筋肉がなくなった話

久世 空気

筋肉がなくなった話

 まぶたに強い光を感じ、私は目を覚ました。私は寝ていたのか? 不思議な感じだ。長く眠っていた気がする。だけど布団に入った記憶がない。ぼんやりと、外を歩いていた記憶はあるけど・・・・・・。

 とりあえず、起き上がろうとして体の重さに驚いた。風邪でも引いていただろうか。それになんでベッドなんだろう? 私は畳に布団派だ。

「お姉ちゃん?!」

 戸惑っていると妹の美紀の声がした。顔を上げると、白い壁を背景に美紀が花瓶を持って驚いた顔をしている。

「美紀、何か、痩せた?」

 声を出してみたけどなんかかすれている。と、いうか一緒に暮らしているのに何で痩せたことに気付かなかったんだろう?

「お姉ちゃんだって・・・・・・っていうか、意識が戻ったんだね!」

 美紀が花瓶をサイドテーブルに置いてから、ぎゅっと私を抱きしめた。

「え? え? どうしたの? 美紀? 泣いてるの?」

「お姉ちゃん、車に轢かれて1年も意識がなかったんだよ?」

 言われて気付いた。ここは近所の総合病院の病室だ。何度か友達のお見舞いに来たことがある。丈夫な私には無縁なところだと思っていたけど・・・・・・。

「そっか、心配掛けたね。ごめん」

「謝らないでよー!」

 美紀がさらに泣き出したので、私は背中に手を回してポンポンと優しく叩いた。

 そして気付いた。

「ちょっと、美紀・・・・・・」

「なあに?」

 私は美紀から体を離し、自分の体を見下ろす。そして体を触った。

「ない!」

「え?」

「なくなってる!」

 美紀が悲しそうに言った。

「お姉ちゃん、胸は元々ないよ?」

「ちがう! そっちじゃない!」

 私は上腕二頭筋を肩の高さまで上げて、逆の手で掴んだ。

「筋肉がなくなってる!!」

 ああ、と美紀が納得したように声を漏らす。

「だって、一年も寝たきりで筋トレしてなかったから」

 私はガクッと肩を落とした。

「丹精込めて、育てた私の、筋肉・・・・・・」

 太ももも、細い。自慢のちぎりパンのような腹筋も、ただの食パンだ。

「お姉ちゃん、それより仕事とかの心配はないの?」

「ない! 仕事はいつも私を裏切るけど、筋肉は裏切らなかった!」

「そんなことないと思うよ。今も会社の人待ってくれてるよ」

「そうなの?!」

 それはありがたい。けど私がたくましくなるほどに嫌みを言ってきた上司を私は忘れていない。それでもグチグチと落ち込んでいると、美紀は座って薄くなった私の肩を抱いてくれた。

「お姉ちゃんは、婚約破棄されてから筋トレに励んでたもんね」

「・・・・・・あれで屑男を忘れられたようなもんだし・・・・・・」

 筋トレをしている間は無駄なことを考えずに済んだ。嫌なことを忘れて、一心不乱に筋トレをしているだけなのに、筋肉は私に付いてきてくれた。

「私が筋肉を裏切ったんだ」

「大丈夫だよ。筋肉はまた戻ってきてくれるよ。だって一度付いた筋肉は、落ちてもまた付きやすいって聞いたよ?」

 そうか、そうだよね。優しい美紀の言葉に涙ぐみそうになって、私はまた、はたと気付いた。

「美紀・・・・・・」

「なあに?」

「あんた、ちょっと腕硬くなってない?」

 私の問いに、美紀はふっふっふと不敵に笑った。

「気付いちゃった? さすがお姉ちゃんだね」

 そう言ってバッとめくり上げたセーターの下には、ダビデ像のような腹筋があった。

「実はお姉ちゃんが事故に遭ってから、お姉ちゃんの部屋の掃除をしつつ、ちょっと筋トレグッズ借りてたんだよね。そしたらいつの間にかはまっちゃって」

 兼々、美紀には素質があると思っていたけど、こんなに美しい腹筋を作るなんて。

「私も筋肉の付け方分かったし、これからはお姉ちゃんの筋肉を呼び起こすために、筋トレ付き合うよ!」

 傍にいる理解者の妹、そして裏切らない筋肉。

 私が再び上腕二頭筋をチョモランマに返り咲きさせる日も遠くないだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

筋肉がなくなった話 久世 空気 @kuze-kuuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ