第10話

11



 「こわい、こわいよぉぉ」


 それから何時間程経ったか。何時間も経っていないか、30分ほどか。

 未だに泣きじゃくり続けるエルシューを前にブレイルはげんなりした様子で見つめていた。

 胡坐を掻き、自分の足の上に肘を乗せて、更に掌に頬を乗せて。金の眼に、呆れの色だけを浮かばせて。リリーの膝に蹲ってわんわん泣き続ける、情けない神様の姿を。


 リリーは先程から困った様子でエルシューの頭を撫でて、当のエルシューはチラリとも此方を見ないとか。

 彼は『強大な悪』はいると断言した。その話を続けたいと言うのに、アレから話は全く進まない。

 むしろ、ブレイルが僅かにでも声を掛けようとすれば、更に大声で泣くものだから、お手上げで。こうして呆れた様子で胡坐を掻いて待つしか無いのだ。


 だが、これ、どれだけ待てばいいのだろう。

 目に映る神と名乗った男。あれほど威厳を持ち、神々しかった彼はもういない。

 女の膝に顔を埋めて「怖い、怖い」泣き続ける大の男。その姿は、正に駄神だしんである――。


 「――……いい加減にしろよ!」


 我慢の限界は遂に訪れた。

 その声でエルシューは更に激しく泣くわけだが、此処で引き下がる訳にも行かない。コレが子供や女であったら気を使ったが、相手は大の男だ。もう「情けない」の一言。


 ブレイルは泣き叫ぶエルシューの元によると、その首根っこを掴み上げる。

 エルシューの身体は、簡単にリリーから引きはがされ、鼻水が伝った。リリーが流石に険しい顔をした


 「ち、力強い!」

 「勇者なめんな!」

 

 リリーから引きはがしたエルシューをブレイルは自身の隣へ。

 無理矢理正座させる形で床へと下ろした。

 そのまましゃがみ込み、ブレイルはエルシューの顔を覗き込む。勿論、冷たい視線のままで。


 「――……で、じゃあ本題に入ろうか」

 冷たい口調のままで……。

 わんわん泣いていたエルシューは嘘の様に肩を大きく振るわせ、泣き止んだ。

 ブレイルの顔が余りに怖かったからである。なにせ、視線が語っていたから。


 『これ以上、情けない姿を見せるなら問答無用で殴らせてもらう』――と。

 流石に一度顎に鋭い一発を貰った手前、冗談だとは受け取る事が出来ず。むしろ先ほどより重い一発を貰う可能性の方が高いと感じ取ったらしい。顔は涙や鼻水でぐしゃぐしゃであったが、何度も頷いてエルシューは肯定した。


 「じゃあ、最後の確認だが。本当に《強大な悪》はいるんだな?」


 まずブレイルは先程と同じ問いを、エルシューに投げかけた。コレは問いと言うより、確認だ。

 先ほどのエルシューは恐怖から勢い儘に頷き、肯定している節があったから。少し冷静になったのなら、今度は確定が欲しい。

 そんな勇者の前で白い神は何度も頷いた。


 「い、います!いますから!!『強大な悪』!!」

 

 この答えに、ブレイルは改めて安堵の息を零す。アドニスから既に確認を取っていたが、神からの肯定は更に信憑性を持つと言うモノだ。それならば、次。次の質問である。

 これもアドニスから聞いていた事だ。この世界には「人間の神しかいない」――こちらの情報。

 

 「だが、ある人物から聞いたんだが。この世界には《魔物》の類はいないそうじゃないか」

 「え、う、うん。いないよ。そんな物、此処は人間と神様しかいないもん」


 だがあっさりと此方の問いもエルシューは当たり前に肯定した。

 それも、さも当然だと言わんばかりにだ。勿論だが、ブレイルはコレに顎をしゃくる。エルシューに肯定されたのだ。この世界には本当に《魔物》と言った種族はおらず。人間と神しかいないのだろう。だからこそ、不思議に思う。


 なにせ、ブレイルからすれば《悪》とは《魔物》やソレを率いる《魔王》の事だからである。ソレがいないとなると、いったい誰が《強大な悪》となると言うのか。さっぱり理解出来なかった。

 ――いや、きっと考えたくなかった……と言う方が正しいか。


 「じゃあ、《強大な悪》ってどんな奴だよ。俺の『世界』では《悪》なんて《魔王》だった。違うんだろ?」

 この問いに、エルシューは一瞬キョトンとして、小さく笑った。

 「勿論だよ!《魔王》なんてモノはいないよ?あ、《大魔王》もね!」


 それはジョークのつもりか?イラっときて、思わず拳を作ればエルシューは頭を抱えて謝った。つい……なので、殴る気なんて毛頭ないのだが。エルシューの中でブレイルは暴力勇者としてインプットされたようだ。

 いや、今は無駄な事だ。苦笑を浮かべ怒りを我慢して、目の前の神を見据える。


 「分かったよ、《魔王》はいないんだな。――だったら、《強大な悪》とは何だ?」


 再度、問う。

 この問いに、エルシューは僅かに顔を曇らせた。

 視線を泳がせ、小さく唸る。まるで答えに迷っている様だ。

 彼が口を開いたのは少しして、迷いながらもエルシューはおずおずと口を開く。


 「ええ、と。そうだね……。ま、まあ、僕より強い……かなぁ?」

 「……は?お前、神だよな?」


 出たのは信じられない一言だ。思わず聞き返す。

 エルシューは小さく頷くと、頭を掻いた。


 「か、【神様】だよ。間違いなくね……」

 「その【神様】より、強いって事か?それとも……この【世界】は【神様】が沢山いるんだよな?お前はその【中】で弱いって事か?」

 「ば、馬鹿にしないでよ!僕は強いよぉ!」


 流石に失礼な言葉であったらしい。エルシューは綺麗な顔に不機嫌な表情を浮かべて叫んだ。

 コレに対して、付け加えるように口を開いたのはリリーだ。青い瞳が、エルシューを映した。


 「彼は、人格はアレだけど」

 「――……ええ」

 ちょっと、貶しから入ったが。


 「エルシューはね【原初の神様】なの。確かに【神様】は沢山いるけど。その中でも彼は別格よ」

 「……【原初の神】?」


 リリーは頷く。


 「一番初めに産まれた【神様】よ。一番に生まれ落ちた【生命の神】。彼のおかげで人は産まれた。彼のおかげで生き物は産まれた。彼のおかげで【神】は産まれ、世界をも彼は創り出した。――そう、おとぎ話で言い伝えられているわ」


 ――なんて。

 流石のブレイルも我が耳を疑った。思わずエルシューを見る。

 彼は肯定を口にはしない。ただ、気恥ずかしそうに頭を掻いている。ソレはむしろ肯定に見えた。

 何故エルシューが【生命の神】と呼ばれているか理解し、納得。

 ただ、同時に疑問が浮かぶ。――頭を傾げ、ブレイルは一度リリーを見る。次にエルシューを見た。


 「……俺さ、事前情報で。この『世界を創ったのはもう誰も覚えていない』って聞いたんだけど……」


 それはアドニスから聞いた情報だ。彼は確かに自分にそう、教えてくれた。

 この【世界】が作られたのは大昔。大昔過ぎて、誰が創ったかは誰も覚えておらず、伝え渡ってもいない。――そう、確かに聞き及んだのだが。リリーはその答えに首を傾げた。


 「え?でも昔から、そう言い伝えられているわよ?」


 思わずエルシューを見るが、彼は困った表情を浮かべ頷くばかり。

 ――それならば、アドニスの情報が間違っていたと言う事になるのか。

 ブレイルは首を振る。今はこの会話はあまり必要に感じない。其れよりも今は、倒すべき『悪』についてだ。

 いや、もしリリーの話が本当であるなら、恐ろしい事実が浮き彫りになるが。


 「――……その世界を創った【神様】が敵わない敵って事になるんだよな?」

 この問いに、リリーは目を逸らした。

 エルシューも同じだ。気まずそうに目を逸らして、唇を噛みしめる。

 少しの間、白い神はおずおずと口を開く。


 「そ、うだよ。僕はアイツには勝てない。僕よりも遥かに強い存在なんだ……」

 「何だ、それ」


 嫌な予感が頭を掠める。強まった……の方が正しいか。

 ブレイルの訝しげな表情に気が付いてなのか、エルシューは取り繕う様に声を上げる。


 「よ、容姿はね。覚えているよ?毛先が緑の金色の髪に、十字の入った紫の瞳。で、すっごく小さくて、いっつも青白くって、それでいて分厚い本を持っている!…………だけど」

 「……」


 いきなり倒すべき『悪』の容姿を答えられても困る。

 それよりもこの男、今ぽつりと何か零さなかったか?ブレイルは険しい顔を一つ。彼の肩に手を伸ばす。

 ぎりぎり、ぎりぎり。力が加えられ、怒りが混ざった金の眼がエルシューを責める。


 「……いま、なんて言った?最後の、一言!」

 「いいいいいいい!」


 痛みからか、恐怖からか、涙にくれるエルシュー。

 かたかた震えながら、目を名一派逸らしながら冷や汗を流す。

 それでも、ブレイルの恐怖が勝ったらしい、彼はポツリと呟いた。


 「――……5千年前の姿だけど」

 「役にたたねぇ情報だな!」


 まるっきり意味をなさない姿情報であった。

 しかしだ。エルシューは慌てたように手を振り否定する。ブレイルの手を掴み続ける。


 「そんなことないよ!あいつの姿は変わらないんだ!老いも無いし死も無いから永遠に同じ姿でいつづける!」

 「――……は?」


 だが、エルシューの口から出たのは、到底信じたくない情報。

 老いも無く、死も無い?だから永遠に姿が変わらない?  

 ――そんな存在。思いつく限り一つしか無いのだが。

 嫌、違う。エルシューを言う存在を目の当たりにした時から、危惧していた事だ。


 【神エルシュー】が勝てないと言う存在。

 【神】より強くて、しかい《魔王》でもない、ここで死が無い老いが無いとなれば《人間》でもない。

 そうなれば、思いつく存在は1つしか無いじゃないか。


 「……い、意味が分からないんだけど?じゃ、じゃあそいつは何処に居るんだよ?」

 「しらないよぉ!知っていたら苦労しないさ!」


 次の問いに、エルシューは泣きべそをかきながら頭を横に振った。

 そんなの可笑しいだろう。この【世界】は狭い。毛先が金色で目に十字が入った紫の瞳?そんな特徴的な容姿を持つ人物。なぜ見つからない?コレに対してもエルシューは首を横に振る。


 「僕が見つけられないんだ!人間が見つけられるはずがないだろう!」


 必死に首を振って。そして、遂に彼は勢いのままに、最後の事実を公言する――。



 「あいては僕と同じ【神】なんだぞ!!それも僕より強い【神】!見つけられるはずも勝てる筈も無いじゃないか!!」



 その瞬間、世界の全ての時間が止まった間隔さえ感じた。


  ◇


 「……」

 大きく肩で息をして全てを言い切ったエルシューを前に、ブレイルは愕然と、無言を貫く。

 周りは酷い静寂に包まれ、長い沈黙が何処までも続いた。


 唖然とした様子で金色の眼が紫の瞳を見つめ、まるで真意を探る様に真っすぐ見据える。だが、どれだけ見据えようとも、その神の瞳に嘘偽りと言うモノは一切感じ取れない。

 嫌でも理解する。エルシュー……彼の言葉は全てが事実であると言う事が。


 最初にブレイルが起こした行動は、後ろのリリーに視線を向けると言う行動であった。

 彼女は最後まで『悪』はいないと拒んでいた。だが、いつもその顔を声には恐れを抱いており、何かあるのだろうと感じ取っていたが。理解する。――そりゃ、関わりたくもない、言いたくもない訳だ。


 アドニスや、エルシューの言う通り『強大な悪』とやらは確かに存在する。

 だが、ソレは《魔王》なんて物じゃなく。もっと上の存在……【神】そう呼ばれる人間の領域など軽く超えるような存在なのだから。少なくとも不老不死と言う点を考えるだけで、人間よりもはるかに上。


 いや……。不老不死なんてモノをどうやって倒せと言うのだ……?

 そもそも、目の前の【生命の神】が太刀打ちできないと言う、存在であるのに?

 

 ――ちがう。そこじゃない。

 問題は其処じゃない。【神】が太刀打ちできない存在だからじゃない。

 

 ブレイルは、ふらりと立ち上がる。無言のままに、エルシューに背を向けた。

 その様子に、慌てたように手を伸ばすのはエルシューである。ブレイルの様子が可笑しいと気が付き、なにか察したように、縋るように彼のズボンの裾を掴む。


 「ま、まって!」

 「離せ……」

 「ま、まさか、話を聞いて見捨てる気なのかい!」


 エルシューが非難の混ざった声を振り上げる。

 実に身勝手な一言だ。

 『強大な悪』なんて随分と大雑把な例えをして、実際の所はその正体を此処に来るまで一切明かさなかった。実に腹立たしい、の一言でしか無く。正に後出しじゃんけん。


 ブレイルの拳がわなわな震える。


 「酷いよ!助けておくれよ!」


 情けない声が必死に引き留める。未だに情けなく紫の瞳に沢山の涙を溜めて、縋りつく。

 その姿は最初にあった彼と比べれば、本当に「情けない」の一言で。いや情けないなんて言葉はとうに通り越した。

 実に身勝手。身勝手を具現化したような【神】だ。ブレイルは歯を噛みしめる。


 「なんで、助けてくれないんだよ!」


 まるで非難が混ざる声。

 もう我慢も出来ずに、ブレイルは振り返った。

 身体を屈め、縋りつく白い男の手を振り払う。


 金色の眼がエルシューを睨み上げ、怒りに染まり切り。

 情けない【神】に言葉を放つ。

 拒絶にも似た、たった今出した自身の答えを、叩きつける。


 「馬鹿か!!お前は俺に【神殺し】を依頼しているんだぞ!?俺の世界は確かに《神》はもう居なかったが、信仰は在る。神を殺したらどうなるかも分からない!はい、そうですか……って引き受けられるはずがないだろう!!!」


 その言葉は、白い時計塔に酷く轟き。狭い空間に響き渡った。

 エルシューの紫の瞳が大きく開かれ、側に居たリリーだって驚いた様子でブレイルを見つめる。


 金の瞳が、エルシューを映したのはソレが最後だ。

 手に持つ聖剣を背中に差し直し、ブレイルは踵を返したように時計塔の入口へと歩みを進めた。

 ただ、最後。入口の前に立ち止まって、振り返る事もなく。言うべき言伝を彼に送る。


 「それからな、アドニスって奴から伝言だ。――お前の手助けはしないとよ。下らない事に巻き込むなって怒っていたぜ?」


 今なら気持ちわかるよ。――ソレを本当に最後に。

 ブレイルは、白い時計塔を後にするのであった。



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