第1話


  1




 「――2人目……」


 暗い森の中。

 低くガラスが転がるような声が響く。

 黒い靴の側には緑の髪の少年が一人、白亜の鎧を着こんだまま倒れ込む。


 「――で、どうするんだ?」


 側にいたもう一人の黒ずくめが、小さな影に問いただした。

 手にナイフを持ち、上下に動かしながら視線を【彼女】へと送る。

 その様子はまるで、めいがあれば何とでもするぞ、と言わんばかりの視線と口調。


 僅かな間。小さな【彼女】は溜息交じりに横に振った。


 「【街】へと運びます」

 「それだけでいいのか?」

 「はい」


 答えに男はニヒルな笑みを浮かべ、ナイフを収める。

 まあ、お前がソレで良いのなら、と小さく零して。


 【彼女】が続けて何かに気が付いたように僅かに顔を上げた。

 気になる事でもあるのだろうか?

 何かを探す様に辺りを見渡しながら、首を傾げる。


 「どうした?」

 「――無くしものがあるみたいです」


 問われれば迷いなく。

 それも少しの間。溜息交じりに【彼女】は一度片膝を付くと少年に手を伸ばしてから、男を見上げた。


 「アドニスさんは、この方を【街】まで連れて行ってください」

 「鎧が重そうだが?」

 「それぐらいは捨てても構いません」


 目の前の気を失っている少年に承諾無く。

 アドニス――そう呼ばれた男は、小さく鼻で笑った。

 それが承知の合図である事は、【彼女】は充分なぐらいに理解している。


 男が膝を付くのを確認して、小さな影は立ち上げると踵を返す。

 その場から【彼女】が消える前に、黒い眼が捉えた。


 「で、何処に捨てておけばいい?」

 「――」


 【彼女】は一度振り返り、黒いフードの下から視線を二人へ。

 何かに悩んでいた様であったが。その黒い瞳は二人から逸らされた。


 「……お好きに」

 「あ、っそ」


 会話は短い。

 男はそれだけで十分であったようだ。

 無駄に輝かしく、黒々とした汚れが付いた鎧を、軽装となった少年を軽々と抱え上げる。

 表情一つ変える事無く、そのまま横を通り過ぎて去って行く男を見送って【彼女】は心から思う。


 ああ、また面倒なことになったなぁ……と。

 足元に転がった甲冑であったものを足で蹴り飛ばして、3度目の溜息を付くのだ。


   ◇


 鼻が曲がりそうな独特な薬品の匂い。

 嗅いだことも無い草の干した香りを目覚ましに、金色の眼はゆっくりと開かれた。


 ぼんやりとした目に映るのは見知らぬ天井。

 木造の天井から伸びる小さなランプがゆらゆら。

 風でも吹いているのか、自身の髪も揺れ動き頬を撫で擽っている。


 だが、身体を包み込む感触は柔らかなシーツ。

 どう考えてもベッドの上だ。薬草に混ざり花のような香り。

 自分は何処か、知らない部屋のベッドに寝かされていると言う事実に気が付いたのは、それからまた暫く経ってからの事であった。

 

 頭を抱えて、少年はゆっくりと体を起こす。

 改めて部屋の中を見た。


 部屋は小さな誰かの個室の様だ。

 まず最初に出口である扉が目に映った。


 続いて、右の壁際には木製の机が一つ。上にはノートが広がり鉛筆が転がっている。

 机の側には本棚、見たことのない本が綺麗に並べられ。

 反対の壁際には、おそらく薬品が詰まった棚が二つ都列とれつ

 また見たことも無い草の束が壁に掛けられ、どうやら独特な匂いの正体は此方であったらしいと気付く。


 次は下を見る。自分が寝かされていたベッドが目に映る。

 水色のシーツ。花の刺繍が施されたシーツから、この部屋の主はおそらく女性であろうと言う事は推測が出来た。

 

 ただ、分からない事が一つ。

 何故自分が此処に居るかが、問題だ。


 まだ頭がボンヤリしているせいか、自身の名前すら思い出せない。

 あと少しで思い出せそうなのだが、まるで霧が掛かったようだ。

 小さく頭を振って、正常に戻ろうと身体が勝手に動く。


 「あら、起きたのね」


 扉の開く音と共に、女の声が聞こえたのは正にその瞬間だった。

 少年は顔を上げれば、部屋の入口。籠を持った少女が一人。


 卵型の小さな顔、ツインテールにした淡いピンク色の髪。

 形の良い三角の眉に、気の強そうな青い瞳。薄い唇と、そばかすの頬。

 ピンク色のワンピースと上着の様に白衣を纏った少女。


 彼女は足音を響かせ部屋の中へ。


 「あなた、私の家の前で倒れていたのよ?」


 部屋の中心にある、小さなテーブルの前まで歩み寄り、抱えていたおそらく薬草だろう。緑の草が詰まった籠を机の上に置く。


 「ねえ、聞いてる?大丈夫?」


 怪訝そうな声が掛けられたのは、同時の頃。

 机に籠を置いた彼女は、クルリと少年に身体を向けて言い放つ。

 その口調は瞳と良く似て、気の強さがにじみ出ている。


 「あー。えっと、悪い。平気だ」


 彼女の前で少年は頭を掻きながら何とか笑みを浮かべた。

 「にっ」と、どこか人懐っこい笑み。

 彼の笑みを見て、少女も安堵するかのように息を付く。


 足音を立てながら、少女は少年の側へ。

 白衣に刺繍された鈴蘭が目に入ったのと細く白い手が、少年へと差し出されたのは同時の事であった。


 「じゃ、初めまして」

 明るい声。彼女は続ける。


 「あたしは、リリー。リリー・ヴァリーよ!」

 少女――リリーは少年に、にこやかな笑みを浮かべ向けるのだ。


 ―― 初めまして、私はパルって言うのよ!


 刹那、少年の霧が掛かったような頭が妙にハッキリとした。

 今までの人生の中で一番大事な記憶がよみがえり、リリーと名乗った少女と重なり合う。

 ただそれだけで、少年のぼんやりとしていた頭は今までの全てを取り戻す。


 自分が何者で、此処が何処で、自分が何をしに来たか、全て。

 なぜ、思い出せたのだろうか。目の前の彼女が、一番大事な仲間に何処か面影があったからだろうか。


 差し出された手を取って、漸く己を名乗る。


 「俺は、ブレイル。ブレイル・ホワイトスターだ!この世界を救うためにやって来た、《勇者》だ!」


 と、目覚めた《勇者》はもう一度人懐こい笑みを浮かべるのだ。


 「は?何言ってんの?頭大丈夫?」


 ――まあ、受け入れられるかは別問題だが。


 あまりに冷たい視線に、ブレイルは息を詰まる。

 静かに腕を組んで頭を悩ます。


 唐突過ぎたかな、なんて。

 リリーと名乗った少女とは初対面だ。

 もし、これが彼のいた『世界』でなら、《ブレイル・ホワイトスター》の名は既に轟いている為、普通に名乗れていただろう。リリーだって直ぐに納得していたはず。


 しかし、此処は違う。ブレイルはエルシューと言う男に連れられ、彼が助けを求めて来たからこそ、今此処に居る。

 エルシューは言っていた。自分は【神】であり、ブレイルとは違う【世界】からやって来たと。


 つまりだが、エルシューの言葉を信じるのなら、今自分がいる場所は【異世界】と言う事になるのだ。勿論【異世界】ではブレイルの名は知られてすらいないだろう。むしろ初耳の筈だ。

 リリーは先程「私の家の前で倒れていた」とも言っていた。


 で、あるならブレイルは《勇者自分》の存在すら知らない【異世界】の住人に、胸を張って堂々と《勇者》と名乗った訳である。

 普通に考えて、そんな存在「頭が可笑しい」の一言。

 自意識過剰なんてレベルじゃないだろう。


 ただ、不思議な事もある。

 エルシューの言葉を信じるなら、この【異世界】の住人は「強大な悪」とやらに困り切っている筈なのだ。

 そんな困り切っていると言うのなら、突然現れたとはいえ、まだ自称とは言え、それでも《勇者》が現れたら僅かでも喜ぶものじゃないのか。なにせ、《勇者》とは世界を救う存在の名称だ。

 どうして、其処まで冷たい顔が出来ると言うのだ。


 そんな疑問を取り払う様に、ブレイルはコホンと取り繕う様に、咳払いを零す。

 きっと、こう言えば分かってくれる筈と淡い希望を胸に、放つ。


 「あのな、俺はエルシューって言う【神】に連れて来られたんだ」

 「え?エルシュー?【生命の神】のエルシュー?」


 その淡い希望は見事に叶った。

 リリーの表情も言葉も、かの存在をしているに違いない。


 「知っているんだな!」

 「え、ええ。知っているわよ?」


 ダメ押しに問えば、更なる答えが返ってくる。

 そうなれば話は早い。

 ブレイルはリリーの手を取って、その顔に迫る勢いで顔を近づかせた。

 真っ赤になる彼女を前に「だったら」と続きを言葉にするのだ。



 「俺は、そのエルシューに頼まれて強大な悪を倒しに来たんだ!魔王か?何処にいるんだ!困っているんだろ!?」


 そう、満面の笑顔を浮かべて。


 「あー。そういう事……」


 リリーの顔が見る見るうちに呆れかえったかのように曇っていたのは、ブレイルの言葉が言い切る前ぐらいの事。期待していた言葉と正反対の反応に、心底同情するような声色。


 呆然とした表情を浮かべるブレイルの手を引きはがして、リリーは数歩後ろへと下がる。やれやれと言わんばかりに頭を横に振って、リリーは哀れなモノを見るようにブレイルを映した。


 「残念ね、勇者様。あんた、騙されているわよ」


 バッサリ一言。

 今度は呆れかえった顔で、冷ややかな眼差しをブレイルに送り付ける。


 「魔王とか、いないわよ」

 「――」

 「エルシューはね、弱った顔を浮かべては『異世界』とやらから人を誑し込んで、この【世界】に連れて来るだけ連れて来て無理難題を押し付けた挙句放置する厄介者なの。あんたみたいの沢山いるわ」


 信じられない言の葉を、躊躇もなく。

 リリーは大きなため息を一つ。


 「だから、あんた。完全に騙されてる」

 

 やり返されるように、ダメ押しにもう一度。冷たい言葉を叩きつけるのだ。

 リリーの冷たい表情を前にブレイルは口を噤む。

 ……5秒、10秒、30秒、1分。

 長い時間が流れる。

 多分、正確に言うと3分程。

 

 「うそだぁぁぁぁぁ!!!!」


 ブレイルが声を高らかに絶叫したのは言うまでもない。



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