第9話

10


 この白亜の【街】は極めて広い。

 端から端まで歩くとすれば数日は掛かり、所々細かく“区間”が定められている。

この区間は、所謂国同士の境界線と表せば分かりやすいだろうか。

 どうしてそんな“区間モノ”があるかと問われれば、コレはとても簡単な事で、その“区間”一つ一つが、それぞれ【神様】が治めている土地であり、“国”であるのだ。


 早い話、この【異世界】は酷く小さいと言う事。

【神様】が沢山いるのに、【世界】の大きさは東京都一つ分しかなく。その都市一つ分をバラバラ区間にして、様々な【神様】達が自分の“区間”と言い張っている訳である。


 そんな小さな【異世界】の南東。【街】の端の端。

 無駄に白に作られた白煉瓦の街こそが【生命の神エルシュー】が治める“エルシューがい”と呼ばれる“国”であり、国の中心にあるこれまた立派に天に聳え立つ白亜の時計塔こそが、【神】が住まう住居であった。


 「……随分小さい世界なんだな」

 「そうなの?あたしには分からないわ。産まれた時からだもの。ブレイルの世界はもっと広いの?」

 「ああ、この【街】みたいな場所が幾つもあって、沢山の人間が住んでいるぜ。《街》じゃなくて《国》って呼ばれているけどな」

 「ええ、そんなウソだわ!」


 そのエルシューが住まう時計塔。

 ブレイルはリリーに連れられ、白に塗り固められ所々に華が飾られた螺子階段の頂上を目指す。

 楽しそうに笑うリリーと反対に、ブレイルは僅かに呆れた表情を浮かべながら談笑していた。

 聞けば聞くほど信じられない【世界】だ。


 まず、驚くほどに小さい。当たり前だろう【街】1つが【異世界】だったなんて誰が思えようか。端から端まで歩けば数日。

 ブレイルからすれば、ソレは確かに《街》であったら大きいが、《国》であったら普通な大きさでしかなく。ましてや《世界》一つ分の大きさであるなら、言うまでもない。


 次に、そんな小さな【街】には、沢山の【神様】が住まい。【街】を分割して、其々自分の“国”と名乗っているとか。いや、居場所が【街】しか無いのだ。

 神様の威厳とか色々あるのかもしれないが。何せ、【神様】をこれでもかと、詰め込んで詰め込みまくった【世界】である事は十二分に理解出来た。


 そして、この【異世界】に、沢山の【神々】が住まうこの【街】に、『強大な悪』と呼ばれる存在が居る事は、どうしても想像が出来ない。

 昨晩、アドニスは「居る」と断言し、ソレで安堵を浮かべたが。リリーの話を聞く限り、到底信じられないモノに成り下がるには十分すぎる情報だった。


 だって、【神々】がいるのだろう?ブレイルにとって《神》とは人の力を簡単に凌駕する存在。【彼ら】が倒せない悪とは?


 それ以前に、【街】に暮らす人は皆笑顔。この時計塔に来るまでに何人もの人とすれ違ったが、怯えている様子の人物は一人としておらず。その上、悪とやらの話題を口にする住民も一人として居ない。隠れ住んでいるのか?


 いや、そもそもと思う。『強大な悪』とやらがこの小さな【街】に居るとして。どうやって、こんな小さな【世界】で隠れ住める事が出来ると言うのだ。


 だからどんなに考えても『強大な悪』のイメージが浮かばない。

 正直、やはり騙されたと、考える方がしっくり来てしまう。


 そんな不安を胸に抱いたまま、ブレイルはリリーの後を追う。彼女にもう何度目かの問いを投げかけたのは、あと少しで頂上といった時の事か。


 「なあ、リリー。本当に、魔王とか、いないんだよな?」

 「……ええ、いないわよ」

 リリーはハッキリ言い切る。もう一度、問う。

 「本当に、強大な悪はいないんだな?」

 「もう、だからエルシューに聞きなさいって言ってるでしょう!」

 あまりにブレイルがしつこく迫った為か、リリーはきつめの口調で言い返した。


 何故だろうか、そのリリーの口調には強い拒絶も混ざっているように感じ取れたのは。

 これ以上はブレイルも問いただすのは躊躇い、口を閉ざす。


 2人の間に静寂が流れる。

 バツが悪そうに、リリーが口を開いたのは少ししてから。

 階段を上り切った先、豪奢な白い大きな扉の前に着いた時だ。


 リリーはそばかすだらけの顔に、精一杯の笑みを浮かべてブレイルを見た。


 「この先よ。エルシューがいるわ」

 「あ、ああ」


 ブレイルはその言葉を聞いて思わずと生唾を飲み込んだ。

 この先にあの神々しい【神】がいて、コレから再会するわけか。正直な所、まだ覚悟が決まっていない。正確に言えば、面と向かって会う覚悟は決めた。彼には言いたいことが山ほどある。ただ、この問いかけを【神】にぶつける覚悟が出来ていない。

 

 何せ、ブレイルがエルシューに言いたい事と言うのは、《神》に対したら、どう考えても失礼不敬の一言でしか無いから。だが、問いたださなければ、この先に進もうにも進められない。


 「じゃあ、開けるわね」


 そして、ブレイルの出来てない覚悟なんて、リリーは知らぬ存ぜぬ。

 彼女は勢いよく、迷う事無く。目前の豪奢な白い扉に手を掛け、ノック1つすることも無く、音を立てて開くのであった。


 扉が開いた瞬間に、まばゆい光が螺子階段に差し込んだ。

 部屋の中が露わになる。


 広さは10畳ほどか、白い壁に白い床、天井まで白い。何処までも真っ白な部屋。

 だが、広い部屋であるモノの、中には家具と呼べるものは存在してない。

 部屋中の壁と言う壁には彩の花が飾られ、部屋の奥には大きな煌びやかなステンドグラスが一つ。

 その手前に置かれた唯一の家具と呼べるのだろうか、金色の玉座があって。


 かの男は、その金色の玉座に深々と腰かけていたのである。

 ブレイルの視線は嫌でも男に向かう。


 あの時と変わらない、絹のような異様なまでに白い肌に、艶やかな白髪の部屋に負けず劣らずの白い好青年。

 やはりいつ見ても、どう見ても、人間には到底見えない、思わずブレイルですら見惚れてしまう、その【神】に。


 「――やあ、よく来たね」


 目の前の神が、椅子の手すりに肘を付き手の甲に頬を乗せながら、優雅に口を開いた。煌々とした紫の瞳は深い慈愛を滲ませ、口元に湛える柔らかな笑みは慈悲が浮かんでいる。


 酷く親しげな【彼】と裏腹に、ブレイルは立ち尽くし口を閉ざす。

 あまりに神々しい【彼】の前で、余りに強い不敬感が襲って来たのだ。本当に、この【神】と対話をしても良いものかと。


 「エルシュー、昨日振りね!」


 リリーはそんなブレイルに気が付いていないのか、親しげに、まるで友人のソレの様な感覚で中に入っていく。

 いや、むしろそんな気軽に声を掛けに行けるリリーが不思議でならない。

 もう少し低姿勢と言うか、謙虚に接しなければ失礼に当たるんじゃないか。神罰とか、大丈夫?


 ブレイルは自分でも重々理解しているほどに、人を選ばず接する無遠慮の分類だ。誰にだって、分け隔てなく親しげに接する事が出来ると自負しているのだが。

 今そんな彼の頭を、であれば絶対に考えもしない思考が頭を掠めている。


 僅かに眉を顰め、目を閉じて思い悩む。

 リリーはこの【異世界】の住人だ。産まれた時からこの世界に居る訳だし。そんな彼女が【神】と当たり前に接してきたのは至極当たり前の日常であったかもしれない。


 昨日であった時から、彼女は何処かエルシューと親しげな様子であったし。呼び捨てで、しかし信頼している様子もあった。

 もしかしたら、《神々》が普通にいるこの世界ではリリーの様な、反応が普通なのかも。ここは下手に出ない方が良い可能性もある。


 ――だが。

 長考の末、ブレイルが心の底から溜息を一つ零した。

 仕方が無いと言わんばかりに、背にある聖剣を手に取り、横へ。

 背筋を伸ばし、胸を張ると、堂々とした様子で謁見の間へと足を踏み入れた。

 数歩前に進んだところで、ブレイルは片膝を付く。

 聖剣は直ぐ横に置いて、彼は真っすぐにエルシューを見据えるのだ。


 「――神エルシューよ。此度の謁見、感謝する」


 その物腰、口から出る言の葉は、威風堂々と。まるで騎士か、正に勇者の様。

 金の眼に射貫かれ、エルシューの瞳は大きく開かれ、リリーもぽかんと唖然とした表情。

 そんな二人の視線に気が付きながらも、ブレイルは態度を崩すことなく、続けた。


 「して、今日は貴殿に幾つか聞きたい件があって参った次第だ。話を聞いていただけるだろうか」

 「ちょ、ちょっと。ぶ、ブレイル」


 リリーが困惑の声を上げて来たが気にかける事はしない。

 様子見は大事、無駄と思っていても低姿勢で行け。お前はタダでさえ直情型で無鉄砲なのだから、偉いと言われている奴には第一印象だけでも勇者らしくあれ――。

 と、仲間から散々嫌身にも近い小言と、王女が厳しく礼儀作法を教えてくれた甲斐が此処で発揮された。


 「い、いや、あのぉ……」


 ブレイルのこの反応に、困惑した声を上げたモノがもう一人いる。

 白い手を、およおよと上げて、綺麗な顔を嘘の様にあわあわさせて、おずおずと言う様に、玉座から男は立ち上がった。

 ――【神】、エルシューは今までの威厳が嘘の様に、困り顔でブレイルに足早で近づいて来た訳である。


 「あ、あのね、えっと、ぶ、ブレイル君?」

 

 どうも情けない声色で、あわあわ。傅くブレイルの前で、両膝を付き。なんだか、ふわふわした笑みを浮かべた。


 「ど、どうしたの。やめてよ。そんな威厳がある人にするような行動」

 

 【神】が言っても良いものだろうか。なんて疑問に感じる一言。

 たった今威厳と言うモノが消え去ったのだが、エルシューは気が付いていないだろう。


 リリーが未だにブレイルにしか驚いてない光景から、この神は普段から変わらず、こんな緩やかな性格なのではないかと判断する。

 それでもブレイルは様子を横目で見つつも、今の雰囲気を壊すことなく言葉をつづけた。


 「いや、貴方は世界の【神】であらせられるのでしょう。……俺なんかが、おいそれと会話しても良い相手ではありません」


 まだ戻らぬ彼の佇まい。その言葉にエルシューが眉を下げ、人が好さそうな笑みを、むしろ困り切ったなぁ、と言わんばかりの浮かべたのは次の時だ。


 「そ、そんなこと無いよぉ?アレだよ、僕、そんなに威厳がある【神様】じゃないからさぁ」

 何処か照れた顔。普段あまり、持ち上げられることが無いと見えた。

 

 「皆ため口だし?【街】一番の親しみやすーい。【神様】だからさぁ」

 プラス、勝手に人を呼んでおいて捨て置く、無責任な【神】である。

 

 「だから、ね。そんな畏まらないで」

 「……では、無礼講であると?」


 漸くブレイルが口を開く。冷めた金の眼に柔らかな笑みを湛えるエルシューの顔を映して。この瞳と、言葉でリリーが何かに察した様子を見せるが、本人は全く気が付かない。


 冷めた眼だけじゃなくて、きつく作られた拳とか。怒りで震える拳とか。今にも振り上げられそうな拳とか。

 気が付かないまま、肯定するかのように笑顔のまま、頷くのだ。


 「そうそう無礼講だよ、無礼講!むしろ、硬すぎて怖いよ?」

 「……そう、ですか」

 「うんうん。ほら、出会った時の君で僕は充分だからさ!」

 「普段の俺で良い?」

 「ああ!勿論!」


 ほう、なるほど。なるほどな。

 ――確認は取った。

 どうやらこの【神】は、取り繕う必要は一切ないらしい。

 ありのままのブレイルで良いようだ。ああ、それは良かった。


 「そう、か……。だったら」


 つまりだ。ブレイルは左手をエルシューの肩に置く。

 つまりだが――。


 「だったら、一発殴らせてもらう!」

 「へ――?」

 

 ブレイルは、容赦もなく膝を付いたまま、拳を振り上げると言う事だ。

 彼が放ったアッパーは見事なまでに炸裂し、拳はその白い顎の下にめり込ませるのである。


 ソレはもう華麗の一言でしかなく、いやむしろ即死だろうと言うレベルの一発で、エルシューの細い身体は軽々と跳び上がり。スローモーション、3カメごとく宙を舞い。

 綺麗に舞った後は、反転して無様に白い身体は地へと叩きつけられるのであった。


      ◇ 

 

 「い――ってぇええ!!!」


 白い影が地に潰れ落ちた直後、ブレイルは絶叫にも似た声を上げた。

 たった今、男一人を殴り飛ばした手を押さえ、悶絶する。

 がくりと身体を倒して、ソレはもう痛みに震え絶句し、涙目になって。

 

 「何だよ、なんでそんなに固いんだよ!!」

 硬かった。硬かったのだ、本当に。吃驚するぐらい。鍛え上げた大の男が本気で殴って、転げまわるぐらいに【神】は硬かった訳である。それは岩以上の肩さと言えよう。

 そして、更に悶絶する人物がもう一人。


 「いっだぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!!」


 ブレイルの視線の先で、ごろごろ転がり回りながら、エルシューは絶叫を上げるのである。いや、当たり前だが。

 なにせ、顎にもろにアッパーを食らった訳だ。それも『異世界』で名が通った勇者の渾身の一撃を。いや、相手が勇者でなかろうと、何であろうと構わない、痛いは痛いに決まっている。

 

 「なにするんだよぉぉぉぉ!!!」

 そして、白い神は転げまわりながら、顎を押さえつけながら苦痛に塗れた絶叫にも似た言葉を、滝の様な涙と共に放つのだ。


 「な、にするんだよ……じゃねえ!!無礼講、正当な権利だ!!」


 だが、ブレイルも負けない。

 負けじと声を荒げる。


 「てめぇ、人の事を騙しやがって!」

 「だ、だます!?」

 「聞いたぞ、《強大な悪》なんていないってな!」


 勢いのままに、指を差したのは側で呆然と佇んでいるリリーだ。

 彼女から聞いた、事実をそのまま口にし、ブレイルは怒りをぶつける。

 エルシューの顔が泣きべそをかきながら、疑問の表情に変わっていったのは瞬時の事。まるでブレイルの言葉の意味が分からないと言わんばかりの色を見せ、泣きながら手を此方に向けた。

 

 「あ、あのブレイル君……僕は――」

 「お前の事はリリーから聞いた!手あたり次第適当な理由を付けて『異世界』から人を連れて来ている問題児だってな!」


 リリーは、ここでバツが悪そうに。だが勢いよく注がれたエルシューに向かって必死に首を振る。

 2人の様子を見ても、ブレイルは止まらない。ずかずかとエルシューに歩み寄ると、無遠慮にその胸倉に手を伸ばす。そして、軽々と細い白い身体を掴み上げるのだ。


 「言っておくぞ、エルシュー!」


 金の眼に殺気を滾らせて、ブレイルは言う。エルシューの顔が情けない色合いになり、滝の様な涙を流し始めても止めはしない。勢いに任せるように、最後の言葉を叩きつける。


 「お前の返答しだいじゃ、俺は元の世界に帰させてもらう!!もう一度聞くぞ!《強大な悪》とやらは本当に要るんだろうな!!!!」


 アドニスから貰った答えは勿論覚えている。

 この世界には確かに「悪はいる」と言う事実。


 それでもエルシューと言う、存在からちゃんとした答えを貰わなければ、気が済まない。いったいどんな悪で、何故倒して欲しいのか。

 この明確な答えを、彼の口から聞かない限り、ブレイルは彼の望みを叶える事はしないと心に決めたのだから。


 ブレイルの金眼に射貫かれ、紫の瞳が涙でぐしゃぐしゃとなった。眉を下げ、鼻水を流して、身体をぶるぶるふるわせて。それでも、エルシューが口を開いたのは、少しして。

 まるで絞り出すような声を、それでも。

 

 「……い、いるよぉぉ!!いますからぁぁぁぁ!!!」


 もう情けないを通り過ぎてしまったが、それでもエルシューは「いる」と肯定。

 その直後、大きな声でまるで幼い子供、嫌赤ん坊の様に大きく泣きじゃくるのであった。


 

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