第14話 魔界での暮らし

六章 ちびっこ聖女と王子の心



「城下?」


 エヴラールの城に滞在し始めてから、約一週間ほど経った頃。

 グウェナエルに城下へ行ってきてはと提案され、ルイーズは目を輝かせた。


「引きこもっていてはこれまでと同じだからな。せっかく魔界に来たんだ。ルゥもいろいろと見て回りたいだろう?」


「うん……! でも、いいの? ルゥのことバレたら大変じゃない?」


 なんといってもルイーズは、人と悪魔の血を継ぐ者。その禁忌が公になれば、グウェナエルやルイーズはもちろん、従者たちもただではすまない。


(だからずっと隠れて生きてきたんだし……)


 髪で隠している自身の両耳に触れながら、ルイーズはしゅんとした。

 グウェナエルはそんなルイーズに微笑を浮かべると、その場にしゃがみこんで手を伸ばした。頬に触れ、顔と耳を覆っていた髪をそっと指先で払われる。


「問題ない。いまの魔界に、おまえの姿を知る者はいないからな。完全に人の姿をしている者も多いし、下手なことを口にしなければバレることはないだろう」


「そうなの? ベティも?」


「ああ。ベアトリスには人の匂いを消す香水を渡してあるしな。鼻が利くやつもいるが、まあ滅多なことがなければ大丈夫だ。ルゥもかけてもらうといい」


「ん、わかった」


 振り返れば、後ろで控えていたベアトリスが首肯した。


(そっか。みんな人型だから、匂いさえわかんなければごまかせちゃうんだ)


 ちなみに現在、従者のふたりは、エヴラールから支給された揃いの騎士服を身につけている。鎧のような堅苦しいものではなく、作りは極めてシンプルで日常的に騎士が身につけるものらしい。

 エヴラール領地の悪魔騎士団に支給されているものであり、これさえ着用していればエヴラールの手の者だとわかってもらえるのだそうだ。

 一方、ルイーズが身につけているのは、ワンピース型のドレスである。

 星をモチーフに施された刺繍も、スカート部分と腕部分にあしらわれた繊細なレースも大変可愛らしい。色合いは藍色をベースにしたグラデーションになっている。

 エヴラールが用意してくれた服のなかでも、随一のお気に入りだった。


「パパ。魔界なら、ディーみたいに耳出してもへーき?」


「ああ。むしろ出していた方が疑われにくいだろうな」


「!!」


 バッと勢いよく振り向き、ベアトリスに駆け寄る。

 そのまま思いきり抱きつくが、ベアトリスは微塵も揺らぐことなくしっかりと受け止めてくれた。


「ねね、ベティ。ルゥの髪、かわいくできる?」


「ええ、お任せを。これでも手先は器用な方なんです。せっかくのお出かけですし、とびきりかわいくいたしましょうか」


「やった……!」


 ちなみに経験上、ディオンは論外だった。できることにはできるのだが、ルイーズのかわいさを極めだしていつまでも終わらないのだ。


(ママもへたっぴだったんだよね。楽しみ!)


 ディオンはと言えば、ルイーズが自分ではなく迷わずベアトリスのもとへ走ったことにショックを受けたのか、へにゃりと獣耳を垂れて凹んでいた。

 そんな彼の膝をぽんぽんとおざなりに撫でながら、ルイーズは振り返った。


「パパも行く?」


「いや、共に行きたいのは山々だがやめておこう。少々仕事が立て込んでいてな」


「んー、そっか……」


 残念だが、致し方ない。

 多忙であることを差し置いても、グウェナエルこそ追われる身。

 かつて身に宿していた膨大な魔力を失っている分、多少は見つかりにくくはなっているらしいが、それでも顔は知られてしまっている。

 エヴラールの城から出ないようにしているのも、危険を避けるためだ。

 事情を理解している以上、わがままは言えない。


「エヴの領地内は争いが禁止されているし、ディオンとベアトリスがいれば大丈夫だろう。万が一なにかあっても、城下ならばすぐに駆けつけられる。俺もここから見守っておくから心配するな」


 そう言うや否や、グウェナエルはパチンと指を鳴らした。

 直後、どこからともなく飛んできたのは手のひらほどのコウモリだ。それも一匹ではなく数匹。大きさも大中小さまざまで、色合いも微妙に異なっている。


「こいつらは俺の使い魔だ。下級悪魔だが、よく働く」


「使い魔」


 頭の上をくるくると回るように飛ぶコウモリをぽかんと見上げると、グウェナエルはそのうちの一匹を慣れた様子で指先にとめる。


「俺の封印後は散り散りになっていたはずなんだが、最近すべて戻ってきてな。優秀な部下たちだろう?」


 下級悪魔は悪魔のなかでも最下層。わずかな魔力しか持たず、人型に化けることすらできない。その実態は、動物とほぼ変わらないと聞いたことがある。


「頼んだぞ、おまえたち。ああそれから、ドナ。おまえは目を貸してくれ」


 グウェナエルに反応したのか、頭上に飛んでいたコウモリの一匹が「キッ!」と鳴いた。なるほど、一匹だけ瞳が金色のコウモリは〝ドナ〟という名前らしい。

 この様子だと意思の疎通はできるようだ。


「まあ、そういうわけだ。心配せず楽しんでこい、ルゥ」


 目を貸す──それがどんな仕組みかはわからないが、グウェナエルのことだ。

 使い魔の目を通して遠方の景色を見る魔法でもあるのだろう。

 もはや驚きもせず、ルイーズは素直に受け入れた。


「ルイーズさま。よろしければ、リュカもご一緒させていただいても?」


 そこへエヴラールが顔を出した。

 足元にはリュカがついてきているが、見るからに落ち着きがない。

 ルイーズはここ一週間でリュカとはだいぶ距離を縮めたのだが、どうも彼は父親であるエヴラールの前だと挙動不審になる節があるらしかった。


「私も共には行けないので、ディオン殿とベアトリス殿にお任せすることになりますが……。普段、なかなか外へ連れ出してやれないもので」


「うん、いいよ。リュカがいいなら」


「えっ!? あ、父上がお許しくださるなら……ぼ、ぼくも行きたい……!」


 リュカはこくこくと何度も頷く。

 一方エヴラールは、息子が喜んでいるというのにぴくりとも表情を変えない。

 こちらもこちらで相変わらずな鉄仮面ぶりだ。最近は慣れてきたものの、ポーカーフェイスもほどほどにしてほしい、とルイーズは内心思っていた。


「ならば決まりですね。一応護衛の騎士はつけますが、邪魔にならぬよう離れて見守るよう言付けしておきます。ゆっくり楽しんできてください」


「ありがと、魔王さま。じゃあルゥは準備してくる。リュカ、またあとでね」


 ばいばいと手を振って、ルイーズはベアトリスと部屋を出た。

 静寂に包まれた廊下をるんるん気分で歩きながら、ベアトリスを振り仰ぐ。


「ベティもかわいくする?」


「いえ、わたしにはこれで十分ですよ。正直これも派手だなと思うほどですが」


 ベアトリスは自身の服についた飾緒を軽く払いながら眉尻を下げる。


「でもベティ、すんごく似合ってるよ。かわいいけど、キリッともしてて」


「そう、でしょうか? 騎士時代は男女共通の軍服だったので、どうも戸惑いがあるのです。足元がスースーすると言いますか……」


 ベアトリスが着用しているのは、女性用の騎士服だ。

 金の肩章やブレード、丈の短いダブルブレストは騎士然としてかっこいい。一方で胸元のレースアップシャツやフィッシュテールスカートは女性らしく華やかだ。

 タイツとブーツのおかげで露出が少ないのもまた、ルイーズ好みだった。


「ルゥもいつか、ベティみたいにかっこいいキレイな人になれるかな?」


「わたしには身に余るお言葉ですが……姫さまならば、必ずお美しくなりますとも。いまでこそ大変愛らしいのですから!」


「ほんと?」


「はい。これからのご成長が楽しみです」


 ベアトリスのうっとりとした様子を見て、ルイーズはくすくすと笑ってしまう。

 言葉にせずとも自覚できるほどには、ベアトリスから愛情が伝わってきたからだ。


(ベティが来てくれて、よかったよね)


 ベアトリスとの信頼関係も、日を重ねるにつれ着実に築かれている。

 とくに女同士、入浴なども共にできるのは大きかった。ディオンは自分の出番が減ってやきもきしているようだが、何事も適材適所なところはある。

 いまはまだしも、ルイーズは大人に向けてどんどん成長していくのだ。

 その過程のなかで、ディオンではどうにもならないことも出てくるだろう。

 そういうとき、ベアトリスの存在はこのうえなく頼もしい。


(ママの代わりって思わないように。それだけは、気をつけておかなくちゃ)


 ルイーズは自分の心に言い聞かせ、もう一度ベアトリスを見上げた。


「いつもありがと、ベティ」


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