第19話 従者の勘



「ああ、ディオン。ここにいたのか」


 城の厨房に顔を出したのはグウェナエルだった。軽食を片手にルイーズの部屋へ戻ろうとしていたディオンは、予想外の登場に「おや」と目を丸くする。


「これから姫さま方のおやつの時間なので、サンドイッチを準備していたんですよ」


「サンドイッチ?」


「姫さま考案の軽食です。これが簡単で美味しくて。あ、グウェンさまもよかったら一緒に来られます? 姫さま方もお喜びになりますよ、きっと」


「いや……行きたいのは山々だが、その前におまえに話があってな」


 はて、とディオンは動きを止め、改めてグウェナエルを見た。


「自分に、でございますか? わかりました」


 ディオンは了承しながらも、ちらと時計に目を遣り、時間を確認する。

 ベアトリスひとりに子どもふたりを預けている状態だ。とても利口な子たちだから問題はないだろうが、それでも自身が離れるのは不安がまとわりつく。


「なに、そう時間は取らせん。最近のルイーズたちのことで、少しな」


「ああ……」


 おおよその内容を察して、ディオンは耐えきれず苦笑する。


「口を出すなと言ったのに、とお怒りですか」


「……エヴはな。俺はどちらかと言えば見守りたいという気持ちが強い」


「それはまた。意外ですね」


 グウェナエルはたしかにルイーズを溺愛している。

 だが一方で、ディオンやベアトリスほど過保護ではない。どちらかというと、日々の成長を温かく遠目で見守っているような節があった。


「べつに意外ではないだろう。父親が娘に甘いとはよく聞くが、甘やかすのとは意味がちがう。それに、ルイーズは〝見定められる〟からな」


「というと?」


「思考を巡らせ、あらゆる道筋を検討して、そのとき自分がこれだと思った選択をする。最適解か否かは差し置いて、あの子はもうすでにそれができているだろう」


「ええ。姫さまは非常に賢いお方ですから」


「ならば俺は、それがまちがった方向へと進まぬように見守りたい。これまで小さな世界で生きていた分、広い視野を持った子になってほしい。それだけだ」


 そう答えるグウェナエルの瞳には慈愛が浮かぶ。

 おそらくその目は、すでにはっきりと未来を見据えているのだろう。

 そう悟ったディオンは、面食らう一方でいっそ呆れてしまった。


(昔から思っていましたが、この方は真の髄まで〝上に立つもの〟なのですね。たとえその地位がなくなっても、性質自体は変わらないようで)


 王者の風格──否、余裕と言った方がいいだろうか。

 グウェナエルは常に世界を達観している。

 力で捩じ伏せてしまえば簡単だが、決してそうはしない。

 己の周囲に集うものを大切にし、彼らがよりよい方向へ進めるように導く。昔からそうだ。彼はいつだって〝羅針盤〟のような王であった。

 圧倒的な力を有しているにもかかわらず、それをひけらかさない。

 王位を狙ってくるものがいれば正面から受け止め、貶すことも必要以上に痛めつけることもなく、その者がさらに高見へとのぼれるように指導していた。

 グウェナエルが大魔王として魔界を支配していた時代、そうして彼に育てられた者は数えきれないだろう。

 ディオンやエヴラールだって例外ではない。だからこそ、彼こそが〝王座につくもの〟として相応しいと思っているし、そうあることを望んでいた。

 ──彼がふたたび目覚める、あのときまでは。


(不思議、ですね。〝王〟のときよりも、いまの方がずっとこの方らしいなんて)


「……グウェンさまは、やはり〝父〟ですね」


「どういう意味だ」


「どれだけ一緒にいても、自分は姫さまの父親にはなれませんでしたから。あなたを見ていると、なおのこと実感しますよ。まあ、それでいいのですけど」


 むしろそうならないように、ルイーズがディオンを父親だと思わないように、最大限の配慮をしてきたのだ。

 ミラベルが毎日のようにグウェナエルの話をしていたのも、日頃からルイーズの意識に〝父親〟という存在を残しておくため。混在しないようにするためである。

 その甲斐あってか、ルイーズはグウェナエルをすぐに父親として受け入れた。

 いっそ拍子抜けしてしまったくらいに、あっさりと。とはいえ、ディオンとしては最重要ミッションをクリアしたといってもいい。


「話を戻しましょうか。──最近の姫さま方について、でしたっけ」


「ああ。……あの子たちはやはり、今回の件から手を引くつもりはないのか」


「そうですね、どうにかこうにか〝水不足〟を解決できないか模索中ですよ。ああでもないこうでもないと、日夜おふたりで頭を悩ませています」


 大変可愛らしく、と笑顔で付け足すと、グウェナエルは苦笑した。


「ルイーズはリュカに付き合っている感じか」


「初めてのお友だちですから、力になってあげたいという思いが強いのかと」


「まあ、ルイーズは優しい子だからな」


「ええ。汲んできた水を浄化しては、それを溜めておく方法を考えたり。せめて河の一部分だけでも綺麗なまま保てないかと試行錯誤してみたり。……いやはや、小さな頭をフル回転させて話し合う姿はとても微笑ましいものですね。あの純粋さを、自分たちはいったいどこへ置いてきてしまったのやら」


「おまえ、純粋な時期なんてないだろう」


「おや、これでも〝純〟な部分はあるのですよ。姫さま相手に限り、ですが」


 笑顔で言いきったディオンに、グウェナエルは胡散臭そうな目を向けてくる。

 かつて魔界で〝不良極狼〟なんて二つ名をつけられていた過去を知る男は、ディオンの発言が信じられないらしい。まあ、自分でも信じられないのだが。


「なにはともあれ、自分としてはこのまま見守っていただきたいですね。こうして他者とかかわることで、姫さまもどんどん成長しておられますし」


「それは俺も感じていた。よく喋るようになったな、と」


「そうなんです。人なり悪魔なり触れ合いを重ねてきたおかげか、最近は前より表情も豊かになりまして」


 なにより、よく笑うようになった。そのぶん〝子どもらしい〟ところは息を潜めだしていて、以前にも増して甘えてこなくなってはいるのだが。


「子どもの成長など一瞬ですからね。お忙しいのは存じておりますが、グウェンさまも姫さまともう少し触れ合う時間を増やしてはいかがですか?」


「……そのために動いているところだ。俺としてもルイーズと過ごす時間はなによりも確保したいものだからな」


「毎朝『パパは今日もお仕事?』と訊かれるんです。物分かりがいい姫さまはわがままは言いませんけど、本当はすごく寂しがっておられると思いますよ」


 グウェナエルがぐっと言葉に詰まった。なにかを懸命に堪えるように片手で苦く歪んだ顔を覆ったかと思うと、やがて深々とした嘆息が零れ落ちる。

 その形容しがたい気持ちが胸が痛むほど理解できるディオンとしては、〝胸中お察しします〟と両手を合わせておくしかない。


「なるべくはやく、片をつける。それまでは頼んだぞ、ディオン」


「お任せくださいませ。姫さまは自分が必ず──」


 そこまで口にしたときだった。

 ふいに、北東の方角からガチャン!と勢いよく扉を開けた音が響いた。獣耳をぴくりと動かしてその音を拾ったディオンは、さっと表情を硬くする。

 ──とても、嫌な予感がした。


(姫さまの部屋がある方向から、ですね)


 グウェナエルもなにかを察したのか、空気をひりつかせながら足早に厨房を出た。

 ディオンもせっかく用意した軽食を持たぬまま、彼の後を追う。

 言葉を交わすまでもなく、ふたりそろって駆け出した。


(ああ、最悪です。こういう予感は大抵──)


 ルイーズの部屋は、厨房のある一階のちょうど斜め上あたり。二階の北東方向だ。

 とんでもない速さで廊下を駆け、二階へ続く階段を登りきったそのとき、


(──ほら、当たってしまうのですよ……っ)


「ディオンッ! っ、グウェナエルさまも……!」


 焦燥に満ちた声が廊下を走った。

 声の主はベアトリスだ。あちらも全速力で駆けながら、声を張り上げていた。その遥か後方には、小さな身体で必死に追いかけてきているリュカの姿がある。

 彼女が腕に抱えている子どもを見たディオンは、ガリッと唇を噛んだ。痺れるような痛みと血の味が広がるが、それすらも気に留めてはいられない。


「ルゥ……!」


「姫さま……っ!」


 身をもがれるような心地になりながら、ディオンは愛する主を呼んだ。だが、ぐったりと瞼を閉ざした子ども──ルイーズがその声に答えることは、なかった。


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