第16話 すれちがう親子


 店主が教えてくれた広場先の休憩場で昼食を摂り、その後もとくにバレることなく城下を見て回ったルイーズたち。引きこもり生活が長かった身からしてみれば、こうして自由に買い物をするのは初めての経験で、とても楽しかったのだが──。


(……リュカ、どうしたんだろ)


 リュカは、あれからずっと暗い顔をしていた。

 頭巾は深く被ったまま外さないし、話しかけても反応が薄い。加えて、時折こちらが聞き取れないほどの声でぶつぶつ口を動かしている。

 なにやら考え込んでいるのだろうが、聞きたくても聞ける雰囲気ではなかった。


(さっきの、そんなにショックなことだったのかな? おじちゃんはただ、エヴラールさまがどうにかしてくれるのを待つしかないって言っただけなのに)


 そんなリュカのことが気になって、ルイーズも心から満喫はできないまま帰宅の時間になってしまった。帰路につきながらも、リュカの顔色は戻らない。

 無事に城へ帰宅したルイーズたちを迎えたグウェナエルは、その形容しがたいどんよりとした空気を察しながらも、あえて追及はしてこなかった。


「楽しめたか、ルゥ」


「うん。クレプアン、すっごく美味しかったよ。また食べたい」


「だがおまえ、ふたつも食ってなかったか」


「見てたの?」


 まあな、と苦笑したグウェナエルは、ちらっとリュカへ視線を遣る。


(そっか、見てたからなにも聞かないんだ)


 ぽすん、とグウェナエルの手が頭巾に守られたリュカの頭に乗せられた。

 びくっと肩を跳ねさせたリュカだが、すぐにおずおずと目線を上げてグウェナエルを見返す。その瞳は迷いと不安を混ぜ込んだ複雑な色を孕んでいる。


「……グウェナエルさま。あの、聞いてもいいですか?」


「なんだ?」


「領地の水不足、なんですけど……。ぼ、ぼくができること、なにかありますか」


 グウェナエルは面食らったように片眉を上げた。


「ないな」


「……だけど、原因がわかってるなら、」


「たとえ原因がわかっていても、対処まで時間がかかることもある。エヴラールとて見て見ぬふりをしているわけではないぞ」


「わ、わかってるんですけど……民が、すごく困ってて。でも、ぼくはお城で困ったことなかったから、知らなくて……っ」


 ずっと考え込んでいたのは、領地の水不足についてのことだったようだ。

 てっきりエヴラール関係のことだと思っていたルイーズは、内心驚きながらも感心した。まだ幼いのに、どうやらもう民を守る王子としての自覚があるらしい。


「──リュカ、やめなさい」


 そのとき、ふいに低い声が空間を割った。

 勢いよく声の方を振り向いたリュカは、静かに階段を降りてくるエヴラールの姿を認めると「父上……」と喉を震わせる。そのまま、さっと俯いてしまった。


「この件はおまえにはまだ早い。そんなことより、せっかくルイーズさまと出かけたのになんだその態度は。おまえはどうしてそう──」


「魔王さま、待って」


 なんだか嫌な予感がして、ルイーズはとっさにエヴラールの言葉を遮った。


「ルゥは大丈夫だよ。ちゃんと楽しかったし、リュカだって……あっ」


「っ、ごめん、なさい……!」


 突然、リュカが擦り切れるような声で謝ったかと思うと駆け出した。

 踵を返した拍子に頭巾が外れ、黄金の髪が舞い上がる。

 涙の粒が数滴弾かれて地面に落ちたのを視界に入れた瞬間、意表を衝かれていたルイーズは我に返った。


「リュカ!」


 勢い余って転びそうになりながら、リュカの走り去った方向へ地面を蹴る。すぐに後ろから従者たちの焦った声が聞こえてくるが、振り向かないままリュカを追った。

 五歳と六歳。女の子と男の子。この年頃はたった一歳の差が大きい。男女差による身体の大きさも相まって、追いかけっこでは敵わない。

 とりわけ小柄なルイーズとリュカでは圧倒的な差があった。

 ぐんぐん引き離されるなか、ルイーズはその背に向かって声を張り上げる。


「リュカ! ねえ、待って!」


「ついてこないで……っ!」


「やだ! だってリュカ、泣いてる!」


「泣いてない!」


「ルゥ、見たもん!」


 これでは埒が明かない。

 そう思ったルイーズは、激しく息を切らしながらも続けて叫んだ。


「リュカ、なにに悩んでるのっ? なんで、魔王さまの前だと、そんなに緊張してるのっ? だって、リュカの、パパなのに!」


 ずっと聞きたかったこと。聞きたかったけれど、聞けなかったこと。思い切って投げかけた問いかけが効いたのか、リュカはようやく足を止めかけた。

 だが、その拍子に足がもつれ、ベタンと前のめりに転んでしまう。


「わあ、リュカ!」


 なんとか追いつき駆け寄ると、リュカは地面に突っ伏したまま肩を震わせていた。


「……リュカ……。いたい?」


「いたく、なんかないっ。これくらい──」


「じゃなくて。心が、いたいんでしょ?」


 ルイーズはその場にしゃがみこんで、よしよしとリュカの頭を撫でた。


「る、ル、ゥ……ぼく……っ」


 しゃくりあげながら顔を上げたリュカは、せっかくの綺麗な顔がもったいないくらいに大粒の涙と鼻水で濡れていた。ぐずっ、ずびっ、と鼻を啜る様子は六歳の子どもらしい年相応ぶりで、ルイーズはなんだか安心してしまう。


(……そりゃあ、王子さまだって泣きたいときはあるよね)


 リュカを助け起こし、ルイーズはポケットから取り出したティッシュで丁寧に顔を拭ってあげた。いつもは世話を焼かれる側だけれど、たまには逆も悪くない。


「すぐそこ、ルゥのお部屋だから。行こ?」


「っ……ゔん……」


「お鼻、ちーんしてね」


 自分より少しだけ大きなリュカの手を引いて、ルイーズは歩き出す。おろおろとついてくるディオンとベアトリスには、目線で〝大丈夫〟と伝えておいた。


(ルゥの方が、年下だけど。でも、おねえちゃんだからね)

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