鎖の魔法

 ノアは深いため息を吐き、目の前に立つアリシアの顔を見上げた。金色の鎖はゆっくりと収束し、彼の首元へと吸い込まれるように消えていく。


 彼女は肩口までの黒髪を潮風に揺らしながら、まるで何もかもを見透かしているような眼差しを向けてくる。


「……なんで、ここに?」


 警戒心を隠しきれないまま問いかけた。


 彼の脳裏には、昨日出会ったアリシアの姿が浮かんでいた。冷たく無邪気な笑みを浮かべる彼女の瞳には、底知れない何かが垣間見える。だが、それと同時に手を伸ばしたくなる不思議な魅力も感じてしまう。


 その相反する感覚が、どうにもノアを落ち着かなくさせていた。


「そろそろこの町を出るわ。それで、荷物でも持ってもらおうかと思ってね」

「いや、なんで俺が……?」


 アリシアは答えず、代わりにノアに向かって歩み寄った。青く暗い瞳が、何かを試すように細められる。


「この鎖よ……」


 アリシアはノアの首元に目を向ける。その一言だけで、彼は背中に冷たい汗を感じた。


「これを持っている限り、貴方は私の物なの」


 ノアはその断片的な言葉に目を見開く。


「貴方も感じたでしょう?鎖はただの飾りじゃない。それは力。だけど同時に、呪いでもあるかもね」

「呪いって……」


 ノアは思わず手で首元を触った。鎖は今は見えないが、その存在感は肌に刻まれたように感じられる。


「もちろん、選んだのは貴方よ。貴方は助けを求めて、私はそれに応じた。この魔法は私たちの合意が無ければ反応しないの」

「俺が助けを?」


 その言葉に、ノアの記憶が揺らいだ。確かに、冷たい波に押し流される中で、誰かに助けを求めた感触がある。


 だが、それがいつで、何に対してだったのかは、記憶の霞が邪魔をして思い出せない。


「私がいなければ、貴方はもうここにはいないの。それはわかってるでしょう?」

「そんな……」


 ノアの呟きに、アリシアは肩をすくめる。


「人生って、想定外ばかりよね」


 アリシアはふと興味を引かれたように、ノアの外套の裾を掴んだ。


「それで……私の金貨持ち出したでしょう。どうしたの?」


 アリシアはわざとらしく、ノアの目を覗き込むようにして尋ねた。


「金貨……?」


 ノアは一瞬ぎくりとした表情を浮かべる。そしてすぐに剣のことを思い出し、慌てて答えた。


「ああ、そうだ剣だ!金だけ払ってまだ受け取ってない!」

「剣?へぇノア、貴方剣を使えるのね」


 アリシアは興味深そうに目を細め、くすりと笑う。


「買ったのに忘れてきたの?仕方ない子ね……」


 アリシアは小さく息を吐き、ノアの胸元に視線を落とした。そして、まるで空気を撫でるように片手を軽くかざす。


 すると、再びノアの首筋から金色の光が滲み出し、鎖が滑るように伸びていく。


 周囲の空気が震えるような感覚と共に、空間を裂くように浮かび、生き物のように輝きながら蠢いていた。


「うわっ、まただ……!」


 ノアは驚きに目を見開き、思わず首筋に手をやる。触れると冷たい金属の感触が肌に伝わってくる。


 アリシアは、目の前に浮かぶ鎖へ手を伸ばした。その指が鎖に触れると、たわみながら彼女の手に収まる。


「この鎖は、私と貴方を繋ぐもの。命の代償として結ばれた契約の形」


 アリシアは鎖を軽く持ち上げ、その動きに合わせて光の波が広がる。


「だから、こんなこともできるの」


 アリシアは鎖を引くように手を動かした。すると、鎖の先が空中に向かってまっすぐ伸びていき、どこかへと消えていく。


「どこに伸びて行くんだ?」


 ノアが驚きで声を漏らすと、数秒後——


 甲高い金属音を響かせ、鎖が音を立てながら収縮していく。すると、鎖の先端から一振りの剣が引き寄せられてきた。それはまるで空中を滑るように飛び、アリシアの手元で静止する。


「これが、あなたが買った剣?ずいぶんと古い物ね」


 アリシアは剣を眺めながら、楽しそうに口元を緩めた。その笑みはどこか子供のような純粋さを感じさせる。


「おい、それっ!」


 手を伸ばすと、アリシアはあっさり剣を手渡した。柄から伸びる金色の鎖が、まるで命を持つように輝いている。


 ノアは、自分の首元にその鎖が繋がっていると気づくと、途端に息苦しさを覚えた。


「これは、どういう仕組みなの?」


 ノアがそう尋ねると、アリシアは肩をすくめる。


「この鎖がある限り、あなたの全ては私の影響下にある。それだけよ」

「だけよ、って……」


 言葉の意味を、ノアはまだ完全には理解できなかった。ただ、不思議と彼女の声には否定しがたい説得力があった。


ノアは微かに眉をひそめたが、それ以上深く考える気にはなれなかった。まだ状況を完全には理解できず、何かに縛られている感覚だけが残る。


「他にもいろいろと便利なの。例えば……」


 そのとき——


「見つけたっス!」


 二人が振り返ると、路地の影から現れたのは、鋭い眼差しをした初老の男と、肩をすくめて不敵な笑みを浮かべる若い男だった。初老の男——ガルドリスは、手にした杖を静かに振り上げ、威圧感を漂わせながらこちらを睨みつけていた。


「はぁっ、はあっ。また会えたな、小僧。そして……黒魔女も一緒とはな」

「黒魔女……?」


 ノアはアリシアを横目で見る。彼女は相変わらず気怠そうな態度を崩さず、むしろ二人を眺めて笑みを浮かべていた。


「へぇ、もうお友達も作ったのね?」


 アリシアがからかうように言う。


「どう見てもそんな雰囲気じゃない……」


 杖を構えて迫るガルドリスを横目に、呆然と呟く。アリシアは不思議と余裕の笑みを浮かべながらノアを見つめていた。

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卓越した剣術は魔法より優れるのか おいしい塩 @sioois

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