116.螺旋、最下層

「――マスター、何かいる」


 グレーターデーモンとは違う存在をレギオンが感知したのは、一週間が経過した頃だった。

 あまりにも変化がなさすぎたので、休憩のため小部屋に退避する頻度が増えつつあったセナたちは、緩みつつあった緊張感を再度持つ。


「……床だね」


 そうして警戒しつつ降りていくと、暗闇の中から床が現れた。

 数歩下がれば闇の中に消えてしまうこの床は、どうやら螺旋の終わりであるらしい。

 下手にショートカットでもしようものなら、一瞬で床に激突してリスポーンするようになっていたのだろう。


「(数えてないけど、一〇〇周ぐらい? 面倒……)」


 だとしても面倒なギミックだ。

 長く深い螺旋階段を、対処の難しいモンスターを相手取りながら、数日掛けて降り続けなければ深層に辿り着けないなんて、バランス調整をミスっているとしか思えない。


 ……けれど、意味はある。

 意味を持たせずに、ただただ嫌がらせの如くクソギミックを用意する運営ではないはずだ。


「……人の子、が、ここまで来るとはな」


 空間に響く声は神秘的な存在のモノ。けれど、弱々しい声だった。

 セナは泉の精霊を思い出す。

 意思疎通は可能なれど、言葉を用いて会話できないほどに弱りきった、選定の剣を守護していた泉の精霊。


「貴方は精霊ですか?」

「……ああ」


 螺旋の最下層、直前になって漸く視認出来る床の中央で佇んでいたのは、黄衣を纏った壮年の男……のように見える。

 彼はセナの問いを肯定し、己が精霊であると認めた。


「何用だ、人の子……」

「えっと……選定の剣について、教えて欲しくて来ました」

「…………アレに、価値なぞ無い」


 セナが選定の剣について訊ねると、彼は不快な表情を隠さずに吐き捨てる。


「……あいつも不憫だ。約束を違えられ、それでも律儀に守護するとは……」


 思っていた反応とは違ったが、知らないわけではなさそうだ。


「あの、剣はもう無いです。泉は枯れてて、剣はボロボロの欠片しか回収できなかったので」

「………………そうか」


 黄衣の精霊は相づちを返したが、その表情は複雑すぎて内心を窺えない。

 しかし、自分から何かを語る気はないようで、セナが質問しなければひたすらに沈黙するのみである。

 セナは従魔たちを近くに呼んで、説得を手伝うように頼んだ。


「マスター困ってる。教えて」

「教えないと食べちゃうぞ」

「ら~ら~♪」


 ……説得というより脅しだが、レギオンは見た目が少女なのであまり効果が無さそうだ。

 ラーネは落ち着く歌を奏でている。


「…………来るぞ」


 突然、黄衣の精霊はそう言って姿を隠した。

 いったい何が来るのかと疑問に思いつつ、ダンジョン内であるため即座に警戒態勢を取ったセナたちは、なんの前触れもなく始まった地震によって体勢を崩しかける。


 床、壁、螺旋階段。このダンジョン内のあらゆるモノに亀裂が入り、その中でも特に大きな亀裂からは邪悪な気配が流れ出る。


 混沌の神々の権能によって生じる禍々しさよりも、もっと邪悪で悍ましい気配。

 かつて遭遇した人造魔剣、狂い月を何百振りも集めて混ぜ合わせて、それを更に何倍にも増幅したような、とにかく邪悪なのだと本能が警鐘を鳴らす気配。


 揺れが収まれば、その隙間からグレーターデーモンと称される異形の怪物が出現し始める。


「っ、レギオン!」

「全部斃す!」


 一体だけでも厄介なのに、亀裂から際限なく溢れ出てくる怪物たち。アーツを駆使して処理していくが、セナたちだけでは焼け石に水だ。


「影に呑まれろ……!」

群れレギオンで抑えても、足りない……」


 範囲攻撃で動きを止めても、数の暴力でレギオンの影が押されていく。レギオンの総数は万単位にまで膨れ上がっているというのに。


「(ギミック? ボス? それともユニーククエストに関連して……っ!?)」


 再び地震が訪れる。

 今度は小さな揺れだったが、セナの周囲に影が落ちる。顔を上に向ければ、螺旋階段の一部が崩れながら落下しているところだった。


 崩落は一箇所に収まらず、連鎖的に崩れては最下層へと押し寄せる。

 怒濤の展開すぎて、これにはセナも焦りを感じていた。


 だが、異変はこれで終わらない。

 間欠泉のように、亀裂から邪悪な気配が一気に溢れたのだ。

 視認出来るほど濃密な呪詛が、怨念が、邪悪が、グレーターデーモンを巻き込んで噴出する。


《――『巡り堕ちる勤勉の螺旋』:第一〇〇層の封印が崩壊しました》

《――イーヴィルゴッド・アトローシャス:【邪神の尖兵】が出現します》


「嘘でしょ!?」


 思わず叫ぶセナ。ふざけんなと喚き散らしたい気分であった。

 まだレベル一〇〇に到達していないというのに、レイド級の存在をダンジョン内で相手取らなければならないという絶望と、こんな無茶苦茶な存在をボスとして設定した運営への憤り。


 さすがに邪神そのものはボスにしなかったようだが、それでもやり過ぎである。


 この世界で神々が地上に降臨することは滅多に無い。ミリオネルシアという例外を除けば、神像を通じて信徒に加護を与える程度だ。

 秩序の神も、混沌の神も、世界とその内に生きる人々を守るために存在している。


 けれど、邪神は違う。

 グレーターデーモンを見れば分かるように、邪悪なる神々は破滅を望んでいる。

 このダンジョンの天井に描かれていた戦いを見れば分かるように、純度一〇〇%の邪悪な存在なのだ。


 そして尖兵とは、神々が自らの権能を使って生み出した分霊である。

 基となった権能にもよるが、秩序の神々が生み出す尖兵ですら好戦的なのを踏まえれば……まず戦闘は避けられないと分かるだろう。


《――ワールドアナウンス》

《――【邪神の尖兵】が出現しました》

《――以降、各地に存在している【邪神の尖兵】の封印が緩みます》

《――対象地域:エーデリーデ王国、エルドヴァルツ帝国》

《――【邪神の尖兵】が出現したことにより、対象地域内の危険度が上昇します》


 アナウンスが更なる絶望を届ける。

 大半のプレイヤーにとっては寝耳に水だが、その恐ろしさを真に理解できるプレイヤーは少ないだろう。

 セナは今、この世界そのものを次の段階へ進めたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る