まいっちんぐまっちんぐ

一ノ瀬 水々

第1話 春の歌

 良く晴れた春の日差し心地よい土曜日の午後2時半、待ち合わせ場所として選ばれたのは駅南改札を抜けた先の「未来を指し示す少年像」、通称フルチン像前。俺は気合を入れて30分前に到着していたから、足は既に軽い疲れを感じている。


「あの~、マッチングアプリ“e-deai”のミズノさんですか?」

「はっ!はひっ!」


 待ち合わせ時間ピッタリに声をかけてきたってことは、間違いない、この背後から聞こえる声はあの人だ。


「栗洋館さんですか!今日はよろしくお願いします!」


 振り返った先には、白のカーディガンに濃い青色のスカートを身にまとった女性だった。髪は肩よりも少し長いくらいで、髪の先にかけてゆるくウェーブがかかっている。なんて清純そうなコーディネートなんだろう。俺の理想の女性像はまさしく清純派!であるから心は踊った。


「あ、あの。栗洋館さんですよね」

「ハイ、すみません、お待たせしましたか?」

「今来たばっかりです!」


 相手に対する気遣いまでできるとは、これはとても素敵な女性であることを予感させるではないか。俺よりも10㎝ほど背の低い栗洋館(これは彼女のアプリ上でのユーザー名だ。栗羊羹ではなく栗洋館であるところに彼女のこだわりやユーモラスを感じる)さんは近くまでくるとなんだかふんわりといい匂いがして、俺の鼻から脳の嗅覚を司る大脳か小脳かどこかが敏感に反応した。


「それはよかったです。ではアプリで話していたカフェまで行きましょうか」

「い、行きましょうか・・・」


 ここまで服装から雰囲気、話し方に至るまで完璧だといってもいいかもしれない。しかし、絶対に無視することができない、捨て置けない点がある。聞かなきゃ。勇気を出して聞かないと・・・。


「栗洋館さんっ!」

「どうされましたか」

「ひとつ質問させて下さい」

「ええ、何なりと。私が返答可能な範囲であれば尽力させていただきます」

「栗洋館さんはなぜ、、、どうして」

「どうされたのですか、急に緊張した面持ちになって、汗までかいて」

「いえ、これはその、お気になさらずに。」

「もしご気分が悪いようでしたらそこのベンチに腰掛けましょうか」

「そうしましょうか」


 これは暗に質問を遮られたのだろうか。栗洋館さんが俺の質問せんとするところを鋭敏に察知して、言葉を封じようとしたのだろうか。だって100人がいたら99人が真っ先に“その部分”について問うだろうことなのだから。俺は奇跡的に今の今まで質問を先送りにしてしまった1人となってしまった。

 なぜ俺がこんなにも栗洋館さんに後れを取ってしまったのかというと、そもそもマッチングアプリを始めたことにも起因することなのだが、壊滅的に人生でモテなかったことが理由だろう。小学校から大学生までたった一人の女性とも交際することが叶わなかったことは俺の精神構造の奥深くにまで病魔のように根を張り、蝕んでいる。高校の頃に片思いしていた天童さんとの放課後下駄箱での会話が想起される。



――「あっ、天童さん今帰り?」

――「そう、やっと部活終わってさ。家入くんも?」

――「そんなとこだよ。偶然だね」

――「そういえば家入くん聞いてよ」

――「何?」


―― 天童さんは俺によく話しかけてくれた。社会科の選択授業で政治経済を

 取っていたのが全クラスの中で三人だけで、俺と天童さんともう一人田中く

 んという男子生徒のみが受講していた。この田中くんは学内でもトップの成

 績であり、全国模試で全国の秀才たちと上位争いを繰り広げるような本物の

 天才であった。一度だけ会話したことがあったが、「政治経済が一番セン

 ター試験で楽勝だから選択した」と明言するほど飽くなき点数への執着を見

 せる宇宙人のような生徒だった。だから普段政治経済の授業の前後は凡人の

 俺と天童さんが自然と会話するような雰囲気が醸成されていて、何の意識も

 することなく天童さんと一緒に行動していた。だからウブな俺は天童さんの

 ことを意識し、好きになっていた。


――「私、彼氏できたんだ」

――「え」


―― 俺の高校時代の初恋はもろくも崩れ去った。その後の会話の内容はさっ

 ぱり覚えていないが、辛うじてサッカー部のボランチの男子から告白され

 OKしたことを記憶している。俺の恋はボランチによって打ち砕かれた。ち

 なみにその後、田中くんは「高校生活、受験に邪魔だわ」と言い残して通信

 制高校に転校していった。



「まだご気分は優れないですか」


 余計なことを考えている場合ではなかった。ベンチに腰掛けた俺と栗洋館さんはしばらく無言の時間を過ごしてしまったようだ。彼女の横顔をこっそり覗く。聞いてもいいものだろうか、それともこれが今の女性の流行りなのだろうか。俺が知らないだけでマッチングアプリにおける最初のデートはこんな風に会うのが当たり前なのだろうか。

 どうしても自分から会話をリード出来ない優柔不断な性格が邪魔をする。でもどう考えてもおかしな状況であるはずだ。なぜならば俺と栗洋館さんの前を通り過ぎる通行人が漏れなく、必ずこちらを一瞥して怪訝な表情を浮かべるからだ。さっきからずっとこんな様子だから、正直俺は栗洋館さんにこの動物園のパンダのような視線の集中の要因となっているあのことを詰問しなければならない。


「おかげさまで落ち着いてきました。ところで栗洋館さん、お尋ねしたいのですが!」

「ほぉ~~、ほぉ~~」

「え?」

「すぅぅぅ~~、ほぉ~~、ほぉ~~」

「栗、洋館さん?」


 意を決して言葉をかけようとしたその時、急に栗洋館さんの口元からスキューバダイビングをしているダース・ベイダーのような吐息が漏れだした。そして、その音が止んだと思った直後、ドサっと俺の左肩に強烈な痛みと重みが走り、栗洋館さんのその顔がもたれかかってきた。


「あの!!どうしましたか!栗洋館さん!!?」

「・・・」

「栗洋館さん??」


 もはや何がどうなっているのか分からないが、とにかく人生で初めて女性に肩を預けてもらえたと同時に、その女性が気を失っているらしいことが分かった。ど、どうしよう。まったく想定画の事態に俺の大脳か小脳かどこかは完全にその機能を停止しただパニック信号を全身に送るのみだった。


 ただ、未だに栗洋館さんの口元からは「ずこぉお~~」という図画工作、通称図工と発音しているかのごとく苦し気な吐息が漏れだしている。もしかしてこのマスクが息苦しいのではないか。そうならば失礼ながら一度このマスクを取っ払ってしまうことが急務なのではないか。


「栗洋館さんすみません!マスクを取ります!」

 そう告げるが早いか、俺は栗洋館さんの頭に手をかけ、一気にそのマスクを取っ払った。マスクの下には、顔中汗だくで茹でダコのように赤く上気しながら白目をむく美少女がいた。


 その後、しばらく風にあたって無事意識を取り戻した栗洋館さんは、マスクを取った直後以上に顔面を真っ赤にして「今日はもう本当に申し訳ありませんでした!!また後日改めてお詫びさせてください!!」と言い残して素晴らしい脚力で走り去っていった。

 これは新手のドタキャンだったのだろうと自分に言い聞かせ、面白い経験ができたからよかったのだ。そう心にしまい込み、マッチングアプリで次の女性を探そうとアプリを開いたところ、栗洋館さんからメッセージが届いていた。

 そのメッセージのやり取りの一部を少しだけお見せしたいと思う。以下の通りだ。


『今日はせっかくお時間をとっていただいたのに申し訳ありませんでした。ミズノさんがよろしければ、改めてまたお会いしたいのですが、いかがでしょうか』

『栗洋館さんがご無事で何よりです。こちらこそよろしければぜひまたお会いしたいです』

『そう言ってくださって少しホッとしております。次はお詫びを兼ねてミズノさんのご都合に合わせて待ち合わせ場所などを指定してくださいね』

『いえいえそんな、こちらはいつでもどこでも馳せ参じますのでお構いなく』

『そうはいきません。ぜひご希望をおっしゃてください』


 今日、聞けずにいたこと、今がそのチャンスであると思った。あのことをそのままにしてまた栗洋館さんに会うことはもうできない。俺の人生は今日この瞬間何かが変わる気がする。携帯電話を強く握りしめ、少しずつ確実に文字を打った。


『ちなみにですが、今日はなぜプロレスラーのようなマスクを被っていたのですか?それもハンギョドンのマスクを🐟!?』


 これは、俺と栗洋館さん、いや優香とのどたばたで少しキュンな恋のお話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る