おまけep152 落ち着け笑子。

「ついに!火曜日なのね!ああっ!緊張しすぎてメイクが上手く行かないっ!」 

 

 徳永笑子。29歳。美容系の会社に勤める、ばりばりの化粧に命をかけた女である。欠点は自生の眉毛がほぼないこと。


 カリスマメイクの八重子リスペクトゆえに、ナチュラルメイクに転向した笑子。実は先週末、会社でこんなことがあった。


「おはようございます。…あれ?徳永さん、メイク、、随分変えましたね?」


「え?はっ!ま、愛加ちゃん!そ、そうなの!どうかしら!?」


 笑子は同じ会社の2つ年下の同僚に恋をしてした。しかし彼女には恋人がいることを最近知ったのだった。失恋笑子であるが、しかし、、


「ふぅーん。いいじゃないですか。とてもナチュラルで似合ってます。今のほうが素敵だと思いますよ!」


 好きな人に褒められた笑子。その衝撃は計り知れなかった。まるでラーメン屋で提供されたラーメンに麺が入っていなかったくらい目を見開いてしばし固まった。


「あ、え?う、うそ・・・う、うれしいっ!」


 思わず涙がこぼれそうだった。しかし、彼女に恋人がいることは変わらない。でも笑子にとっては八重子に出会えたことで得られた嬉しい出来事だった。そんな先週末。


 今日は八重子との約束どおり、有給を使って仕事を休んだ。八重子のメイク動画配信のための撮影を見学させてもらうためだ。


「あの、登録者数500万人を超える人気配信者の八重子様と知り合えるなんて…まるで夢のよう…。あ!そろそろ出ないと!」


 5回やり直したメイクで、朝からこしらえた重箱の弁当を背負い込むと、笑子は自宅を出発した。


 八重子とは自宅近くの銭湯で出会っている。二人の家は徒歩で行ける距離だ。


 八重子の住むマンションに着くと、エントランスでインターホンを鳴らす。


『はい…。どちら様で?』*陰

『徳永です!徳永笑子でございます!』*陽

『あ、はい。開けますので上がってきて下さい…。』*陰

『はい!ありがとうございます!』*陽


 エントランスが開くと、エレベーターに乗り込む。鏡を見て化粧をチェックする笑子。


 エレベーターを降りて、八重子の部屋の玄関に着くと、深呼吸をして震える指でチャイムを鳴らした。


 ガチャ。玄関のドアが開く。

「お待ちしてました。ささ、どうぞ。」


 八重子はこれからメイクをするのですっぴんだった。藪睨みで笑子の顔を見上げた。その瞬間、笑子の心拍数は跳ね上がった。ドドドドドドドドドド!!


「ひゃっ!?う、う、上目遣いをっ、、こんなに間近でっ!!!こ、腰が抜けてしまいそう・・・」

「え?・・・なんか目が泣いているみたいにうるうるしていますけど、大丈夫ですか?」

「まぶしぃぃぃ!!!その素顔っ!自然オブナチュラルっ!!スキンオブ肌っ!!」


 パニック笑子。軽く過呼吸気味に八重子の家に入ると、玄関で靴を脱いだ。そして、月面着陸の瞬間のように最初の1歩を踏みしめた。


「か、感動です・・・。この瞬間のために生きていたのかと思うほどに、、」

「そんな、大した家ではないですが、、まぁ、どうぞ。。」


 この2人。推しへの愛の熱量はよく似ていた。しかしテンションが真逆であった。


「ええと、ここがリビングで、動画を撮るのはいつもここです。」

「きゃーーーーーぁぁぁぁ!!!このソファじゃないですかっ!!あっ!いつも映っている観葉植物がっ!!」


「ええ・・・なんかこわい。」



 八重子は思った。


 熱心なファンはいるけど、、ここまでの人は珍しいな。。っていうか、表し方が違うにしても、、これほど執着されるとこわいんだな。妙さんに今度謝ろう・・・。



 まるで、特殊な鏡を見ているような気分の八重子であった。


「すーはーすーはー・・・ああ、お部屋はシトラス系の匂い・・・」


 笑子、昇天。



 続く。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る