110.神威の一端

「じゃあ早速ですが……口で語るより体験した方が、早いでしょうね……」


 ロンディニウム卿はジョウロを地面に置き、近くの植物を手折った。


「私の神威は……普通に使うと過剰になりますので……」


 すると、手折られた植物は一瞬で枯れ、彼の手には種だけが残る。

 少し大きな、指先ほどのサイズがある種だ。


「…………《神威:堕落の軌跡ソドム衰退の末路ゴモラ》」

「っ、マスター!」


 危険をレギオンが咄嗟にセナを庇う。

 庇われたセナも嫌な感覚に襲われたことから、反射的に武器を構えようとした。


「ご安心ください……。今回は人を対象にしていませんので……多少の影響はありますが、軽く酔う程度で済むはずです……」


 警戒しつつ様子を窺うと、ロンディニウム卿は困った顔でそう語る。

 彼の左腕には、一つの種から発芽した花が大きく成長した姿で絡まっていた。


「……混沌の神々は、多かれ少なかれ死の権能を有しています。“暗き死にして冥府の神”を海に喩えれば、コップ一杯分程度の割合でしょうが……死は死です」


 死とは正反対の現象を起こしておきながら、彼は死について語る。


「死は……様々な形を取ります。それらは一貫して……生きとし生けるものに終わりをもたらす現象であり、遡及することのない、結末です……。その結末に至らしめる権能を持つのが……三魔神を始めとする、混沌陣営の神々です」


 ここまではセナも分かっていることだ。

 セナはプレイヤーではあるが、彼女にとって“猛威を振るう疫病にして薬毒の神”は本物の女神様である。

 たとえNPCと同じデータに過ぎないとしても、リアルから目を逸らすことで精神の安定を保っているのだ。


「……ですが、私が信仰する“衰退する精神にして堕落の神”は……直接的な死を与えません。繁栄させ、富ませ、生物としての絶頂期を迎えさせます。……ええ、活力を齎すのです」


 混沌に属する神とは思えない、人のための権能を有する神。

 しかし、人を騙す詐欺師がメリットを語りながら都合の悪いことを隠すように、短期的なメリットの裏に長期的な破滅を抱えている。


「……けれど、熟しすぎた果実は腐ります……。大量の水を与えられた花は、腐ります……。生きるための活力を失った生物は……精神的な死を迎えます」


 彼が自分の左腕を覆う花を宙に放り投げると、みずみずしさが嘘のように消え失せ、地面に落ちる前に朽ちて砕けた。


「神威は……その神の権能を借り受けること……。神々からすれば些細ですが……人の身で行使するには、とても負担が大きい力です……」


 砕け散った花は土と見分けが付かないほどボロボロになっている。

 ロンディニウム卿は最初、普通に使うと過剰になると言っていた。過剰にならないよう加減してこれなのだ。

 ほんの僅かな時間、大した下準備も要さずに対象を成長させ、精神的な死を迎えさせる。三魔神に相応しい権能だ。


「……私が、蝕騎士を名乗ることを許された由縁は、この神威です……。私は平和主義者、なのですが……簡単に人を殺せるので、重宝されています」

「ロンディニウム卿、それは貴方に限った話ではありませんよ。私も、他の騎士も、効率的に他者を殺害できるから召し上げられているのです」

「……そうなんですか?」


 とても物騒な話になってくる。

 セナがメルジーナに本当のことなのか訊くと、彼女は神妙な面持ちで頷いた。


「おそらくセナ様も、神威を授かれば帝国騎士を名乗れますよ」

「えぇっと……それは辞退したいです」


 セナはプレイヤーである。魔大陸に行くどころか、この大陸すら満足に探索出来ていないのだ。

 譲歩する姿勢を見せてくれるよい国ではあるが、気軽に国外を出歩けなくなる身分になるのは困る。


「皇帝陛下もセナ様が来訪者であることは認知しているので、後ろ盾になる程度で済ませるとは思いますが……」

「……マスターは自由が一番。不自由になるぐらいなら、レギオンが守る」


 マスター第一主義であるレギオンは、不穏な予感を感じ取ってセナに覆い被さる。

 彼女は国とか身分とかはどうでもよくて、ただマスターであるセナと自由に楽しく過ごしたいのだ。

 もちろん狩りも楽しむし、命じられれば自爆だってする。

 セナを庇護し、セナのために戦い、セナと一緒に過ごしたい。それがレギオンの願いだ。


「(……むず痒いなぁ。《思念伝達》があるから、レギオンの思考が伝わってくるんだよね)」


 双方向の伝達を行えるアーツによってレギオンの意思を感じ取れるセナは、その純粋な願いにむず痒さを覚えた。

 セナ自身も、リアルに生きる一般人と比べればかなり純粋な人格をしているが、レギオンに形成された人格は純粋無垢すぎる。

 子どもらしいわがままを兼ね備えた純粋性なのだ。


「まあ、神威を修得すればの、話ですが……」


 ロンディニウム卿が話を締めくくる。

 彼の言う通り、身分どうこうはセナが神威を修得してから起こる問題だ。

 騎士の身分を与えるのか、後ろ盾になるのか、それとも横紙破りをしてセナだけの身分が作られるのか。どれも憶測に過ぎない。


「……ニアール卿。サルサット高原にはダンジョンが、ありましたよね……? 半月ほど篭もれば……レベル100間近には、なると思うのですが……」

「いくらダンジョンとはいえ、他家の領地の一部を占有するのは難しいでしょう。許可が下りるとしても、どれだけ待たされるか」

「そこは、ニアール卿の伝手と人脈で……根回しするしかないでしょう……」


 次の話題として二人は、セナが効率良くレベリングできる場所について相談し始めた。

 セナはまたもや置いてけぼりである。

 そしてレギオンは、小動物のような微笑ましい威嚇を続けていた。


「(いつになったら、話が終わるのかな……)」


 ずっと話を聞かされ続けると、さすがのセナでも退屈に感じる。

 最後の方は右から左へ聞き流すぐらい飽きていた。

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