さっきエルシューの頼みを断ったじゃない。――そう、彼女が言いたいことは直ぐに察することが出来たからだ。だからこそ、彼女が言い切る前に止めて、首を横に振る。


 「いきなり【神】を殺してくれって頼まれてから、考えさせてくれって言っただけだ」

 「え、いやでも……」


 さっきの彼の言葉は、そんな風には聞こえなかった。ポツリの少女は呟く。

 それほどまでにブレイルの先ほどの迫力は凄まじい物であったのだ。ブレイルは頬を掻いた。


 彼からすれば、今の言葉が全てだ。

 アドニスの様にエルシューの願いをはじき返し、断ろうと決断した訳じゃない。

 【神殺し】なんてそんなに簡単に決めては良い事じゃないと。覚悟も無い自分がおいそれと「任せろ」と言えることじゃないと判断した結果、出した現状の答えに過ぎない。

 正直言えば、勿論エルシューのあまりに無責任な態度に腹が立った、と言う理由も存在しているのだが。


 「――俺にはまだ分からないからさ」

 「分からない?」


 ブレイルはリリーに正直の気持ちを吐露する。


 「正直、リリーたちが困っているのなら助けたいよ。その【倒して欲しい神】は、それほどの存在なのか?」

 「え、ええ。勿論よ!」


 疑問をぶつけるブレイルに、リリーは立ち上がったまま大きく頷く。

 だが、ここからが問題なのだ。ブレイルは眉を寄せ、酷く困った表情を一つ。


 「でもさ、昨日【街】を見て来たけどさ。平和そのものだったぞ?今朝も歩いて来たけどさ。【悪】がいてみんなが困っている風には到底見えなかった」

 「……そ、それは」


 その問いに彼女は見て分るほどに口籠る。

 勢いを無くし、諦めたようにゆっくりと椅子に腰かけ、小さな手がカップを回した。

 俯いて、また唇を噛みしめて、リリーは言う。


 「……みんな慣れちゃっただけよ。本当は、皆怖いと思っているし、怯えているわ」

 「慣れちゃった……か」

 「ええ、だって昔からいる存在ですもの。当たり前に存在して、隣に居て、いつ来るかも分からない恐怖。ソレがエルシューが倒して欲しいと言っていた存在。【神】だもの」


 ブレイルは悩まし気に息を付き、下を向く。

 倒して欲しい存在は【神】であり、加えて不老不死。どれだけ長い年月、この【世界】に存在していたのか。きっとブレイルが考えるよりずっと遥か昔からいる存在なのだろう。


 【生命の神】が、一番に産まれた【神様】が勝てない存在。恐れるのは当たり前で、そんなに長くいたのなら人間なんて諦めが付くのも、また当たり前。この町の平和は諦めから来ているのか。

 いや、だが。昨晩の〖街〗はまた別に見えたが。


 「……じゃあさ、その【悪】ってのはどんな奴なんだよ。見た目じゃなくて、どんな力を持っているんだよ」


 重々しく口を開いた。先程彼女を思って止めた言葉を問いただす。

 ただどんな【神】か、それは直接問えず。だから遠回しに。

 その途端にリリーの表情は強張り、肩が震えだした。

 視線がきょろきょろとせわしなく動き。暫く。目を逸らし、俯くと、彼女は漸くと口を開く。


 「い、言いたくないわ……!」

 「うー、ん……」


 やはりか。腕を組んで唸る様に俯いた。

 どんな力を持ち、どんな神か知らないと手も出せないのだが。

 だが少しして、おずおずとリリーは口を開いた。


 「ブレイルはさ。倒すべき【神】が《悪》と分かったら、倒すの?」

 

 俯いていた顔を上げ、再度彼女を見る。

 その青い瞳は見て分るほどに恐怖に染まり、僅かながらに涙が溜まっているのが目に見えて分かった。

 この瞳は知っている。勇者である彼が元の世界でよく見ていたものだ。


 恐怖に染まった目。

 縋りつき怯える目。

 純粋に助けを求める目。

 期待が詰め込まれた目。


 理不尽な恐怖と、圧倒的な強者に苛まれ、どうしようもない人間の瞳。

 ブレイルは静かに目を閉じる。

 エルシューに対しては正直言えば、今でも腹が立つ。彼の口車に乗って、まるで騙された気分だ。

 しかし、リリーの表情を見て確信もする。此処の住人が【】とやらに、怯え恐れ、困っているのは確かなのだろうと言う事。


 ブレイルにとってはソレで十分だ。彼の決意を決めるには、其れだけで良い。

 リリーと言う人物の反応だけで、収穫は出来た。怯え、縋る彼女の前でブレイルは「にっ」と笑みを湛える。

 震えている彼女の小さな手を取って、きつく握りしめた。


 「それが、本当に俺が倒すべき悪なら倒すよ。【神】だろうが、強かろうが関係ない!――それが俺の、勇者としての役目だ!」


 力強い、ブレイルの表情。

 迷いもなく、真っすぐに見据える金の眼。

 リリーの表情は少しずつと和らいでいく。


 口元に小さな笑みを浮かべて、目に涙を溜めて、そして。


 「なによ!いいわ、期待しないで待ってあげる……!」


 そう、どこか気の強さを交えながら、彼女は大きく頷くのである。


    ◇


 「でも、ブレイル。これからどうするの?」

 一息ついたように、リリーが問う。

 ブレイルは飲もうとしていたお茶の入ったカップを置いて、首を傾げた。


 「コレから?」

 「そう。……貴方の決意は分かったけど。これからどうするつもりなのかなって……」


 リリーが言いたいのは、コレから。

 この情報が無い中で、まだ自分の判断に迷いがある中で、ブレイルはどう動くか……そう問いたいのだろう。

 何となく彼女の言いたいことを察し少年は腕を組む。大きく唸る様に俯いて。悩むわけだが、答えは直ぐに出た。


 「まずは、何にせよ情報収集だろうな」

 「――」


 リリーは酷く青ざめた顔になった。

 ブレイルは慌てたように笑む。


 「リリーからは聞かないよ。言いたくないんだろ?」

 「ご、ごめんなさい……」

 「いいって。無理強いはしたくない」


 笑ったまま言い切って、ブレイルは家の中。

 外の様子が見える窓に視線を向けた。


 「――まずは、その【悪】ってやつに会ってみたい」

 「……え」


 その答えはリリーからすれば、聞き間違いだと思うモノだったろう。

 一瞬唖然とした彼女は、まじまじと少年の顔を見つめ硬直する。

 だが、そんなリリーを前にブレイルは笑みを湛えた。


 「対峙してみたい。どんな奴か知りたい。まずは其れからだ!」


 酷く力強く、新年の籠った口調と笑みで彼は言う。

 硬直していたリリーが僅かに反応を示した。

 「何を言っているの?」「そんな事」「無理に決まっている」――。

 言われなくても分かる、彼女が言いたいのはここあたりだろう。だが、ブレイルはコレを制した。


 「無謀だって事は分かってるよ。でも、やっぱりまだ俺は【悪】の実感が湧かないんだ。だから、いろんな話を聞いて、その【悪】って奴本人に会いたい。会って、確かめたい……!」


 晴々しいほどの金色の眼がリリーを射貫き、迷いなく言の葉を紡ぐ。

 その姿は明るい少年ではなく、また別の。まるで、長い困難を乗り切ったかかのような英雄の眼差しで、リリーはその眼光に何も言えなくなった。

 理解してしまったのだ。自分が何を言おうとも、彼の判断はもう変わらないと。

 リリーは僅かに眼を伏せる。


 「わかった……。好きにしなさい」

 「ああ、好きにさせて貰う!」


 ブレイルは何処までも胸を張って言い切る。 

 その様子は、酷く頼りがいがあって、煌びやかに輝く太陽の様。

 彼だったら、もしかしたら――。リリーは僅かな、期待を胸に抱いた。

 そして、同時に思う。自分が彼に出来る事は何かないか。何かしたい。――そう、思う。

 リリーは笑みを浮かべ。


 「――私は貴方の協力は出来ないけど。この家は好きに使って」


 自分自身で出来る唯一の彼への援助を申し出るのだ。

 ブレイルは一瞬唖然とした、しかしそれもつかの間。再び笑みを浮かべる。


 「良いのか?」

 「ええ、いいわ。父さんの部屋が有るから、もう使ってないし。そこを使って」


 リリーは家の中。一つの部屋を指差す。

 コレが、自分が彼に出来る精一杯の協力。

 

 「サンキュウ、リリー!」


 また太陽の様な笑みを浮かべる勇者の前で、リリーは柔らかく微笑むのであった。


    ◇


 「さて、と」

 ブレイルが、椅子から立ち上がったのは、それからすぐの事だ。

 側に置いてある聖剣を手にすると、まるで待ちきれないと言わんばかりに身体を玄関へ向ける。


 「え、ちょ、どうしたの。ブレイル?」


 勿論だが、コレに驚いたのはリリーで、ひどく驚いた様子で彼女は立ち上がった彼に声を掛けた。

 そんなリリーにブレイルは言う。


 「我慢できそうにないから、さっそく【街】で聞き込みしてくる!」


 ――なんて。

 この発言に意外というべきか、慌てたのはリリーだった。

 立ち上がってブレイルの前に立ちふさがると、彼の腕を取って彼を止める。


 「待ちなさいよ!もう遅いのよ?迷惑よ!」

 「……は?」


 思いがけない言葉に首を傾げたのはブレイルだ。

 彼は窓の外へと視線を向ける。窓から見えるのは相変わらず白い街並み。太陽の光を浴びながらキラキラ輝く昼の【街】。

 これの何所が、遅いと言うのか。どう見てもまだ昼過ぎだ。


 「何言ってんだよ。まだ昼過ぎだろ?」

 「昼って、あ。ああ、そうだったわね」


 反対にリリーはブレイルの言葉に何か気が付いたように声を漏らした。

 彼女がポケットから何かを取り出す。それをブレイルに渡しながら彼女は言う。


 「いい、ブレイル」


 手渡された物を見れば、どうやらソレは時計。

 少しくすんだ銀色の懐中時計で、中を開ければ変哲もない文字盤が一つ。

 秒針と分針、時針の三本が文字盤に取り付けられていて。たが、その下に見たことも無いものが、一つ存在していた。

 左半分が太陽のイラスト、右半分が付きのイラストが描かれた上半月。

 その絵を指し示す様に、小さな金色の針が《夜》の絵を指示していた。――リリーが続ける。


 「いま、この【街】には夜が無いの」

 「――え」


 理解できない言葉を彼女が漏らす。唖然と顔を上げたブレイルに気にせず彼女は言った。


 「嘘の様に思えるかもしれないけど。本当。現に今は夜の6時程よ?今から情報収集は少し遅すぎるわ」


 ――なんて。

 リリーの青い瞳は何処までも真剣に染まり。真っすぐと正直を訴える。

 その中で、ブレイルはやはり理解が出来ず。

 あまりの矛盾に遭遇し、眉を上げて、首を傾げるしか出来なかった。


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