第20話 ルイーズの異常


 燃えるように熱い身体。ガンガンと痛む頭。呼吸がしづらくて咳き込むと、軽く上半身を起こされて背中をさすられた。

 その感覚に、ずいぶんと遠くの方にあった意識がわずかながら戻ってくる。


「──……最近、少し様子がおかしい節はあったんです。ふらつかれていたり、顔色があまり芳しくなかったり、いつも以上に眠たがったり……。本人は大丈夫と言うのですが、やはり心配だったので今日は外出はせずに過ごそうと」


「途中まではいつも通りだったんだ。とくに異常もなく、リュカさまとお話されていた。だが、急に胸が熱いと訴え出して……かと思ったら、そのまま倒れられてしまってな。わたしのせいだ。もっと気をつけて見ていれば──」


 従者たちの沈痛な声が聞こえる。

 うっすら目を開けると、視界の先にぼやけて見えたのは黒い塊だ。

 それが父であるグウェナエルだとすぐにわかったのは、ルイーズの意識が戻ったことに気づいた彼が手を伸ばしてきたからだった。

 ひんやりとした大きな手が額に触れる。その柔らかな冷たさにほっと息を吐き出しながら、ルイーズはなんとか『パパ』と口を動かした。


「少し疲れただけだ。きっとすぐによくなる。いまはゆっくり休め、ルイーズ」


 そっと頭を撫でられ、ルイーズはぼんやりと父の声を受け止める。


「おまえががんばり屋なことは知っていたのに、気づけなくて悪かった」


 そんなことないよ、と言いたかった。

 けれど、意識はすぐに重たい水の底へ沈んでいく。


(……ルゥの、知らない、なにかが……)


 身体の奥底で得体の知れない熱の塊が疼いていた。暴れまわるそれを外へ溢れださないようにするのが精いっぱいで、思考が散開してしまう。

 自由自在に操ることができる聖女の力とは、まったく性質の異なるもの。されど、おそらく力の湧きどころ、根源は同じであるがゆえに持て余しているソレ。

 なんと表現したらいいのかわからない。

 ただ、どうしようもなく苦しかった。怖かった。まるで身体が作り変えられているようで、名伏しがたい恐怖がルイーズの心を支配していた。


「……ルイーズ。おまえは──」


 愛称ではなく、名前で呼んだグウェナエル。その言葉の先を聞く前に、ルイーズの意識はまたもやぶつりと途切れてしまった。



「ぐ、グウェナエルさま……っ」


 ルイーズの部屋を出ると、真横から幼い声が響いた。らしくなくぎょっとしたグウェナエルは、。弾かれるように声の出所を見下ろす。

 そこにいたのは、頬を涙で濡らし目を真っ赤にしたリュカだった。


(……俺としたことが、ルイーズに気を取られすぎて気配にすら気づかなかった)


「リュカ、部屋に戻れと言っただろうが」


「で、でも、ルゥが心配で……っ! ぼくのせいだっ……ぼくが、ぼくのわがままにずっと付き合わせてたから……っ」


「落ち着け。ほら、ゆっくり呼吸しろ」


 泣きすぎて呼吸すらおかしくなりかけていた。

 内心面食らいながらも、グウェナエルは腰を屈めてリュカを抱えあげた。

 ぽんぽんと背中を撫でてやれば、まさか抱えられるとは思っていなかったのか、リュカはおかしいくらいに硬直した。


「ぐ、グウェナエル、さま……ぼくは、もう子どもじゃ……っ! だっこは、さすがに、あの、はずかしいです……」


「なにを言ってる。ルイーズとひとつしか変わらんだろうが」


「でも、ぼくは男の子だしっ」


「性別なんて些末なことだ。俺にとってはどちらも幼子にすぎん。──ほら、いいからそのまま掴まっておけ。部屋まで連れて行ってやろう」


 リュカの身体は、服越しでもわかるほどには冷たかった。

 この様子だと、ずっと部屋の外で待っていたのだろう。途中でエヴラールや医師が出ていったはずだが、それでもなお、頑として動かなかったのか。


(まったく、水不足の件もやめろと言われたのにやめないし……こう見えて頑固だな、こいつは。まあ、そのくらいの方が根性があって俺は好きだが)


 しかし、父であるエヴラールからしてみればたまったものではないのだろう。同じ親として頭を抱える気持ちはよくわかる。

 とはいえ、この〝頑固〟は絶対的にエヴラールからの遺伝だ。そう断言できるグウェナエルは、正直どっちもどっちだと思っていた。


「──ルイーズだがな。診察した医師の見立てによると、あの体調不良は環境の変化によるものらしい」


「環境の、変化?」


 ルイーズを診た医師は、グウェナエルが王であった頃から懇意にしていた者だ。

 名をオーブリーという。

 グウェナエルの帰還には驚いていたが、オーブリーはすぐに患者──ルイーズのことを優先していた。そういう仕事一筋なところが好ましく、彼への信頼度は高い。


「ルイーズは短期間であちこち移動していたからな……。その目まぐるしい環境変化が幼い身体には受け止めきれなかったんだろう」


「じゃ、じゃあ、悪い病気とかではないってことですか?」


「ああ。まあ、ようするに疲れだな。しっかりと休んで体調を整えれば、すぐに元気になる。だからそう自分を責めなくていい」


 その瞬間、リュカの両目からぶわっと大粒の涙が溢れ出した。

 よほど心配だったのだろう。安心したらまたもや涙腺が壊れてしまったらしい。


(純粋で、優しくて、責任感が強い。だというのに、変なところで自信がない。わかりにくいが、そういうところもエヴによく似ているな)


 リュカの部屋に着き、扉の前でリュカを降ろす。そのまま地に片膝をついて小さな王子と目線を合わせながら、グウェナエルは静かに告げた。


「リュカ。おまえが父親に認められたくて足掻いているのは知っているが、これだけは言っておくぞ。──王になりたくば、自分の力量を見誤るな」


「りき、りょう……?」


 若草の色彩に戸惑いが混じりこみ、複雑な色になって揺れる。


「そうだ。自分ができることとできないことを、はっきりと見定めろ。己の手に負えないことから目をそらすな」


「っ……」


「自分ひとりでなにかを成し遂げようとする心意気は立派だが、そうして周囲を疎かにすると必ず〝零れていくもの〟がある。いつの時代も、王というのはその〝零れていったもの〟に足をすくわれるんだ。心に留めておけ」


 おそらく、リュカが理解するにはまだ難しいだろう。だが、せめてこうして伝えておけば、なにかの拍子に心が覚えていてくれるかもしれない。

 そんなグウェナエルの思考を正しく汲み取ってくれたのかはわからないが、リュカはしばし沈黙すると、こくっとしっかり顎を引いた。


「ありがとう、ございます。あの、また……ルゥ、見に行ってもいいですか?」


「ああ、もちろん。見舞ってやってくれ。きっとあいつも喜ぶ」


「はい。……あの、ぼく……」


「どうした?」


「っ、いえ。なんでもないです。……おやすみなさい」


 リュカはどこか複雑そうな表情でぺこりと頭を下げると、部屋へ入っていった。


(ふむ。あいつは自分の思いを口にするのが、つくづく苦手なようだな)


 グウェナエルはひとつ息を吐き、いましがた歩いてきた方向とは逆へ踵を返す。

 歩き出した直後に「おい」と声を向けた先は、すぐそばの曲がり角だ。


「……お気づきでしたか」


「いくら息子のこととはいえ、立ち聞きとは趣味が悪いな」


「申し訳ありません。それと……リュカのこと、ありがとうございました」


 エヴラールの前を通り過ぎ、そのままグウェナエルは廊下を進む。二歩ほどあけて後をついてくるエヴラールは、なにやら悩んでいるようだった。


(親子揃って……まったく手がかかる。頑固というのも考えものだな。俺としてはこやつの方がよっぽど拗らせていると思うが)


 頑ななほど感情を表情に出さないゆえ、非常にわかりにくい。そんな男だからこそ、仲間内からはあまりよくない噂を立てられたりもしていた。

 まあ、当のエヴラールは、まったく気にした様子もなかったが。

 こうと決めたら、いかなる障害があろうが貫き通す。そんなタチゆえに、グウェナエルに向ける忠義も忠誠も、彼のなかでは決して揺らがないものであったのだろう。

 あえて口には出さないが、その忠義のもと律儀に王座を守り続けてきてくれた彼の想いには、グウェナエルも感謝していた。


「……ルイーズさまのご容態は?」


「なんとも言えんな。正直、これは俺も予想していなかった」


 ぐったりとした娘の姿を見たときを思い出して、顔が自然と険しくなる。

 正直、自身が封印されるときよりも恐怖を覚えた。

 どんな悪魔との力比べの際だってあんなにも肝が冷えたことはない。


「ルイーズのなかに眠る悪魔の力が暴走している、とオーブリーは言っていた。身体が受けいれて馴染むのを待つしかなく、外的にできる処置はないらしい」


「しかし、あんな小さな身体では体力も限界があるのでは」


「ああ、オーブリーもそれを案じていた。あの高熱にいつまで耐えられるか……。本当に力が馴染むかもわからない以上、気は抜けないと」


 きっかけは環境の変化。リュカに言ったことは、決して嘘ではない。

 だが、すべてを打ち明けたわけではなかった。真実を伝えれば、きっとリュカはもっと自分を追い詰めてしまうだろうから。


「魔界自体が包容する魔力に晒されたことで、体内に眠っていた悪魔の力が刺激されたんだろう。ディオンの話では、これまで聖光力こそ使えたが、闇魔法はいっさい使えなかったと言っていたしな」


 人と悪魔の子。禁忌に触れる存在だ。前例がない。オーブリーも対処法を探ると言っていたが、おそらくこれは周りがどうにかできる問題ではないのだろう。


「……エヴ。悪いが、俺は一度例の件から離れるぞ」


「承知しております」


「手伝ってやりたいのは山々だが、いまの俺はルイーズのことしか考えられん」


 それから、と足を止めて、グウェナエルは振り返った。


「おまえも仕事ばかりしていないで、もう少しリュカと向き合え。息子を抱きあげられる時期など一瞬なんだ。三年後には絶対に後悔すると断言できるぞ、俺は」


「っ……余計なお世話です」


「俺は失った五年間を毎日悔いているんだ。なにせ、生まれた直後に別れてしまったからな。歩けるようになったルイーズ、初めて言葉を発したルイーズ、走れるようになったルイーズ……そのどれも、俺はそばで見守ってやれなかった」


 ミラベルの記憶のなかで、すくすくと成長していくルイーズを見た。

 もしも、ミラベルとの別離以外の道があったなら。

 もしも、あのとき封印されずにふたりで逃げ延びることができていたら。

 そうしたら、ミラベルも病を患って死ぬことはなかったのかもしれない。

 そうしたら、両親揃って娘の成長を見守っていくことができたかもしれない。

 ──そんな可能性を考えるたびに、胸の奥が軋むのだ。


「……たとえ大魔王の力をもってしても、過ぎ去った時間だけは二度と戻すことはできない。なればこそ〝いま〟を見失えば先々の未来さえも失うんだ、エヴ」


 さすがに言い返せなかったのか、エヴラールがぐっと押し黙ったのがわかった。

 ふたり分の足音が、静寂が落ちる城の廊下を鳴らす。

 やがて、グウェナエルの耳にひどく掠れた沈痛な声が届いた。


「……重々、承知しておりますよ。我が主」

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