見出す者、される者

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衝撃的だった授業からしばらくして、だいぶ他の授業にも慣れてきた。

元々の得手不得手はあったものの、あの出来事以前と比べて、授業の時間が苦痛でなくなったことには感謝している。

まあ、少しの間は良いネタにされたが。


なんせ古典文学や数学を筆頭に、基本的には勉強というものが嫌いだ。

今までは覚えなければいけないから嫌々ながらやってきた程度なもので、成績なんてものは芳しくない。

数学なんてのは掃いて捨てる程に算出ツールが溢れているのだから、到底必要ないと思っていたし、

古典文学なんて現代的な文学でも最近のものしか読まない身としては、そんな昔の言葉なんて、その時調べれば足りるもの、という認識しかなかった。


好きなものはアニメとゲーム。

大人になったら仕事はしなけりゃいけないけど、体が壊れるまで働いたりする気はもちろん無く、かといって生活に困るような仕事もしたくない。

働かずに生きられればこの上なし、という頭で生きてきて、宝くじを当てて早々に仕事を辞めるのが夢だった。


それが、あの衝撃的な事件は先生の間でも話にあったらしく、良し悪しはともかく他の先生と話す機会が度々あった。

その時に、精々子供の疑問程度にあしらわれることもある中で、勉強の必要性を教えてくれる人もいた。

答えはそれぞれ違ったが、逆に同じ答えが殆ど無くて面白くも感じたし、何より安心した。


今までは社会に出たら使う、なんて形式的な事しか言われなかったのに、こちらから聞いてみればそんな事は全く言われず、自身の担当する教科がどのようなことに使われているのか教えてくれた。


正直、もっと昔に聞けば良かったと思った。


ゲームもアニメも、数学的要素がこんなにも多いのは軽くショックだった。

その分野は自分に向いてないなと感じつつ、作っている人は凄いんだな、と思った。


古典文学も相変わらず難解ではあるものの、言葉の流行り廃りがあることや、現代的な表現では足りない時に使ったり、人と話す上で知識として持っていれば話のネタになるな、とは感じた。

古式ゆかしい、なんてのはよく分からないが、そのうち分かるならそれで良いかな。

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