第2話



   2


 

 常闇が何処までも広がる夜の街。頭上に輝くまん丸な月は青白くあたりを照らす。

 白煉瓦の建物は月明かりに照らされ青く輝き、綺麗に連なって幻想的な風景を造り出す。町の端々には、オレンジ色の街灯。

 そして、様々な色をした露店が並び、沢山の商品が陳列していた。

 露店の商人の声は何処までも朗らかで、遠くまで響き渡り、沢山の客が興味本位に覗き込み商品を物色。めぼしい物が見つかれば、手に取り、銅色の硬貨で支払い。


 その全員が、とても楽しそうだ。

 みんな笑顔で買い物を楽しんでいる。


 そんな【街】の中心。

 暗い夜の〖夜街〗の中心でブレイルはシラケた様子で座り込み、買い物を楽しむ住民たちを見つめているのであった。


 リリーとの対話から数刻。

 ブレイルは一人この場所にいる。


 というのも、リリーから「この世界に強大な悪なんていない」そう伝えられた彼は到底信じられず、彼女の家を飛び出してきてしまったのだ。

 エルシューから直接話を聞くと言い放ち、制止する彼女を振り払って。


 普通に考えて無謀だ。

 とりあえず、感情のままに走ったが、直ぐに行き詰まった。

 よくよく考えたらエルシューの居場所なんて知る訳ない。いや、そもそも【神様】にそう簡単に会えるモノなのかも謎である。


 当たり前だが、見たことも無い街中をただ我武者羅に走って、暫く。漸くその事実に気が付いた時はもう手遅れ。

 リリーの家が何処か有るかも、もう分からないし、此処が何処かも分からない。

 簡単に言えば、迷子になってしまったのである。 

 随分無謀な事を仕出かしてしまったと後悔しても、もう遅い。


 それどころか、ブレイルは大きくため息を付き身体を見下ろす。

 今、彼は軽装一つだ。何時も身に付けていた鎧も無ければ、硬貨などが入った鞄も無く。

 いや、それ以上に相棒であるはずの聖剣すら手元にない。

 無一文、無装備でただ一人。【異世界】の中心でこうして、佇んでいるのだ。


 鞄はリリーの家にあるだろうと推測して、鎧がどうして無いかは分からない。

 アレは豪奢に作られているが、その分無駄に脱ぎにくく重いのだ。彼女リリーが脱がせられるとは到底思えない。

 そして、何よりも大事な聖剣。いや聖剣に関しては、心配はない。この世界に共に来て、この世界に存在していることは把握している。アレはそう言う存在だ。

 

 だが、今現在の状況を打破できる考えが浮かばず、ブレイルは大きくため息を付く。

 なにせ住民に話しかけても、リリーの家を知る物はおらず。彼女と言う存在しか手がかりがない以上、これ以上闇雲に動くことも出来ない。コレばかりは、本当に自身の無謀さに呆れるしか無かった。


 とりあえず、とブレイルは考えた。

 今は夜だ、何処か一晩で良い。一夜を過ごせる場所を探さなくては。

 夜が明ければ、また違う話を聞けるかもしれない。出来る判断はコレだけだ。


 何処か空き家でもあれば良いのだが……。

 いや、どうせ盗られるものもない訳だし、そこら辺の道端で仮眠を取っても良い。ただ、その場合不審者として警吏に着き出される可能性も無くはない。


 お金さえあれば、とも思ったが、よくよく考えれば此処は【異世界】

 持っていた硬貨が通用するとも思えない。

 現にと言うべきか、今いる【街】では店の前に看板が並んでいるのだが、どれもこれも読むことも出来ない文字で綴られている訳だし。

 

 つまり残念ながら、ブレイルは今完全に詰んでいると言う訳になる。【異世界】に飛ばされて早々に詰む勇者は中々いないだろう。だからこそブレイルは再度大きくため息を付き、街ゆく町民たちを見つめるのである。


 ふと、そんな中、ブレイルは視線を一人の町民に注がれた。

 それは露店で言えば、果物屋。様々な果物を前に店主が御客に商品を売りつける中で、その人物達が目に入る。一人は厳つい身体付きの男、もう一人は男の隣で笑みを浮かべる身ぎれいな女。ハデハデしい化粧に男を誘う胸元の開いた露出度の高い服、女の方はどう見ても娼婦だろう。


 その2人の男女が赤い果実に手を伸ばしたのだ。そこで金を払うような仕草があれば問題はない。

 だが男たちは店主に声を掛ける訳でも、金を払う訳でも無く果実を鞄の中へ、無理やり押し込めると、下卑た笑みを浮かべながら去って行こうとしたのだ。店主は他の客の相手をしており、気が付いていない。


 泥棒だと気が付いたと同時、ブレイルの身体は自然と動いていた。

 男たちがその場を去り、人ごみの中に消える前に厳ついその腕を掴み上げる。


 「おい、おっさん。金はちゃんと払えよ。女買う金はあるんだろ」


 声を掛ければ、男は訝しげな顔を浮かべて振り返った。たが、少年の姿を見るやいなや小馬鹿にしたかのような表情を一つ。まだ子供だと馬鹿にしたに違いない。


 「何言ってんだ、小僧。言いがかりは止めな」

 

 だったら逃げるだけだ、と言わんばかりに掴まれた手を振り払おうと大きく手を動かす。だが、男の表情はまた直ぐに変わった。

 理由は簡単、振り払えなかったのだ。


 自身の手を掴む少年の手はピクリともせず、少年の手が動かないのだから、自分自身の手も動くことは無い。

 男はブレイルを見る。驚愕の色を帯びた後、彼の顔は見る見るうちに冷や汗が流れる苦痛の物へと変貌していった。

 ミシ、ミシ、骨の軋む音。金色の眼が、鋭く男を睨み上げる。

 

 「てめぇ!」


 男が空いた手で拳を作ると大きく振り上げた。

 狙いは勿論、目の前の子供だ。

 ただ感情のまま、怒りと困惑を纏わせて、彼の頭に向かって拳を振り下ろす。


 ブレイルの動きは鮮やかだった。

 振り下ろされた拳を前にして、身体を僅かに横にずらし避けると、両腕でその伸ばされた腕を掴み上げ、身体を捻らせる。更に、そのまま体を回転させると、勢いのままに男の身体を持ち上げた。


 男はブレイルより10㎝ばかり長身。だが、その180㎝はあろう男の身体は軽々と宙に舞い、重力のままに地面に引き寄せられ激突。そのまま、地面に叩きつけられた男の腕を捻り上げると、抑え込む。

 所謂「一本背負い」と言う奴。コレが見事なまでに決まった訳だ。

 

 男は逃れようともがくが、ビクともしない。

 それどころか動けば動くほど、ブレイルの籠める力が強くなり骨がさらに軋み、遂には「痛い」と情けなく声を漏らすまでになった。


 「おっさん。観念しな」


 ブレイルが「にっ」と笑う。

 静まり返る街中。

 だが、ぽつぽつと誰かが手を叩くのが始まり、最後は拍手喝さいが起こったのは暫くの事。

 果物屋の店主が、露天から出て来て感謝の言葉と共に、ブレイルに頭を下げた。


 「あ、ありがとうございます」

 「いいって、いいって!それより、警吏とかあるか?」

 

 感謝を述べる、彼を前に小さくかぶりを振って、ブレイルは辺りを確認。

 これに顔色を悪くしたのは、残った男の連れであった女だ。顔を真っ青にして、女は人ごみの中へと走っていこうとする。


 「あ、こら待て!」


 ブレイルはいち早く気づくも、この場を動くわけには行かず。「誰か捕まえてくれ」そう叫ぼうと口を開くが、全員拍手を送るのに真剣なのか逃亡を図ろうとする女に気が付くものは一人とていない。

 このままでは女を逃がしてしまう。そう、唇を噛みしめた時だ。


 「あ」


 小さく声を上げ、逃げようとした女が立ち止まったのは。

 見て分るほどに慌てふためき、足踏みをする女の姿を見て、ブレイルは怪訝な顔を浮かべた。

 まるでその様子は、足元に突然愛猫あいびょうでも現れたかのよう。見て分るほどに、女は困惑し、そのまま立ち往生しているのだ。


 ブレイルは顔を覗かせる。いや、覗かせる行為も無駄に近かった。

 拍手喝采に溢れていた街中は再び静寂に包まれ、集まっていた人々は急に道を開けた。

 ぽっかりと、その場に空洞が出来上がり、空洞が出来たことによりブレイルもその中心に立つ人物を確認する事ができた。

 ただ、直ぐに眉を顰める破目となったが。


 其処に居たのは子供が一人。

 歳は17か16歳。同い年ぐらい。性別は分からない。

 何故なら、その人物は頭からすっぽりと足元まで、ダボダボの黒いローブを被っていたからだ。

 確認できるのは青白い手と、フードの下から露わになる青白い口元。そしてチラチラ除く黒い髪。

 その手に布に包まれた筒状の大きな物を手に、女を見つめているのだ。


 「も、モルスちゃん……」


 女が小さく呟く。

 「ちゃん」?「ちゃん」と呼ぶと言う事はあの子は《彼女》という訳か。

 疑問を抱いて見つめていると、ローブの人物が女からブレイルへと視線を移す。


 「――何を、なさっているので?」


 静かな低い鈴の音の声が響く。

 ああ、確かにこの声は女の声だ。それも、思ったよりおそらく歳は下。

 15……嫌、もっと下。きっと13歳ほど。

 まだ声代りが終わっておらず、幼さが残る声が印象的。


 そんな【彼女】に、一番に声を掛けたのは、果物屋の店主であった。

 彼はブレイルから離れると【少女】の元へ。事のあらましを説明するのである。


 「家の果物を盗んだようでして、ソレをあの方が取り押さえてくれたんです」

 「――そうですか」


 何故か果物屋の店主は酷く腰が低く、【少女】の様子を窺う様にして答えた。

 それに対し、【少女】はその一言だけ。

 後は何かをいう訳でもなく、カツンと音を立てて、ブレイルに身体を向ける。


 その光景にブレイルは思わず生唾を呑んだ。

 もう【彼女】は女に興味が無い様でチラリとも視線を向けない。だが女は何故か逃げ出そうとせず、酷く弱り切ったような表情で真っ青になったまま俯いてその場から動かない。


 歩み寄って来た【少女】がブレイルの前で立ち止まった。

 直ぐ側まで来られると良く分かる、身長が高い。自身より低いが、軽く170近くはある。

 服装のせいでよく確認出来ないが、身体付きもどう見ても少女とは言い難く。

 フードの下から見える顔立ちも、そうだ。子供らしく丸みを帯びているが、骨ばり始めたその顔はどう見たって男だろう。

 ただ、声だけが到底男には思えない。低く発しているが、ソプラノの声色は少女そのもの。その最早性別不明としか言い表せない【少女】が静かにブレイルを見下ろしているのだ。


 「……その方」

 「!」


 【彼女】が漸く声を発する。

 思わずまじまじと顔を見上げるが、やはり顔は確認できない。

 ただ、僅かに黒い瞳が確認できた。呆然と見上げていると、【彼女】が続けた。


 「その方、離してあげてください」

 「え?はあ!?」


 彼女の口から出たのは信じられない言の葉。

 ブレイルは一度男に視線を向けてから再度【彼女】の顔を見上げる。瞬間、【彼女は】フードに手を伸ばし、顔を隠す様に深く被ってしまうが。

 だが、もう関係なく、男を押さえたままブレイルは彼女に詰め寄る様に声を飛ばす。


 「何を言って、こいつは泥棒だ!」

 「果物を数個盗んだだけであれば、私が金銭を払いましょう」

 再び信じられない言の葉。ブレイルは、言葉の端々に怒りを滲ませ食いかかる。


 「馬鹿じゃないのか!そんな事をすれば、同じことを仕出かす!警吏に突き出して反省させなきゃ意味がないだろう!」

 少しの間、【少女】が小さく息を付く。

 「ここには、その警吏が無いのです。この〘街〙で犯罪行為を咎める事は無意味ですのでどうぞ彼を離してあげてください」

 「はあ!?」


 それは俄かには信じられない話だった。

 この【街】には警吏が無い?


 「警吏に近しい、警備とかもいないのか!?」

 「ありません」


 どんな無秩序だ。

 絶対に【少女】の虚言だと思えて仕方が無かった。

 助力を頼もうと果物屋の店主に目を向けたが、はと気が付く。

 視線が合えば、店主は罰が悪そうに目を逸らし続けている。他の住民にも視線を向けたが、全員が全員気まずそうに目を背ける。

 その様子で、にわかに信じられない事だが理解するしかない。どうやら【彼女】の言葉は「事実」であると。


 どんな無秩序だ。

 思わず二回目の指摘ツッコミ

 だが、「警吏が無い」それだけで狼藉を働いた男を解放するわけには行かない。


 「――だったら、尚更駄目だ」

 「無意味な行動と理解したうえで、続けるのですか?」

 

 腹立たしい言い方だ、思わずムっ……とした表情。

 苛立ったままにブレイルは続ける。


 「違う!」

 「だったら……」

 「警吏がいないなら、尚更こいつにはちゃんと支払わせなきゃいけないだろ!なんでお前が金を払おうとしてるんだよ!」


 ブレイルの吐き出す様な言葉に、【少女】は口を閉ざした。

 だが、ブレイルの言葉は正論であろう。


 この世界に警吏と言うモノは存在しない。だと言うのなら、仕方が無い、――が、だが、はいそうですかと見逃せるわけではない。突き出せるところが無いのであれば、盗んだモノの代金は自分自身で払うのが少なからずの残った常識と言うモノだ。

 他人が、ましてや第三者が払うモノでない。盗みを働いた本人が被害者に謝罪をして、きちんと金を払うべきである。コレだけは絶対に譲れない点だ。


 ブレイルの言葉に【少女】は無言であった。なにかを考えるように俯き、チラリ押さえつけられた男を見る。

 【彼女】が何かを考えたのは僅か3分程度。黒いローブがふわり軽く舞い、ブレイルの側で膝を付くと【少女】は男の腰についている鞄に手を伸ばすと、問答無用で引きちぎったのである。

 何をするかと思いきや、鞄の中をあさり、取り出すのは布状の財布。中から数枚の硬貨コインを取り出すと、果物屋の店主へと押し付けた。


 「鞄の中にはリンゴが3つありました。代金はコレでよろしいですね」

 「は、はい」


 店主は押し付けられるままに硬貨を受け取り頷く。

 彼の確認を取ったのち、【少女】は次にブレイルの下で呻いている男と後ろで目を逸らしている女に其々視線を飛ばす。


 「後はあなた方が謝るだけです。嫌なら出て行ってもらいます」

 

 静かな声。呻く男は静かになり、後ろの女も俯く。

 それも僅かな間だった。男はチラリと店主を見上げ、一言。


 「す、すまなかった」


 そう零す。女も同じだ、深々と頭を下げ店主に謝罪を向けるのである。

 店主は謝罪に対して何も言わない、頭を掻いて酷く何とも言えない表情を一つ。

 ただ、その様子は怒っているようには到底見えなかった。というより、どういう対応をすればよいか、判断を迷っている様子だ。

 その光景に唖然としていたブレイルに【少女】が最後に視線を移す。


 「これで、宜しいですね」


 まるで我儘を零す子供に言い聞かせるような一言。

 ブレイルはその様子に何かを言いかけたが、言葉が出ず。納得いかないと言わんばかりの表情を浮かべ。しかし、先の言葉を言った手前、渋々と言った様子で頷くしかなかった。



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