第4話 君の心にまっちんぐ

 初めて正面から見る栗洋館さんの素顔は、どうしようもなく、いたって普通に、これといった心境の変化を僕にもたらすもの、ではなかった。栗洋館さんは満を持して自身の素敵な顔を何を狙ってさらけ出したのだろう。

「で?」と言わざるを得なかった。

「は?」と栗洋館さんは驚いた様子で一文字だけ返事をよこしてきた。

「え?」

「いや、だから」

「え?」

「え?」

「え?」

「ゑ?」

「急に江戸時代!」

「ミズノさん、正直に仰ってください。もうそういった慰めの、憐憫の扱いは不要です。がっかりしたのでしょう?」

「だから何にですか?栗洋館さんこそ遠回しにせず、言いたいことははっきり言ってください」

「なんと!私の口から言わせるつもりですか!?ズルい女ですね!」

「ズルくないし、男の中の男です」

「ぐぬぬ・・・」

 実際の会話でぐぬぬっていう人がいるんだぁ、とちょっぴり感動しつつ未だ明らかにならない栗洋館さんの心情を推し量ろうと考える。まあ答えなんてすぐには出ないけど、ハンギョドンのマスクを脱ぎ去った後からこのネガティヴモードに入ったということは、やはり相当根深い顔への劣等感があるのだろう。ただ、そうだとしても知ったことか。僕にとってはそんな劣等感ごとラップに包んで、大切におにぎりにしたいと思えるほど愛しい。

 暗い面もちで俯いてしまった栗洋館さんが、両手でギュッと握りしめているハンギョドンのマスクを奪い取った。

「あ、ハンギョドン」

 そして、静かに栗洋館さんの顔に被せる。

「・・・?」

「僕にはあなたの気持ちは分からない。でも、もしその素敵な顔にも関わらず引け目を感じる何かがあって、見せたくないものなんだったとしたら、見せなくていい」

「そんなのってない、変だよ」

「変でいい。僕はかまめしどん、君はハンギョドン。ずっと二人マスクを被っていよう。ずっと、君の話し相手になりたいと思う」

 ハンギョドンが、両手で顔を覆いうずくまった。心なしか肩が震えているようだが、そのことには触れないでおく。でも肩には触れる。



 その後、栗洋館さんが落ち着くまで公園のベンチに並んで座った。心が固まると、周囲を行きかう人々の後期の視線も気持ちよく感じるものだ。さあどうぞ、見たいだけ存分にご覧くださいってもんだ。

「私、魚顔なんです」

「・・・どういうことでしょうか」

 唐突に栗洋館さんが話し始めた。

「目と目が離れてて、鼻は小さく、笑うと口が大きくて、おまけにおでこが広い。そんな典型的、魚顔女の代表みたいな顔なんです、私」

 そう言われてからさっき見た、正面栗洋館フェイスを想起すると、確かに今さっき栗洋館さんが述べた魚顔とやらに当てはまる特徴があった。

「じゃあ世間一般に定義される魚顔だったとして、それはそんなに気後れするほどの個性ですかね?」

「・・・中学校の時。好きだった同じクラスの男子に勇気を出して告白したんです」

「青春ですね」

「全然。私にその男子がなんて言ったと思う?」

「『Wonderful!』とかかな」

「逆よ」

「逆、とは」

「お前みたいな魚顔、ムリだわって」

「逆だなぁ・・・」

「それも、半笑いで心底私を見下したような感じだった。私、その日から自分の顔がとっても醜いものに思えて仕方なくなって、今のこのハンギョドンに至るわけです」

「最後かなり端折った気がするけど、事情は分かりました」

「ミズノさんには申し訳ないと思ってます。マッチングアプリで初めて会う女がハンギョドンのマスクを被って現れるなんて、飛行機に乗ったら他の乗客が全員インド人、ぐらい衝撃的ですよね」

「何、そのカレーの匂いが充満してそうな機内は」

「でも私はそうするしかなかったんです。私だってそろそろ恋愛のひとつぐらいしたいけど、男性からもう一回あの日みたいなこと言われたら、私・・・、私もう立ち直れないかもしれない」

「でもなんでハンギョドンを?」

 ついに核心をついた質問を投げかける。

「だから考えたの。まずハンギョドンのマスクを被って現れて、強烈な魚顔のイメージを植え付けるでしょ。その後、マスクを脱いで私の顔を登場させても私の魚顔度合が中和されて、普通の顔じゃね?って勘違いさせることができると思ったの」

「『まずハンギョドンのマスクを被って現れ』のところ、思いつくだけでも称賛に値するのに、実行できたあなたは尊敬に値するよ」

「それもこれも、受け入れてくれたミズノさんの度量の大きさあってのことです。ありがとうございました」

 すっかり落ち着いたらしい栗洋館さんの様子に一安心した。本当に僕は栗洋館さんの顔についてマイナスの印象を持っていないし、むしろ可愛らしいと今でも思っている。だけど、どれだけ言葉でそのことを伝えたとしても、栗洋館さんの心に残る傷は想像もできないほど深く、すぐに信じてもらうことはできないだろう。

 だから何だ。僕はこれから嫌というほど栗洋館さんと一緒にデートして、いっぱいおしゃべりして、いつか自然とハンギョドンの必要性を感じなくなるぐらい当たり前の存在になるんだ。

 君のことを教えてほしい。愛しのハンギョドン。

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まいっちんぐまっちんぐ 一ノ瀬 水々 @amebrain

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