第3話


   4



 その後の結末なんて実に呆気ない物だった。

 ブレイルが男を釈放すれば、盗みを働いた二人は本当に謝罪を言葉にし、金銭を払ったからという理由で解放。

 当たり前の様に街中に消えていき、コレを追い咎めるような町民たちは誰一人としておらず。ブレイルは肩透かしを食らった訳である。


 そればかりか、2人が消えれば当たり前の様に先ほどと変わらない賑やかさを取り戻して。被疑者であるはずの果物屋の店主も、何事も無かったかのように商売を再開し、笑顔で接客に当たる。


 「どんな街だよ……」

 「そうですね、申し訳ございませんでした」

 ぽつり、呟けば隣にいた【少女】が肯定する。

 「でもアレが彼らの日常なのです。むしろ貴方の行いの彼らは困惑していました」

 続けて、まるで非難にも似た助言。ブレイルは理解が出来ず首を傾げる。

 「あれが、日常?俺の行動に困惑?」

 「ええ。この〘夜街ミイシャ〙では犯罪は日常茶飯事。止める者もいませんから」

 「……」」


 あえてもう一度指摘ツッコミをしたい。そんな街だよ……と。

 いや、ブレイルは側に立つその【彼女】にも訝しげな表情を贈る訳だが。


 「――お前ってさ」

 「では、着いて来て下さい」


 もう一度声を掛けようとすれば、【少女】がクルリと踵を返す。そして、一言。先ほどと変わりなく、大きな筒を抱いたまま歩み出したのである。

 コレに、勿論だがブレイルは困惑の色を浮かべた。

 呆然と見ていると、少女はその場から3mばかし離れた建物の前で止まる。黒いフードの視線がブレイルに向けられ、何も発することは無かったが、その様子を見れば嫌でも彼女が言いたいことが理解できる。

 つまり、「此方に来い」と言う事。


 ブレイルは頭を掻く。

 何となくだが、アレは彼女なりの厚意に思えたからだ。ソレを無下にできる訳でもなく、小さなため息を一つ。足早に【彼女】の元へと走り寄った。


 彼が側迄走り寄って来たのを確認すれば、【少女】は無言のまま、歩みを再開。静かな足音が響き、彼女は更に数メートル先へと進む。


 「どこへ行くんだ?」


 そう、問いただしても【少女】は何も言わない。

 一瞬ちらりと視線を後ろのブレイルに飛ばしたかと思いきや、直ぐに目を逸らし、歩み続ける。

 アレだろうか、極度の人見知りと言う奴。出来れば彼女からも出来る限りの話を聞いてみたいのだが。その少年のような背からは、話しかけるな。オーラ―が醸し出ている。

 どうした物かと、思いつつ彼女の後を追うのだが、その足はある路地へと曲がり入入る。ブレイルも続けて路地へと入った。

 路地は狭い物だ。幅1m程しかない。2人横に並んでは到底無理だ。


 ふと、その奥。ブレイルは首を傾げた。

 路地のその先、この細い道の出口。出口ソレが見えたのだ。ただ、何かが可笑しい。何だろうと首を傾げて考える。

  

 「あれ?なんであんなに明るいんだ?」

 気が付いた疑問を素直に口にした。


 そう、あの路地の先、この道の出口に当たる場所、そこから差し込む光が異様なまでに明るいのだ。そう、それはまるで太陽が煌めく朝や昼の様。

 だが可笑しい。ブレイルは後ろを振り返る。いや、次の瞬間我が目を疑った。

 路地の後ろ入ってきた入り口。そこからも、前に見える出口と同じように明るい太陽の光が此方を照らしていたのだから。


 むしろ、つい先ほどまでの〖夜街〗の方が幻であったように。

 「おい、これは――」


 あまりの事に、ブレイルは【少女】に視線を戻す。

 これはどうなっているんだと、そう問いかけるつもりで。


 「――あ」

 彼女が、小さな驚愕にも似た声を上げたのは正にその時。

 目の前の黒い影が足を止める。今まで路地に入っていた眩い光が暗い何かに遮られている。何かが、出口の前に立ちふさがったようだ。それも明るい光がこうも簡単に無くなるほどに大きい何かが。


 目の前の【少女】が顔を上げているのが分かった。ブレイルも釣られて顔を上げる。

 

 「――は、あ?」


 言葉が、息が詰まったのは瞬間の事。

 今、2人の前に聳え立つ大きな影。三mは有る巨体の、緑の、ぶくぶくの――化け物。

 ぎょろぎょろ、6つの目玉がぐりぐり動きながら、ソレは此方を見下ろしていた。


    ◇


 その肌は気持ち悪い程におどろおどろしい緑の色。

 緑の肌は、ぶくぶく、肌が盛り上がり破裂して、まるで毒沼の様。


 身体はぐちゃぐちゃ、右肩からは妙に細い三本の腕が伸び、左肩は千切れた腕が二本。足は4本、潰れた3本の右足を引きずりながら、唯一真面に見える左足だって可笑しな方向に曲がり、所々空いた穴からは黄色い液体が流れ出る。

 切り裂かれた腹からは、あばらが全て飛び出し、露わになった内臓が蛇の様に蠢く。顔はへしゃ曲がり、目玉が6つ、全て可笑しな方向を向いて、縦に避けた口からは白い虫が這い出、体中から黄色い液体を溢れ出し、身体の端々から蛆をポトポト落としながら。――鈴の花の化け物が、そこに立っていた。


 これは、なんだ――?

 ブレイルの頭はただ一瞬で真っ白に染まり、身体が動かない。

 それほどまでに今目の前に居る存在の全てが理解もできない。


 これは、本当に、いったい、何だと言うのだ


 

 ――あああああああああああああああああああああ



 化け物が絶叫を上げる。

 ぎょろぎょろ沢山の目玉を動かし、口から液体を吐き出しながら奇声。


 ――みみみみみいいいいいいいいいけけけけえええええだぁああああああああ


 腐り切った腕たちを、大きく振り上げて、その6つの眼全てに【少女】を映し映し撮るのだ。


 「――!」

 「……い、た」


 化け物が降り上げた手を【彼女】に振り下ろす前に、ブレイルの身体は勝手に動いていた。


 目の前に居る【少女】を推し飛ばして化け物の前に立つ。側で【彼女】の苦痛の声が聞こえたが、気にする暇など無い。

 化け物の間に入ったブレイルは、振り下ろされた腕に向け、その手を振り払う様に手を払う。化け物の手に当たった瞬間に「ぐちゅり」と嫌な感覚。

 まるで腐り切ったトマトでも触った感覚。黄色い液体を弾き飛ばしながら、化け物の手は酷く簡単に千切れ床へと潰れ落ちた。


 その感触に思わず眉を顰めたが、まだ終わっていない。

 ブレイルは身体を捻らせると、足を高く振り上げその裂けた腹部に勢いよく蹴りを入れ込む。

 再び足先に「ぐちゅり」と嫌な感覚、うねうね動き回る内臓の動きが嫌でも伝わってきたが、唇を噛みしめてそのまま蹴り飛ばす。

 

 ――ぎゃええええええええええええ


 化け物が恐ろしいとしか言い表せない叫喚を轟かせた。

 縦に避けた口から夥しい黄色い液体があふれ出る。ごぼごぼ、ごぼごぼ、蛆が混ざりに混ざり切った吐しゃ物を。

 蹴りが入れられた腹部は引き千切れんばかりに、大きく裂け、皮一つで繋がっている状態で。避けた穴からは蠢いていた内臓があふれ出て、地を汚す。


 ――ぐ……じで…ごお…じでぇぇぇぇぇえぇぇぇええええええ


 それでもだ、化け物は死なない。

 死ぬこと無く、沢山の涙を垂れ流しながら、何かを叫びながらブレイルに、もう何処にも無い手を伸ばす。


 「くそ……!」

 

 ブレイルは手を翳す。

 狙いは化け物のひしゃげた頭。


 金色の眼が頭を捉える。

 集中し、手に集めるは、自身の身体に蓄積されている魔力の結晶。

 掌に魔法陣がぐるぐると回転しながら浮かびあがり、確定したかのように紋章が固定される。

 その熱さえ感じる手に力を込めて、ブレイルは言霊を一つ。


 「‴一箭双雕プファイル・アロー‴――!!!!」


 同時に手の先から、鋭い金色に輝く矢尻を弾き飛ばすのである。


 それはブレイルの『世界』に存在する《魔法》と呼ばれるものだ。

 自身の身体に流れる産まれ付いて持った魔力を一時的に消費して、人知を超えた《魔》を作り、操り、その身に纏わせることのできる《魔術》。


 ブレイル自体は魔法を覚える才も身体に渦巻く魔力も産まれ付き少なかったため、覚えられた《魔法》は僅かな物だったが。強力な物が多かった。

 この魔法は数少ない、そんなブレイルの魔法の一つ。

 手の先から、絶対に壊れることのない光の矢を生み出し、相手を射貫く魔法の矢尻。


 その矢尻は、凄まじい勢いでブレイルの手から解き放たれ、一切の軌道も変える事無く真っすぐに飛び、狙いを定めた化け物の頭へと吸い込まれるかの様に直撃。

 金の矢先が触れたその瞬間に、化け物の頭は木っ端みじんに吹き飛ぶ。

 

 残ったのは頭の無くなった緑の化け物。

 無くなった緑の先から、どろどろ、黄色い液体が垂れ流れし。

 緑の足が、がくりと膝を付くと、薄皮一枚で繋がっていた身体はゆらりと後ろへと倒れ込んでいった。


 「――っ。はあ、はあ……はあ……」


 ブレイルは大きく息を吸い肺に空気を送り込むと、呼吸を整えた。

 別にこれぐらいの魔法はどうってことない。

 

 ただ、あの化け物はなんだ。その疑問が浮かぶ。どうしてあんなものが急に現れた。謎でしかない。其れより、あの【少女】は?

 あの化け物が余りに急に現れ襲い掛かって来たからこそ、思わず。あの【少女】を推し飛ばしてでも間に入っただけで、【彼女】にケガが無ければそれだけで。

 

 「!おい、大丈夫か!」


 漸く我に返ったブレイルが【少女】を振り返る。

 路地の端、黒い影が筒を抱きしめたまま蹲っていた。どうやら押し出された時、側にあった木箱にぶつかってしまったらしく。その拍子で足を切ったのか、長い黒のズボンが切り裂けれ、血が滲んでいるのが見て分った。

 

 「わ、わるい!」

 

 慌てて駆け寄る。見た限り足の怪我は大したこと無い。

 ただ、今の状況で腰を抜かしたのか、呆然と俯いたまま動く様子はなかった。

 ブレイルは頭を掻く。一度こと切れた化け物を見てから、しかし【彼女】の方が放っておく事は出来そうにない。路地から出た先に人はいないのか、悲鳴らしきものは一切聞こえず、静寂に包まれ。

 仕方が無いと、片膝を付いて【彼女】に背を向けたのは、次の事。


 「ほら、立てないだろ?捕まれよ」

 「……」

 後ろから小さく息を呑む音が僅かに聞こえる。

 だが、それも僅かな間。おずおずと白い手はブレイルの肩へと伸び、ブレイルの身体には確かな温もりが乗りかかった。そんな【少女】の身体をブレイルはいとも簡単に「よっ」と声を零して持ち上げる。


 「……あの、あっちへ、元の道に戻ってもらってもいいですか?」

 「元の、さっきの道な。OK」


 ポツリと呟かれた彼女の指示の元。ブレイルは後ろの化け物に気を取られながらも、踵を返す。そして、先程歩んできた道を戻る為、足を歩み進めるのである。


 ふと、違和感。

 目指す自分達が入って来た路地の向こう。

 先ほどまで太陽の光が差し込んでいたと思っていたが、また変わっている。

 今度は暗闇の、オレンジの街灯のランプが僅かに差し込む〖夜の街〗へ。


 大きな疑問を感じながらも、答えは勿論見つからず。

 【少女】をいったん背負い直す様に持ち上げて、その暗闇の〖街〗へと戻るのだ。



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