未詳怪異特殊対策課の怪視官と筋骨隆々の死刑囚
砂塔ろうか
怪異が怪異らしくないので筋肉をぶつけて物理で解決します
「……電話。鳴ってるっすよ」
冬の未明。助手席に座る相棒が言った。
「出るまでもない。どうせ
「……画面には、そう表示されてますね」
「やっぱりな。文句なら後で聞くとメッセージを送っておいてくれ」
ため息。どうせ呆れているのだろう。気にせず、窓の外、向こうに見える街灯の下を睨み続ける。
「
いやみな言い回しも気にすることではない。無視する。
……いや。一つだけ訂正しておくべきか。
「
「なんすか自慢ですか」
「だが、これだけは訂正させてもらう。俺は妹には好かれるよう務めているし、弟たちも理解を示してくれている。家族関係は良好だ」
「はあ。そーっすか」
「そして、お前にはまだ言っていなかったことだが————俺には娘がいる」
「……はい?」
「そうだな。だからこの仕事は、娘の未来を護るため——そのためにやっていることと言えるだろう」
街灯の下、白いLED電灯に照らされているのはタイル敷きの歩行者用道路と黒ずんだ血のあと。
今から少し前。ここには未詳怪異148号・甲がいたことが確認されている。目撃者は俺の妹。被害者も俺の妹だ。
といっても、その妹は今、弟の働くコンビニのバックヤードですやすやと眠っている。身体に外傷はなく、『障り』も確認されていないという。
これはこの地域で自然発生的に誕生した伝統的
——ここ、N県J市Y町はかつてT藩の治める領地だった。江戸時代の中期、このT藩は深刻な飢饉に見舞われたという。文献に乏しく詳細は不明だが、その飢饉の最中に生まれたのが、未詳怪異148号——「
「
相棒が言う。俺のやり方に不満があるのだろう、その口調には棘がある。
「……俺が妹を囮に使ったことが、そんなに不満か」
「俺にゃあ家族はいねーですけど、いや……いたとしてもだ。どんな精神してりゃあアンタみてぇに家族を囮として利用して平気なツラできんのか、まったく理解できねえし、したくねえ。そんだけですよ」
「そうか。俺もお前の理解を得るつもりはない。だが、仕事は果たして貰うぞ」
相棒の細波は、俺にないものを持っている。
それは確実に才能と呼べるもので、だからこそ俺はこの生意気な相棒と仕事をしているのだ。
未詳怪異148号「
もう一方の乙。こちらは言うなれば本体のボディーガード。大正時代の交戦記録によれば、高名な陰陽師や修験者が10人がかりでようやく倒せたという代物。
——未詳怪異148号が今日まで討伐されず、祓法の確立もなされなかったのは、これが理由だ。
未詳怪異148号・乙——通称:鬼子母神があまりにも強かったため。討伐部隊を編成しようにも、あまりにも「割に合わない」。
幸いにも、甲への対処法は確立しており、それも「初潮が来たことを多くの住民に知らせる・話を伝播させる」という容易く実現できるものであったため被害を抑えることにも成功している。
俺の妹も、そのおかげで無事だった。
だが、現代は令和である。
この祓法は現代の倫理観に即していない。それに、これで厭な思いをしたという女性たちの声も上がっている。SNSでこの町の名をパブリック・サーチすれば問題視するフェミニストのアカウントがいくつも見つかる状況だ。
かと言って、未詳怪異について一般人に説明することはできない。怪異のなかには知られることによって力を増すものもいる。ゆえに、俺の仕事も表沙汰にできるようなものではなく、基本的には一般企業のサラリーマンを装うことが命じられている。
だが、俺の相棒はスーツを脱いでスカジャンを着用している。「スーツじゃ動きずらいから」とは本人の弁だ。
理由はもっともであり、彼に期待する働きを考えても動きやすい格好の方が良いのは間違いない。……だが、一般企業のサラリーマンで通している男が万に一つでも、スカジャン姿のガラの悪そうなチンピラと一緒にいるところを目撃されたらどう取り繕えと言うのか——なんて文句を言いたくなることはままある。
…………窓の外、街灯の下に変化が生じたのは東の空の端がうっすらと明るくなった頃合いだった。
黒い——赤黒い影がふたつ。どこからともなく現れた。一体は餓鬼。腹のみが丸くふくらんだ、子供のような小さい姿。あれが未詳怪異148号「
ゆえに、傍らの大きな——大人の女性の姿をしたもう一体。裂けた口が糸で縫い合わされた角の生えた鬼——それが、未詳怪異148号・乙、「鬼子母神」だろう。
文献記載の特徴とも一致する。間違いない。
「出番だ。位置情報、」
ダン!
「……ちゃんと聞けよ」
俺の注意を最後まで聞くことなく、相棒は行動を開始した。車から飛び出し、街灯の下へ一直線。スカジャンを脱ぎ捨てて、冬の朝方。冷え切った寒空の下でタンクトップ一枚になる。
結局捨てるのか。内心ツッコミ入れながら俺は怪異の位置を伝える。
「そこ! 右ストレート!」
相棒が腕を振う。筋骨隆々とした丸太のような太い腕の一撃が空気を裂いて鬼子母神の肩を擦る。その先にあった街灯の柱がへし折れた。
そう。相棒の
身長は3メートル越え。戦う姿はまるで神話の再演。
そして、20人の人間を素手で殴り殺したことが理由で死刑執行が確定した死刑囚。
こいつの身体には高精度のGPS発信機が埋め込まれており、その機械が告げる位置情報と俺の視ている情報を参考にポジショニングと拳の向きについて指示を出す。
……あいつは今、何も見えない場所に、全力で殴りかかっている。辛うじて、手応えなら感じられるかもしれない。それでも、本人にしてみれば茶番にしか思えないとしてもおかしくない状況だ。だというのに全力を発揮してくれている。
だからこちらも、その思いには応えなくては。
「——来るッ! 正面から反撃!」
鬼子母神の特異性は術のたぐいの効きが悪いことと物理攻撃を得意とすることだ。怪異というよりも人間に近い。ルールに縛られ、呪術的方法で打倒することのできる怪異らしい怪異だった甲とは真逆なのだ。
大正時代の交戦記録においても、「通りすがりの軍の将校が力で無理矢理抑えつけて時間を稼いでくれた」という旨の記述が残っている。
つまり、物理的に圧倒することができるのならば、比較的楽に倒せる可能性がある。
しかしそれは、時速170kmを安定して出せるピッチャーならあちこちの球団から引っ張りだこになると言うようなもの。あまり現実的ではない。
————そう、思っていた。
相棒と出会うまでは。
「今だッ! 正面真っ直ぐ!」
めり。めりめりめり。
鬼子母神の顔に大きな拳がめりこむのが視えた。やけにスローモーションに感じられて、俺は確信する。「やった」と。
結果を視るよりも先に車から降りる。手には日本刀。言うまでもなく銃刀法違反である。この時間帯ならば目撃されることはないだろうが、念のため簡単な呪符で結界を張る。
前を視ると、肩で息をする細波の足元で鬼子母神は塵と消えるところだった。胎喰はかがんで、親に寄り添う子供のようにしている。
胎喰の頭部には切り傷がひとつ。大正時代、鬼子母神との交戦では呪符も錫杖も何もかもだめにしてしまったため、仕方なく軍の将校から借り受けた刀で攻撃し、ようやく傷をつけることができたそうだ。これは、その時のものだろう。
祓の力のほとんど籠っていない軍刀ですら傷をつけることができたのだ。
いわんや、この霊刀を以てすれば————。
胎喰が消えたのは、鬼子母神の消滅とほぼ同時のことだった。
◆
「お疲れ様」
全身に汗をびっしょりとかいた相棒に、俺はハンカチを渡す。
相棒はそれを受け取ると遠慮する素振りすら見せず顔を拭いながら、
「車の中にタオル、入ってましたよね?」
と不満顔。
「今取ってくる。それまではそのハンカチで我慢しててくれ」
「……本当に、こんなことで減刑されるんすか」
「………………公安指定の未詳怪異100体の討伐。それを、達成できればな」
「時々、思うんすよ。あんたらの言ってるソレは、実はタチの悪い冗談なんじゃねえかって」
「じゃあ、やめるか?」
俺が渡した、ふわふわのバスタオルを受け取りながら細波は「あ、いや」と言葉を濁した。
「なんつーかな……。あんた、あんたの指示には殺気が籠ってんだよな……。オレ、そういうのはなんとなく分かるんですよ。人より勘が鋭いっつーか……。
で、思うんすよ。
この殺気は、冗談か何かでやってる奴に出せるもんじゃねぇなって」
「………………」
「だからまあ、アレです。オレぁ、あんたのお陰で、このわけわかんねー仕事を続けられるんだと思うんすよ」
言って俺に汗でびっちょりになったバスタオルを返してくる。その表情は、少しばかり晴れやかに見えた。
「………………」
「まっ! 色々とソリの合わねーとこはたくさんありますけど。……ん?」
「……人に汗まみれのタオルを返すな。あと、スカジャンの回収忘れるな。……撤収する」
俺はタオルを受け取らず、そのまま車へ戻る。
「へいへい」
という後ろから聞こえる軽口が、この関係の終焉はまだまだ先のことだと予感させた。
「……それはそうと。あまり建築物を壊すなよ。今回は街灯一本だったからまだマシだが、前回小学校の壁ぶち抜いて大目玉くらったんだからな」
「…………へいへい」
(了)
未詳怪異特殊対策課の怪視官と筋骨隆々の死刑囚 砂塔ろうか @musmusbi
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