107.女帝

 その女性の容姿を一言で述べるのなら、真っ黒が適切だろう。


 黒曜石のように黒く艶やかな肌、石灰のように白い睫毛と頭髪、開かれた瞳は血のように赤黒い。

 だが何よりも特徴的なのは、頭部から突き出ている捻れた角と、腰から伸びた長い尾だろう。

 真っ黒な肌と同じ色の角と尾には白い甲殻が付いている。まるで蛇腹剣のようだ。


 彼女は黒曜の民オブシディアンと呼ばれる種族である。その起源は神話にまで遡るほど古く、一説では竜の血を引いているとされるほど。


 その存在をセナは知っていた。

 なぜなら、黒曜の民は混沌の神々によって生み出されたからだ。

 秩序の神々が生み出す人類種の敵として、強靭な肉体と途方もない寿命を授けられた種族。

 神話の中の戦争では、百の人を噛み殺し、千の群衆を薙ぎ払い、万の敵を駆逐したと伝わるほど。


「(フレーバーだと思ってたけど、実在してるんだ)」


 今では人類種の一つとして数えられているものの、その起源は循環のための殺戮装置だったのだ。

 当然、悪しき存在として認識している者は多い。


「陛下の御前だというのに、跪かんとは」

「……エーデリーデの思想に染まっているのでは?」

「来訪者はマナーすら知らんのか」


 何も言われなかったので立っていると、周囲の貴族たちが小さな声で悪口を言い始める。

 レギオンが顔を顰め、セナを守るように抱きしめる。


「――皇帝陛下は汝の罪を不問とする、と仰っています。どうぞ、そのままでお待ちください」


 しかし、玉座の側で控えていた男がそう言うと、彼らは途端に口を閉じた。

 彼の言葉は雑音の中でもよく聞こえるほど透き通っていて、威厳に溢れているものだった。


「(……なんで自分で喋らないんだろう)」


 皇帝は口を閉じたまま、退屈そうに眼下を見下ろしている。何かを見ているようで、実は何も見ていないのではと思うほど。


「……皇帝陛下は汝に名誉子爵の地位を用意する、と仰っています。帝国貴族として功績を積み上げれば更に陞爵するとも、仰いました」


 代弁者である男がそう言うと、列に並んでいた貴族の一人が前に出た。


「私は! こんなどこの馬の骨か分からぬ者に貴族位を与えるのは反対です!」

「そ、そうです! 陛下、取りやめてください!」


 一人が不満を言うと、彼らは次々と反対意見を述べ始める。

 それは感情論に基づいていたり、或いは屁理屈だったりするが、どれもセナという存在を認めない発言だった。


 皇帝も、代弁者も、メルジーナですら止めようとしない。


「(どうしよう……どうすればいいんだろう)」


 セナの居心地は最悪である。

 そうした方が良さそうだったからついてきたのに、皇帝は何も言わず、周囲の貴族たちが喚き立てるばかり。

 一体何のために呼ばれたのだろうとセナは思う。


「――貴様らの意見はよく分かった」


 それから、ただ口々に反対するだけの無為な時間が過ぎると、皇帝がその尾を振り上げ呟いた。

 さほど大きくはないのに、喧騒の中でもよく響く声だった。


「リュグナー卿」

「は、はい!」

「死刑だ」


 そして、躊躇も容赦もなく振り下ろされた尾が、リュグナー卿と呼ばれた男の首を刎ねる。

 遅れて、空気が破裂する音が辺りに響いた。


 何が起きたのかを理解できなかったのか、それとも次は自分かもしれないという恐怖からか、貴族たちは錆びた鉄人形のようにぎこちない動きで振り返る。


「ホウロウ卿、ファクター卿、リーゲル卿、アンダーク卿、ザラトラッハ卿……リュグナー卿。貴様らは略式裁判で死刑が決まっている。皇帝陛下は速やかな処刑をお望みだ」


 代弁者の男がそう言うと、メルジーナは素早く剣を引き抜いて逃亡する貴族たちを斬り伏せた。

 よく見れば、処刑されたのは反対意見の中心になっていた者たちである。

 名を呼ばれていない貴族は、我関せずといった様子で佇んでいた。


「えぇ……?」


 そんな中、代弁者が淡々と罪状を読み上げる。


「領地経営の怠慢、資金の横領、法に反する賄賂、非合法の奴隷売買、他多数の罪が明らかとなったため、彼らの処刑が決定された。多民族国家である帝国では、非合法の奴隷売買は重罪である」


 どうやら彼らは重い罪を犯していたらしい。

 セナからすれば事実かどうか定かではない一方的な処刑であったが、いちおう筋は通っているようである。


「……血生臭い場ですまないな、来訪者。こうでもしなければ纏めて処刑できなんだ」


 処刑が終わってようやく、皇帝はセナに声を掛けた。

 なんて返せばいいのか分からないセナは、曖昧に頷くことしかできない。


「改めて名乗ろう」


 優雅に立ち上がり、つい先ほど人を殺した尾を撫でながら、彼女は名乗る。


「余がエルドヴァルツ帝国皇帝、ヴィルヘルミナ・エル・ディアナである。我が帝国は貴様を歓迎するぞ」


 情けも容赦もない処刑を見せつけられた直後では否と言えない。

 しかも、先ほどの尾の一振りはレベル80目前のステータスでも視認できなかったのだ。敵対すれば瞬殺されるだろう。


「手始めに、名誉子爵の地位と土地を下賜してやろう」

「あ、えっと……その、貴族位とかは要らない、デス」


 だからセナは、目線を泳がせながら、勇気を振り絞ってそう伝える。最悪、リスポーンしてすぐ帝都から逃げれば大丈夫だと考えながら。

 こんな怖い人がいる街で、しかも貴族位なんて面倒なモノ抱えていたくない。


「なら何が欲しい? 大抵のものなら褒美として下賜してやろう」

「あの、特に何も要らないです」

「……欲が無いな貴様。他の者なら目を輝かせて、厚かましい願いを言うのだがな。なら、貴様が信奉する神の教会でも建てるか?」

「――お願いしますっ!」


 代価として何を要求されるのか分からないので、恐る恐る断っていたセナだが、最後の教会建設には飛びついてしまった。

 “猛威を振るう疫病にして薬毒の神”の教会が建てられれば信仰が集まる。継続的な布教に繋がるだろう。


「……あっ」


 しかし、代価が未知数である。

 セナは「しまった」という顔をして、ゆっくりと皇帝の顔を伺う。

 一般常識が少し欠けているセナではあるが、これはさすがに失礼だと思ったからだ。


「ふむ、なら予算を工面せねばな。多少の時間は掛かるが、一等地を買い上げて建設させよう」


 だが皇帝は、嫌な顔一つせず決定事項として受け入れた。


「……あの、なんで何もしていないのに褒美が貰えるんですか?」


 逆に怖い。何もしていないのに与えられる褒美が怖い。

 なのでセナは質問した。

 機嫌を損ねれば殺されるかもしれないと思いつつ、威嚇しているレギオンを抑えながら質問した。

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