第4話
5
「ここです、入ってください」
〖夜街〗に戻って来てから、直ぐ。正に路地から出てすぐの事。
ブレイルの背で、【少女】が目の前の建物に指を差した。
【彼女】の自宅か?案外近いんだな、なんて思い。顔を上げ、建物を確認する。
「……本当にここか?」
だが、そこはどう見ても古ぼけた廃墟。思わずブレイルは【少女】に問いかけてしまった。
「はい、私のねぐらです……」
裏腹に【彼女】は直ぐに肯定してしまったが。
しかし、《ねぐら》とな?ブレイルはもう一度廃墟を見上げる。
白煉瓦でつくられていながら、彼方此方が崩れボロボロになった外装。屋根も勿論ボロボロで、それどころか蔦が生い茂り屋根から覆いかぶさるように伸びている。やはりどう見ても、人が住んで居るとは思えない。
ただ、周りの建物と比べれば随分と豪奢な作りのお屋敷であるが。
ブレイルは訝しげに【少女】に視線を送った。
【彼女】は何も言わない。ただ、フードの下から早くしてくれと言う催促が聞こえてくるのは、分かる。
溜息を一つ。ブレイルはお屋敷に足を延ばして、その扉の前へと立った。
罅だらけの扉。錆び付いたドアノブ。
鍵が掛かっているんじゃないか、そう思い、ドアノブに手を伸ばし捻る。だが、廃墟に鍵はかかっておらず、扉は「ぎぃ」と音を立て、開いた。
戸が開くと同時に鼻に付くのは酷い埃の匂いと、黴臭く、古い紙の匂い。
更に扉を大きく開いて、中を確認すると、薄ぼんやりとした部屋の中で赤い光が揺らめいているのが見える。それが
その明かりのおかげで中の様子が垣間見えた。小さな明かりでも嫌でも分かるほどに、ありとあらゆる場所に敷き詰められた本。壁に埋め込まれた本棚と、床に散らばる無数の本。その様子から判断する。この廃墟は《元図書館》ではないかと。
「あそこに降ろしてください」
【少女】は後ろから指を差す。その先には木箱が一つあった。どうやら、その側に降ろして欲しいとの事らしい。
「わかった、あそこだな」
あの場所に降ろして欲しいと言うのなら承諾するしかない。
ブレイルは屋敷の中に入る。ばたんと音を立て、扉を閉めれば、外の露店明かりが遮断されたからか屋敷の中は更に暗くなった。だが、困ると言う程でもなく、不気味さは有る物の何故か酷く居心地の良さすら感じる不思議な空間だ。
指示通りに【彼女】を木箱の側に座らせる。
筒を大事そうに抱いたまま少女は、身を丸めると漸く小さくブレイルにお辞儀。
「ありがとうございます」
「いいって、俺が怪我させたもんだし」
正直、彼女が怪我をしたのは撥ね飛ばしたブレイルの責任だ。
まだあの化け物の事は気になるが、今は【彼女】が無事であるならそれでよい。
それよりも、と。ブレイルは先程から【彼女】が大事そうに抱いている筒の方が気になって仕方が無かった。
「あのさ、その」
「……今日はここに泊まっていってください」
声を掛けようとすれば、【彼女】の遮る声。
見下ろせば【少女】が側にあった木箱の中から真新しい毛布を取り出して、此方に差し出しているのが分かった。
「い、や」
「案内は明日しますから……」
ブレイルが毛布を受け取るのを躊躇していると、【彼女】は有無を言わさず、毛布をブレイルの足元に置く。ここで漸く【彼女】の真意を理解する。
ああ、なるほど、先ほどまで道案内しようとしてくれていたのか――と。
いやあの路地はすぐそこなので、ブレイル一人でも行けるは行けるのだが。だが、此処まで連れて来た手前【彼女】を一人にすることも出来ず。ブレイルはまた頭を掻いて、何かを考える。
「わかった、じゃあ泊まらせてもらうよ!」
決めたのは、【彼女】の厚意に甘える事であった。
ブレイルはそのまま、あたりを見渡す。見渡す限り本の山。何処かスキマが無いか、横になれそうな場所は無いか、探し出す。
「……あの、それから、これ……」
【少女】が、おずおずと、何処か申し訳なさそうな声色で声を掛けて来たのは丁度その時。
ブレイルは辺りを見渡すのを止め、不思議そうに【彼女】に視線を戻した。
【少女】が差し出しているのは、先程から大事そうに抱きしめていた筒。
ブレイルも先ほどからずっと気になっていた代物だ。それを【彼女】が此方に向けている。くすんだ金の糸で編まれた布、それに包まれた筒状の物体を見下ろす。
「……なんだ?」
「貴方のです……もっと早くに……返しておくべきでした」
問えばもごもご呟く。
ブレイルは布に手を伸ばす。僅かに布をめくった、その瞬間だった。ブレイルの目の色が変わり、息を呑んだのは。
僅かに布をめくっただけで周りが清廉に包み込まれ、澄んだ空気が広がる。布の下からでもその物体が淡く輝くのが露わとなり、唯の一目で【彼女】が差し出した筒の正体に察しがついた。
いや、実は最初から、そうじゃないかと先ほどから考えていた物だった。
引きちぎらん勢いで、布をはぎ取る。彼の目に映ったのは、鮮やかな文様が描かれた淡く輝く銀色の刀身。金細工で形造られた二対の鷲がモデルとなった柄に、柄頭に瑠璃色の宝石が埋め込まれた白銀の剣。
それは紛れもない、ブレイルの聖剣そのものだ。
「俺のだ!」
気が付いていたと言うのに、思わず歓喜の声を上げた。
包んでいた布が音を立てて床に落ち、淡く輝く聖剣の全体が姿を現す。ブレイルが、柄に触れたその瞬間に、彼に答えるかのように聖剣は更に輝きを増し、本物と証明するように、淡く光を放ち続ける。
いや、そんな事をせずとも、この聖剣を一目見た時からブレイルは
彼は魔王討伐を果たし、初めて英雄と認められようとしていた訳だが。
実の所、《勇者》という逸材を選ぶのは、この神が造ったとされる聖剣である。
滅ぼすべき悪が現れた際、
そして、聖剣に選ばれた勇者と
それは紛れもない事実で、ブレイルは彼の存在をしっかりと今まで感じ取る事が出来ていた訳だし、
だから、ブレイルは彼の事を心配していなかったのだが、大事な剣が戻って来たのは実に喜ばしい事。だから、喜びのままに戻って来た相棒を胸に、彼を抱きしめるとブレイルは目に見えて歓喜を露わにしたのだ。
「お前が見つけてくれたのか!」
ブレイルは顔を上げて、目の前の【少女】に問う。【彼女】は無言のままに小さく頷き肯定。ただ、酷く申し訳なさげに俯くばかり。
おそらくだが、先程の事を気にしているのだろう。
あの化け物と対峙した時、この聖剣は【彼女】の腕の中にあった。あの時は気づいておらず、ブレイルは化け物を《魔法》と素手で退治したわけだが、あの時もっと早く返していれば――なんて思っているのかもしれない。
だが正直、ブレイルには大して問題にならない些細な物だった。
無事に【彼女】は守れたわけだし、ブレイルも多少汚れただけで怪我はしていない。
むしろこの聖剣が手元に戻って来たのだ。それだけでブレイルにとって十二分で。
そんな聖剣を大事に抱えて、守ってくれていた彼女には感謝しか無いし。いいや、それどころか、彼女と言う
だからこそ、後先考えずにブレイルは、感情のままに目の前の【少女】へ腕を伸ばしたのである。
「ありがとうな!」
「――!?」
腕に閉じ込める《少女》とは到底思えない身体。感謝から来る抱擁。
黒い影が大きく跳ね上がる。目に見えて【少女】は困惑しているのだが、ブレイルは一切気が付かない。
申し訳なさげだった【少女】のフード下の顔は、みるみるうちに恐怖に染まり切り。黒い瞳が、ブレイルを睨み上げたのだが、残念なことにブレイルは此方も気が付かなかった。
ただ
「おい、変態」
ブレイルの肩が思い切り引き寄せられ、【彼女】から引きはがされたのは、抱き着いて1分も経たないうちであったが。
低い声と共に後ろに思い切り引っ張られ、ブレイルの身体は床に叩きつけられる。
音を立て尻餅をついたと同時、金色の眼に映ったのは舞う黒いコート。一瞬贈られたのは鋭い黒い殺気。かつんと足音を立てて、その真っ黒な影はブレイルと【少女】の間に割って入った。
思い切り叩きつけられた腰を撫でながら、ブレイルは眉を顰めつつ顔を上げる。
「なにするんだ!」
「なにする?それは【彼女】のセリフだと思うが?それとも、13そこらのガキに抱き付くなんてお前はロリコンか?」
暴言とも呼べる正論にブレイルは思わず口を噤む。
それは、確かにその通りだ。感情が高ぶって身体が勝手に動くままに目の前の【少女】に抱き付いてしまったが、普通に考えれば失礼である。
良く見れば、男の後ろからこちらを見下ろす【少女】の視線は何処か冷たい。慌てたように手を前に翳し、大慌ての様子で手を振った。
「わ、わるい!ちがう!そう言うつもりじゃないから!」
「どちらにしても質が悪いな。自覚があってしでかした事ならロリコン、無自覚であるなら考えなしの変態だ」
「う……」
容赦なく目の前の男の暴言がブレイルに突き刺さる。言い返せないがまた辛い。此処は素直に正座をして、謝罪の一択しかないだろう。
しかし、謝罪を行う前にブレイルは改めて目の前の男を見上げる。
此方を見下ろしていたのは、2mは超えるのではないかと思える程の高身長の男。
歳はおそらく30代ほどだ。形の良い眉に、筋の通った高い鼻。吊り上がった眼は鋭く、男らしく目鼻が整いはっきりとした顔立ち。白いシャツに黒いデニムと黒のコートを纏い、服の上からでもバランスよく鍛えられた筋肉がくっきりと浮かび上がる、誰もが認めるような
ただ、その眼は光の無い何処までも暗闇に染め上げ、常闇のような黒曜石の色にブレイルを無感情で映し撮っているのである。いや、感情ならあるか。心の底から訝しげな、汚物を見るような冷たく冷めきった感情が。
彼だけじゃない、後ろの【少女】からも同等の視線が送られている。
どうやらと此処で本当に理解する。性別不明のこの【少女】。
2人の様子から【この子】は確かに《少女》であるのには違いないと。
ブレイルは、理解したうえで、漸くと【彼女】に向け、今度は喜びから一転、深々と頭を下げたのであった。
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