第2話 恋する凡人
少し曇った空の下、春の日曜日の午後2時半、待ち合わせ場所に指定したのは駅南改札を抜けた先の「未来を指し示す少年像」、通称フルチン像前。俺は気合を入れて30分前に到着したものの、既に待ち合わせ場所には俺を待つ人影あった。
なぜ、駅前の定番待ち合わせスポットの多くの人の中でたった一人の俺の待ち人を特定できたのか。それは言わずもがな、当たりき車力の車引き、人の頭が並ぶ町中にあってたった一人だけが魚の頭をしていたからだ。そう、愛しいハンギョドンが下を俯きがちで俺を待っていた。
「・・・」
俺はちょっとだけ悪戯な出来心が芽生えた。愛しの半魚人の目の前に立ち、明らかにそれが俺の目的の人であることが分かっているにもかかわらずただ立ち開かった。そうだ、昨日の待ち合わせでは彼女に先手を打たれて大いに気持ちを乱されたのだ。些細なお返しぐらいはしても罰は当たるまい。
ハンギョドンがピクリと反応し、俺のつま先を確認したことを認める。そしてそのままおずおずといった様子で視線を脛、腿、腰、胸、そして顔へ移す。
「ミズノさんですね、二日続けてお呼びしてすみみゃぁぁぁぁ!何!!?かまめしどーーん!!!」
今日の俺は彼女と同様に被り物を装着していた。それもアンパンマンのキャラクター、どんぶりまんトリオの一角、かまめしどんの、だ。なぜ都合よく被り物を持っているのか、それもかまめしどんなのかというと、先日姉が俺のワンルームに訪問してきた際に一歳になる娘を連れてきた。叔父として、この家系図の中に名を刻んだ新たなメンバーに最大限の愛情表現およびもてなしをするべく、俺は訪問の連絡を受けた直後にデパートのおもちゃ売り場に急行した。そこで子どもから絶大な人気を受けるもの、そうだアンパンマンだ、とアンパンマンになりきって我が姪を玄関で出迎えるプランをグッズを買い求めるため、陳列棚から陳列棚にかけて三千里もの距離をかけ母を探し続けた少年マルコのように必死に探し回った。
しかしタイミングが悪かったのか、メインどころのキャラクターについてあらかた商品が売り切れており、かまめしどんだけが探しつかれた俺に優しい笑顔を向けてくれていた。結局、我が姪からは壮絶な泣きをくらい、行き場のなくなったかまめしどんマスクは衣装ケースの裏に半ば捨て置かれていた。
「ははは、軽いジョークです。栗洋館さんの素敵なハンギョドンに似合う男になりたくて」
「そっ、それはお気遣いをいただきあっ、ありがとうギョざいます。いえ、ございます」
「はっはっはっ!」
「ミズノさんったらなんてユーモラスな方!昨日助けていただいたお優しさに加えてこのユーモア、私ったらもう心臓の高鳴りが止まりませんことよ」
「馬鹿言っちゃいけない、それはただビックリしただけの鼓動の早鐘でしょう、このかまめしどんによる、ね」
「まあ、またユーモラスが溢れておりますわ、とめどない。とめどないんですね」
「俺と栗洋館さんのこれからの未来のように、ね」
「おやめくださいったら、もう」
「はっはっはぁー!うわー、はっはっは!」
というような展開を希望していたが、実際のところは下を向いていたハンギョドンが明らかに動揺したまま何も言葉を発しないハンギョドンになっただけであった。素っ頓狂な叫び声を上げた後、ピクリともしない彼女の心中を推し量れるだけの器量を備えているわけもなく、俺自身も黙って固まってしまったので、それはもう地獄の底のような静寂が二人を包む。しかしながら、変なところでプライドの高い俺はここでかまめしどんマスクを脱ぐことはなぜか負けだと考えていた。起動しろ、俺の高性能脳細胞たちよ。この後の展開を1000通りでも2000通りでも予測しシミュレーションするのだ。そのどのパターンでも俺は栗洋館さんに対してユーモラスな返答をすることが可能だ。
「あのー、ちょっとお話伺ってよろしいですか」
「もちろん何でも。・・・うん?」
「先ほど女性の大きな叫び声が聞こえたものですから。パトロール中にね」
「Oh...My神よ・・・」
想定外のパターンだった。想定外のパターンの中でも最悪の部類に違いない。たまたま近くを巡回していた警察に職務質問だと。
「決して僕は怪しいものではありません。この女性は私の知り合いですし、今日待ち合わせしていたのですから」
「待ち合わせね。本当ですか?お姉さん、でいいかな」
「おそらくお知り合いだと思います。しかし確率は今のところ五分五分だとも思っています。ミズノさんのフリをした全くの別人の場合、私はひどい目に逢うかもしれません」
俺を見る警察官の目つきが一気に鋭くなった。この半魚人、コノヤロウなんてこと言ってくれるんだ。自分も十分に不審な存在だっていうことを忘れるなよ。
ひとまず警察官の疑いを晴らさなければならない。先ほどまで心の中で一本の大木のごとく鎮座していたちっぽけなプライドをぽっきりと折り捨て去った。そして憎たらしい笑みを浮かべるかまめしどんマスクも脱ぎ捨てて、緊張で引き攣る表情筋を無理やり引き上げて俺もニッコリ笑った。
「ね。俺でしょ」
「もう一度伺いますが、この男性はお知り合いですか?」
「間違いないです、95%の確率で間違いないです」
「栗洋館っ、さんっ!」
「100%になりました」
なんとか警察はおかしなコスプレカップルぐらいに納得してくれたようで微妙な顔押しながらもその場を去って行った。いよいよ軽い人だかりができてしまっていたので、栗洋館さんの腕を掴んでフルチン像前から逃げるように移動した。
「いいかげんにハンギョドンマスクを脱いでもらえませんか」
「それはどうしても、でしょうか」
「もし難しければ、そのマスクを着けておられる理由を聞かせてください」
以前のマッチングアプリ内のメッセージでは結局その真意を聞くことができなかった。もはやこういう顔の人と思ってこの後普通にデートする方が楽なのかもしれない。いや、そんな選択肢はない。
「・・・ハンギョドンお嫌いでしたか?」
「いえ、好きでも嫌いでもなく、そういうキャラクターがいるなと朧気に知っていたぐらいです」
「良かったです。ハンギョドン可愛いですよね」
「ええ、俺も既にただのキャラクターではなく、栗洋館さんと同一視するレベルで愛着が湧いています」
「それは、私に対しても愛着をお持ちということで?」
「栗洋館さんは余計な考察がお上手のようだ。今その件については黙秘でよろしいか」
「ズルいです。では私もこのマスクの件については黙秘でよろしいですね」
「あうぅ」
何なんだこの絶妙に掴みどころがなく、それでいて会話の主導権は握られている感じ。女性との会話とはこんなにも駆け引きが求められるものなのか。それとも彼女は男性との交友歴、は愚か交際歴も豊富なのではないだろうか。もしそうであるならば俺に勝ち目はない。この不可思議なマスクを巡る一連のやり取りだって、彼女の遊びの一つで、初めから俺なんて恋愛対象に入っておらず反応を見て楽しんでいるのではないか。もしそうなのだとしたら、俺のこの二日間は一切空回りの一人芝居になる。
確かめなければ、彼女の真意を。俺に対する感情の根源を。
「それではお話もひと段落ついたようなので、例のカフェに行きましょう」
「まだです」
「では歩きながらお話しませんか」
「はぐらかさないで下さい!」
「!!」
歩き出そうとする彼女の行く手を阻むように立った。なぜだろうか、栗洋館さんが小さく感じられる。まあ元々俺よりも10㎝ほど低い身長だったけれど。
「もう嫌なんです。俺には素顔を見せる価値も無いということですか」
「そっ!そんなことは微塵も思っておりません」
「本当にそうでしょうか。俺は、正直あなたに遊ばれているんじゃないかと懸念しております」
強がって冷静な風を装ってみたものの、本音を言えば言葉を発するごとに後悔の念が膨らむ。こんなことを言ってどうなろうか。人の心はいくらだって包み隠すことができる。栗洋館さんの次の返事が「NO」だろうが「YES」だろうがそれが真実である証拠はどこにもない。むしろ、せっかく人生で初めて女性とデートできる機会に恵まれたのだから、結果はどうなったとしても今を楽しめればいいではないか。栗洋館さんとの未来にこだわることなく、一回の経験として。
「だってそうじゃないですか!変ですよね、俺が様々な疑念を抱いても構わない構えだということの顕れに他ならない」
「それは・・・私にだって・・・」
「言い訳はお止めください。結果が全てです。現に俺はもう様々な不安を感じてしまっている」
「申し訳ありません・・・」
「アプリのプロフィールで確認しましたが、栗洋館さんは俺と同い年です。だからどんなことをしても許されるとお考えか。それにしてもこのような仕打ちはひどいのではないでしょうか。俺は普通の女性とデートができると思っていたのにがっかりです」
「・・・」
「遊びのつもりなら二回目なんて会ってくれなくてよかった。期待させて俺を有頂天にさせた挙句すべてブロックして御仕舞にするおつもりでしょうが、そんなことをされても俺は全く、一ミリも何のダメージもありませんから、残念!」
「・・・」
「あ」
熱くなって一方的にまくし立てていた。そのほとんどの言葉が栗洋館さんには関係のない、過去の片思いや失恋に関する俺の愚痴だった。こんなことを言われても困惑させるだけなのは重々承知だった。でも止められなかった。
栗洋館さんは途中から何も言わなくなり、元々ハンギョドンマスクのせいで表情が読めなかったが、より一層底知れぬ様子になっている。
「急にたくさん話してしまいました。失礼いたしました」
「いえ、ミズノさんの本音をお聞き出来てよかったです。私こそ、これまで慇懃無礼な態度で申し訳ありませんでした」
「そこまでは申しておりません、俺が言い過ぎであることだけが確かです」
「私からもミズノさんにお尋ねいたします」
「時間の許す限りいくらでもお受けいたします」
一呼吸置いた後に栗洋館さんは「もし、」と切り出し、そしてまた一呼吸置いた。目に見えないはずのその表情が明らかに重く、暗く陰るのが感覚として受け取られた。彼女もまた何か覚悟を決めたのであることが俺の喉を乾かせた。
「もし、このハンギョドンの下の顔がハンギョドンの様であったならば」
「は?」
「私の素顔がハンギョドンであったとしても、ミズノさんは変わらずお相手して下さいますでしょうか」
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