第15話 城下へのお出かけ


 約一時間後──ばっちり身支度を終え、ルイーズたちは城下へ降りた。

 高地にある城からある程度の様子は見えていたが、いざ街中に繰り出せば、そこには想像を悠に超えるほどの煌びやかな世界が広がっていた。


「はわわわ……はわあああ……」


 天の川を一箇所に集めて町を作りあげたような〝星の国〟。初めて目にした魔界の様子とは比べものにならないほど幻想的で美しい。

 どこもかしこも整備が行き届き、全体の雰囲気も統一されている。


「ねね、ディー。悪魔ってみんな人型なんだね?」


 町を行き交う悪魔たちを眺めながら、ルイーズはディオンに訊ねた。


「あえて、ですよ。本来の姿はべつにある場合が多いです。自分もそうですが、日常生活では人型になっていた方がなにかと便利なんですよね」


 町を歩いているのは、もっぱら人型の悪魔だった。

 稀にディオンのように獣耳が生えていたり、角のようなものがあったり、尻尾が揺れていたりすることはあるが、凶悪な見目をしているものはいない。

 意識していなければ、ここが魔界であることすら忘れそうになるほどだ。


「リュカ、すごいね。ルゥ、こんなとこ初めてきたよ」


 視界に入るものすべてが新鮮で、目新しい。浮わつく感情を抑えきれずパタパタと両腕を動かして興奮を逃がしていると、リュカがクスッと笑った。


「ルゥが楽しそうでよかった」


 リュカは王子とバレないように外套を羽織り、頭巾を被っている。

 けれど、その下に覗く風貌は相変わらず甘く端麗だ。屈託なく微笑むとまさに〝王子さま〟で、ルイーズは少しだけどきっとしてしまった。


「ルゥ、ぼくと手つなごう? 迷子になっちゃったら大変だから」


 エヴラールがいないときのリュカの方が、ルイーズは好きだった。

 お兄ちゃん、とつい呼びたくなってしまうほど、リュカはいつもにこにことルイーズの世話を焼いてくれるのだ。大人しく引っ込み思案なところは変わらないが、挙動不審ではなくなるし、話すときもおどおどしない。


「ん。リュカは城下にくわしいの?」


「うーん、そこまでではないけど……。でも、お祭りのときとか内緒で何回か来てるからおぼえてるよ。案内するね」


「うん、ありがと」


 差し出されたリュカの手に自分の手を重ねる。

 たった一歳差なのに、リュカの手はルイーズよりひと回りほど大きかった。


「ディオン、ちょうど昼時だ。ゆっくり見て回る前に食事をした方がいい」


「そうですね。あちらに屋台も並んでいますし、昼食にしましょうか」


 ベアトリスとディオンの会話を聞いて、ルイーズは屋台で賑わっている方を見る。


(えっと……クォトレーズの蔓あり肉巻き、パレタッタの花のせ焼き餅、業火煮込みのマータン……。うん。びっくりするほど、どんなものかわかんないや)


 異世界の食べ物は、前世の記憶がほぼ役に立たない。

 材料名からして特殊ゆえに、名前も見た目も独特なものばかり。とりわけ、この魔界──エヴラールの城で出されるものは、初めて食べるものも多かった。


「リュカのおすすめは?」


「そうだなぁ、ルゥは甘いものが好きだから……。あっ、あれとかどう?」


 リュカに手を引かれながら、ルイーズは指さされた方向へ目を向ける。


「シードル花蜜のクレプアン……?」


「うん、シードル花蜜をたっぷり練りこんだ生地を焼いたものだよ。なかにもたくさん花蜜を詰めてあって、すっごく甘いんだけど美味しいんだ」


「それにする!!」


 大好物のシードル花蜜を心ゆくまで堪能できるなんて、このうえなく素晴らしい。

 きらきらと目を輝かせて飛びつくと、リュカは「じゃあぼくも」と笑った。


「ディー、お金ちょうだい」


「はい、姫さま。どうぞ」


 ディオンに銀の硬貨を一枚手渡されて、ルイーズは首を傾げた。


「これで足りる……? 向こうだと、いくらくらい?」


「クレプアンはひとつ二百五十コレなので、それ一枚でちょうどふたりぶんです。自分とベアトリスは、ほかの屋台でべつのものを買いますね」


 城を出る前にグウェナエルから預かった、お小遣いの魔界金。

 人界と魔界では、金銭そのものが異なる。ルイーズの前世の記憶はここでもいっさい通用しないが、感覚的にはだいたい〝日本円〟とそう変わらないだろうか。

 二百五十コレは二百五十円。ふたつで五百コレ──五百円。

 屋台金額としては、むしろ安い方かもしれない。


(銀のコインは、五百円玉……。よし、覚えた)


 前世との齟齬をはっきりと理解してついていくのは難しいが、そのぶん飲み込みは早くなる。ルイーズの賢さは、基本的に応用術でしかないのだ。


「じゃあ、買ってくるね」


「おひとりで買えますか? 初めてですし、自分も一緒に……」


「だいじょぶ。リュカもいるし、お買い物の仕方は前に本で読んだことあるよ」


(……そういえばルゥ、お買い物したことなかった)


 幽谷育ちの野生児は、基本的に食事の材料は採取してくるもの。

 つい当たり前のように買いに行こうとしてしまったが、今世のルイーズにとっては初めてのお使いならぬ初めてのお買い物となる。

 危ない危ない、と内心冷や汗をかきながら、ルイーズはリュカの手を引いた。


「リュカ、行こ」


「うん」


 シードル花蜜のクレプアンを売っている屋台の店主は、見るからに気さくでマスコットのような垂れ目が特徴的な悪魔だった。頭部の両側にはいかつい鹿角のようなものが生えているが、顔立ちはとても穏やかでルイーズは安心する。


「こんにちは」


「おっ、こりゃあかわいらしいお客さんだ。うちのクレプアン買ってくかい?」


「うん。……く、くれぷあん、ふたつください」


「ふたつなら五百コレだな。わかるか?」


「わかるよ。五百コレ……これで足りる?」


「おう、ぴったりだ! できたてをやるから、ちょいと待っててくれ」


 上機嫌で答え、店主はすでに成型されている生地を釜にいれて焼きだした。

 小さなルイーズは看板に阻まれてその様子が見えないけれど、すぐに甘くて美味しそうな香りが漂い始める。その香りにつられたのか、お腹の虫がぐぅと鳴いた。


「あまーい匂いする……!」


「ははっ、だろ? うちのは最高級のシードル花蜜を使ってんだ。美味いぞ~」


「楽しみ。ルゥね、それ大好きなの」


「なかにもたくさん詰めてやるからたんと味わいな。──ほーら、できた!」


 焼きあがったばかりのクレプアンのなかに、シードル花蜜をたんまりと詰める。

 クリーム器のようなものから大好きな花蜜がとろとろと流れ込んでいくのを見て、ルイーズはごくりと喉を鳴らした。


(……はっ、クリームパンだ!)


 どこかで見たことがあると思った瞬間、天啓のように蘇った前世の記憶。

 あの見た目は完全に〝クリームたっぷりのクリームパン〟だ。だが、シードル花蜜はどちらかというと蜂蜜のようだし、蜂蜜パンと考えた方がいいだろうか。

 ふたたびお腹の虫が鳴いて、隣にいたリュカがくすっと笑った。


「熱いから気をつけな。んで、これはもう一個おまけだ。いっぱい食えよ!」


 頼んだぶんのふたつと、おまけ。計三つの熱々クレプアンを両手で受け取って、ルイーズは満面の笑みでお礼を述べる。


「ありがと、おじちゃん。うれしい」


「あ、ありがとうございます。いただきます」


 ふたりで礼儀正しくペコリと頭を下げてから、ディオンのもとへと戻る。

 なかば想像ができていたが、ディオンは目に涙を浮かべながら見守っていた。


「ディー、見て。ちゃんと買えたよ」


「ええ、ええ! しかと目に焼きつけましたとも! ああ、姫さまが自分の知らぬ間に成長しておられて、寂しいやら嬉しいやら……!」


「おーげさ。それより、ベティは? いない?」


 ついいましがた、ディオンの横にいたはずのベアトリスの姿がなかった。

 ルイーズがキョロキョロとあたりを見回すと、ディオンは涙を拭いながら振り返る。


「ベアトリスには、自分たちの食事と飲み物を買いに行ってもらっています。すぐ戻ってくると思いますが……」


 その言葉通り、ベアトリスは両手に袋を抱えてすぐに戻ってきた。しかし、どこか浮かない面持ちの彼女を見て、ディオンは袋を受け取りながら目を瞬かせる。


「どうしました?」


「いや……飲み物が味の濃そうな果実水しか売っていなくてな。姫さま方のものは甘いから、あまり邪魔をしないものがよかったのだが」


「そういえば、ここに来るまでも飲料店自体が少なかったですね」


 たしかに言われてみればそうだ。

 食事系の屋台はずらりと並んでいるが、飲料店はほぼない。酒類を販売している店に、申し訳程度でノンアルコールの果実水が売られているくらいである。


「ふつうのお水も売ってないの?」


「むしろふつうの水が売ってねえんだよ、嬢ちゃん」


 どうやらこちらの会話を聞いていたらしい。さきほどクレプアンを売ってくれた鹿角の店主が、わざわざ屋台を出てきながら怪訝そうな顔をする。


「つかなんだ、知らねえってことは兄ちゃんたち外から来たのか? そのカッコからして、エヴラールさまのとこのもんかと思ったが」


「ええ、まあ……しばらく領地を離れていたもので。それより水がないとは?」


 あまり追及されても困るからだろう。

 ディオンは曖昧にごまかしながら、さっと話の筋を入れ替えて誘導する。


「そのまんまの意味さ。水が不足してんだよ。──ほら、エヴラール領地の飲料水はすべて〝ジルダ湖〟から続く〝ジルダ川〟で賄われてんだろ?」


「そうですね。このあたりだとそうなりますか」


「ああ。それが数ヶ月前、急に毒素まみれになっちまってよ」


「……毒素、ですか?」


 ルイーズは、その瞬間びしりと身を固くして動きを止めた。


(え、毒って言った?)


 ──毒。それはつい最近、心底困らされたばかりの代物である。ディオンも同じ気持ちなのか、ひどく苦々しい顔をしてルイーズと顔を見合わせた。


「俺も詳しくは知らねえが、どうも湖の魚が魔物化しちまったせいらしいぞ」


「魔物化、ですか」


「ああ。ジルダ湖から流れてくる水は、もともと穢れが皆無で澄みきってたんだ。そのまま飲んでも問題ねえくらいにはな。だが、その魔物が大量の毒素を排出してるとかなんとかで、水自体が汚染されちまってるんだと」


 店主は、ひどくげんなりした様子で肩を竦めてみせた。


「ここらはジルダしか水源がねえからな。最近で日頃飲めるもんといやあ、もっぱら果実水だけだ。ただの水も高騰しちまって商売もあがったりだよ」


「それはそうでしょうね。ほかの店舗のみなさんも困っておられますか?」


「ああ。んでも、困ってるといやあ……一番は〝水晶花〟かもしれねえが」


 水晶花。初めて耳にする単語に、ルイーズの好奇心がむくりと顔を出す。


「それ、なあに? お花?」


「ん? なんだ嬢ちゃん、これも知らねえのか。水晶花ってのはジルダ湖の周りに咲く花のことさ。花弁一枚しか持ってねえが、見るか?」


 ほれ、と店主は懐からなにやら取り出して、ルイーズに見せてくれた。


「わ、きれい。これ、水晶?」


「水晶花っていうくらいだからな。花弁部分は水晶でできてんだ」


 透明な硝子石のようなものだった。艶やかでいっさいの濁りもない。


「ただきれいなだけじゃなくて、水晶花には魔力を安定させる力がある。だから、ここらの民のあいだでは一種のお守りとして流通してたんだが……。これも、湖が穢れちまったせいでぐんと数が減っちまってよ」


「きれいなとこじゃないと、育たない?」


「そういうこった。立ち入り禁止になってるせいで採取もできねえし、みんな頭を悩ませてるもんさ。まあ、エヴラールさまが解決してくれるまでの辛抱だな」


 エヴラール。その名を耳にした瞬間、リュカがびくりと肩を跳ね上げた。

 それに気づいたルイーズは、さきほど離してしまったリュカの手をふたたび取る。

 きゅっと握れば、リュカは弾かれるようにルイーズを見た。その眦に涙の筋が溜まっていることには気づかぬフリをして、小声で尋ねる。


「リュカは、いまの知ってた?」


「っ、ううん。でも、父上がなにか頭を悩ませてるのは知ってた。最近は、ルゥのお父上ともいろいろ話してたし……」


「パパと?」


 小声で話していると、ふいに店主がこちらを振り返った。


(あっ)


 さきほど顔を上げた反動で、頭巾が少し捲れてしまっていた。ルイーズが焦るよりも早く彼の目がリュカを捉え、どこか当惑と混乱が入り交じった色が浮かぶ。


「そっちの坊ちゃん……まさか」


「!!」


 リュカがぎょっとしたように後ずさり、慌てたように頭巾を深く被り直す。

 しかし、そんなあからさまな反応をしては、むしろ認めているようなものだ。ルイーズは「あちゃあ」と眉尻を落とし、仕方なく口元にひとさし指を立てた。

 ──シー、だよ。

 ルイーズの仕草に、店主はなにかを悟ったのだろう。

 声をひそめて「あー、な」と気まずそうに後頭部をかいた。


「……お忍びか?」


「……まあ、そのようなものです。どうか他言なさらぬようお願いします」


 ディオンもごまかすのは諦めたのか、苦笑しつつ頷いて見せた。


「そうか、そりゃあ悪いことしたな。せっかくの休暇を邪魔しちまったか」


「いえ、助かりました。クレプアンもありがとうございます」


「ゆっくり食いたいなら、この先の広場を抜けた場所に行くといい。そこにちょうどいい休憩場がある。大抵のやつらは広場で留まるから、この時間は穴場なんだ」


 どうやらこの鹿角の店主は本当に善良な悪魔なようだ。


(悪魔って言葉だけじゃ怖いイメージだけど、やっぱりそんなことないよね)


 ルイーズはなんともほっこりしながら、んふふと笑みを浮かべた。


「ありがと、おじちゃん。じゃあ、そこに行くね」


「おう。嬢ちゃんもまた来てくれや」


「うん」


 とはいえ、バレてしまった以上、長居は無用だ。いくらよい悪魔でも、あまり関わっては〝王子〟と共にいるルイーズたちに疑問の目が向くかもしれない。

 そう危惧したルイーズは、自ら話を打ち切ってディオンに目配せした。その意味を正しく受け取ったディオンは視線だけで頷いてくれる。


「──では、失礼します」

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