92.いざ帝国へ

 さて、エルドヴァルツ帝国との国境にある関所に向かうには、まずラヴァシータの北東側から地上に上がる必要がある。

 ラヴァシータを経由せず地上を進むことも可能だが、そちらは大幅に迂回しなければならず、しかも強大なモンスターが生息するフィールドを通らなければならない。

 経験値だけでみるなら一石二鳥なのだが、最低でも一週間のロスを覚悟する必要があるルートだ。


 地上へ上がる洞窟を進むセナは、ときどき遭遇するモンスターを蹴散らしながら、マイペースに歩いている。

 レギオンにトドメを刺させれば完全遺骸がドロップするので、必要の無いアイテムでインベントリが圧迫されることも無い。


 洞窟を抜ければ平地に出る。疎らに木の生えた平地だ。

 しばらくは一本道であったが、途中で他の道が合流しているのもあり、だんだんと人の数が多くなる。

 馬などの動物に荷物が満載の馬車を牽かせる商人と、護衛らしき複数の冒険者。


 セナの格好は、端から見ると冒険者というよりは神官らしいので、すれ違う人々から心配をして声を掛けられた。


「たった三人で旅かい? それに、この先はエルドヴァルツ帝国だから街なんてないけど、親御さんは?」

「冒険者だから大丈夫です。あと、レギオンは私の従魔です」

「従魔……?」


 訝しむ商人だったが、レギオンが影を蠢かすと後ずさりしつつ納得した。

 ただ蠢くならともかく、異形の腕や牙が生えてくれば当然の反応と言える。


 徒歩と馬車では移動速度が違うので、商人はすぐに離れていく。

 セナはまたしばらく歩き続け、やがて大きな建造物が見えてくる。


「あれが関所かな?」

「大きいね」


 大凡で一〇メートルはあるだろうその砦には、エルドヴァルツ帝国の国旗が飾られている。

 風に靡いている国旗は紫色を基調としており、交差する剣と竜の頭が描かれている、非常に力強いものだった。


 建造物の中央には巨大な門がある。

 並んでいるのは護衛を伴った商人ばかりなので、セナのように馬車すら持たない人が並ぶのは珍しい。

 物珍しさからか、セナにはたくさんの視線が投げかけられている。


「……許可証か、もしくは紹介状を」


 門を塞ぐように立っているのは、帝国軍人だ。

 軍人と言われて真っ先にイメージする姿そのもので、腰には剣などの武器が提げられている。

 ぶっきらぼうで冷たい雰囲気だが、セナは物怖じせず便箋を取り出して渡す。


「……確認する。少し待て」


 それだけ言うと、彼は建物の中に消えていった。

 しかし、一分もせず戻ってくる。


「許可証、拝見いたしました。我らが隊長がお会いになりたいとおっしゃいましたので、案内させていただきます」

「……?」


 彼は直立不動の状態で綺麗な敬礼をした。そして、セナを砦の中に案内する。

 案内される側のセナにはわけが分からなかった。

 あの便箋には、いったい何が書かれていたのだろう? と不思議がるばかりである。


「――入りたまえ」


 案内された部屋は書斎らしき場所だった。

 壁には大きな地図が張られており、扉に対面するように立派な机が置かれている。そして、椅子に座ってこちらに顔を向けているのは、初老の男性であった。


「ふぅむ……神官かと思ったが、本職は狩人かね?」

「ジョブのことですか?」

「うむ。エルドヴァルツ帝国は有能な人材を求めているのでね。秀でた才能の持ち主であれば、犯罪者であろうと歓迎するとも」


 彼の物言いから、セナは自分が指名手配を受けていることは知られていると考えた。

 ただの指名手配犯が関所を通ろうとすれば捕らえられ、指名手配している側の国へ引き渡されるのだが、その点は用意して貰った便箋で解決できるはずである。

 それに、特に嘘をつく理由はないので、どんなジョブなのかは正直に答えた。


「ほう、専用ジョブか。珍しいな」

「みたいですね。これまでも驚かれました」

「それに、よく見ればその装備から神の気配を感じる。ここまで神に愛された者なぞ、これまでの人生で見たことが無い」


 顎を撫でながら、彼は値踏みするような眼差しでセナを見つめる。

 しかし、どうやら手応えは悪くないようで、セナをどうこうしようとする様子は感じ取れなかった。


「――いいだろう、入国を許可する。元々、君のように特異な存在は、喉から手が出るほど欲しかったからな。それに、来訪者はエーデリーデ王国が独占していたからな、こちらに来てくれるのはありがたいのだ」


 椅子から立ち上がりセナの前まで来ると、彼は右手を差し出す。セナは握手に応じた。


「……ところで、君は“猛威を振るう疫病にして薬毒の神”を信仰しているそうだが、神威は修得したのかね?」

「いえ、まだです」

「そうか。ではロンディニウム名誉子爵と会うことがあれば、訪ねるといい。彼は“衰退する精神にして堕落の神”を信仰し、なおかつ神威を修得した強者だからな。必要であれば、私が一筆したためよう」


 そう言いながら、彼は適当な紙を取り出してさらさらと手紙をしたためた。

 溶かした蝋を垂らし、シーリングスタンプを押して封をしている。

 セナは受け取ったその手紙を見て、差出人の名前が無いことに気付く。


「……? これって、誰の手紙か分かるんですか?」

「ああ、封蝋の色と模様で判別できるのだよ。気にしなくていい」


 用事は済んだとばかりに、彼は椅子に座り直した。そして、待機していた軍人が扉を開いて退室を促す。

 扉が閉まる直前、「――敵味方の区別ができれば軍部に欲しいが……」と呟かれた一言をセナは耳にした。

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