第10話 従者の契約
◇
──魔界に旅立つ前に墓参りをしておきたい。
そんなグウェナエルの希望により向かったのは、ルイーズの家から数分ほど離れた場所だ。道中は獣道が続き、やや険しい道のりではあるが、ルイーズはいつも通り狼姿になったディオンの背中に乗って移動しているので問題はない。
グウェナエルやベアトリスは、さすがにこの程度ならば余裕なようだった。
「ここだよ。ママの眠ってるとこ」
山道を抜けた先。ぱっと晴れた視界のなかに現れた、シードルの花畑。
その中央にそっと鎮座しているのが、ミラベルの墓石だ。ディオンと共に幽谷中から綺麗な形の石を集め、一から丹精込めて制作した手作りの弔い場である。
人が立ち入らない未開の地ゆえに、貴族が建てるような立派な墓石は作れない。
けれども、墓石に彫り刻まれた拙い〝ミラベル〟の文字には、世界でたったひとりの〝母〟に対する愛情が込められている。
「美しい場所だな。ミラベルによく似合う」
「ここでね、よくママとお花を摘んだり花かんむりを作ったりして遊んだの。ルゥとママの、思い出の場所なんだよ。だから、ここにした」
ルイーズは墓前でしゃがみこみ、途中で詰んできた色とりどりの花を添えていく。
「……ディオン。ルイーズさまのお母上は、いつ旅立たれた?」
「もうふた月ほど前になりますか。自分たちがザーベス荒野に向かうと決めたのは、ミラベルさまの最期のご意思があってこそでしたから」
「そうか。……大聖女ミラベル殿の永遠の道行に、どうか幸あらんことを」
ベアトリスが瞑目し、静かに祈りを捧げる。
その横でディオンもまた同じように祈りを捧げた。
こちらの世界では、以前の世界のように墓石に手を合わせたりすることはない。その代わり、こうして花を捧げて心より祈るのだ。
──どうか旅立った先に幸せな安寧がありますように、と。
「よかったね、ママ。みんな来てくれたよ」
微笑みながら語りかけるルイーズの横へ、グウェナエルが膝をついた。
「……ミラベル。ゆっくり休みながら、気長に待っていてくれ。おまえのもとへ行くまでは、もう少し時間がかかるからな」
指先で慈しむように墓石を撫で、ひどく穏やかに切れ長の目を細める。
そんな父の姿に、胸の奥がしくっとした。
祈りというよりも、願いだろうか。囁くように紡がれたその言は慈愛に満ちていたけれど、ルイーズはなぜか不安に駆られてグウェナエルを見上げた。
「……パパも、行っちゃうの?」
「いつか俺がこの命を手放すときがきたらの話だが。そのときは、きっとほかのどこでもないミラベルのもとへ行くだろうな」
「そっか……。さみしいね」
「心配しないでいい。それまでは、ルゥのそばから離れはしないさ」
ぽん、と。冷ややかで、それでもわずかな温もりを含んだ手が頭に乗せられた。
ルイーズはもう一度ミラベルが眠る墓石へ視線を戻すと、こみあげてきたものを飲み下して、きゅっと下唇をかみしめた。
生きとし生けるものに、死は必然として、摂理として纏わりつく。
人も、悪魔も。生を得ている時間に差はあれど、いつかは終わりを迎えるものだ。
(でも、ルゥははんぶんこだから、もしかしたらパパより先にママのところに行くかもだよね。そしたら、ママとふたりでパパがくるのを待っていられるかな)
悪魔は人よりもずっと長い寿命を持つと聞く。
仮にルイーズがいつぞやの未来、〝人〟としての寿命で命を終えるのなら、グウェナエルやディオンよりも先に旅立つ可能性だって決してゼロではないはずだ。
(置いてくのも、置いてかれるのも、やだけど)
とはいえ、いつどうなるかなど、聖女だって予測はできない。
胸の奥にうずまく漠然とした不安を口にしたところで、過保護な周囲にいらぬ心配をかけてしまうだけだろう。
心のなかだけで留めておくことに決め、ルイーズは立ち上がった。
「ママ、またくるね。おやすみなさい」
同じく立ち上がったグウェナエルに、背後から抱きあげられる。
「ここでは花が散ってしまうからな。転移できそうな場所はあるか?」
「うん。あっちならへーきだよ」
おそらく昨日のように闇魔法で転移するのだろう。
察したルイーズが指さした方向へ、グウェナエルは足早に歩いていく。
ディオンとベアトリスも少し遅れて後に続いた。ディオンはいつも通りだが、ベアトリスは始終どこか躊躇いがちな表情だった。
「……さて。問おうか、ベアトリス。おまえの未来の選択を」
ふいに振り返ったグウェナエルは、そんなベアトリスを見据えて口火を切った。
唐突になにを言い出すんだと、ルイーズはぎょっとして父を見上げる。
「このまま俺たちと共に魔界に旅立てば、おまえも掟破りの共犯となるわけだが」
「……存じ上げております」
「ここで別れ人として生きるか、人世を捨てルイーズの従者として生きるか。選択はふたつだ。生半可な気持ちで進むことは許されない。慎重に選べ」
ルイーズは戸惑いながらグウェナエルとベアトリスを交互に見る。たしかに重要な局面ではあるが、なぜそこに〝ルイーズの従者〟という選択が入るのか。
「なんでルゥ? パパじゃだめなの?」
「……騎士というものは、忠誠を誓った相手に仕えるものだ。ゆえに〝主〟は、心身を、命を捧げるに相応しいと己が認め、揺らがぬ忠義を最期まで貫き通せる者でなければならない。その点、すでにベアトリスはルゥに誓いを立てているだろう?」
そうなの?とベアトリスを見れば、彼女は曖昧に微笑んで同意を示した。
「じゃあ……従者なのは、どして? お友だちとして一緒に行くのはだめ?」
「悪いが、それは俺が許さん」
一蹴され、ルイーズはしゅんと眉尻を下げた。
「俺たちの立場は非常に危ういんだ。己の人生を捨てられるほどの覚悟がない者を連れていくわけにはいかない。わかってくれ」
「ううん……」
グウェナエルの言っていることは理解できる。そして、正しい。
この世界において、グウェナエルやルイーズは罪を背負う者だ。いつだって追われる身であるし、なんらかの形でグウェナエルの封印が解けたことが知られれば、リグアーナ教会とやらに見つかり処される可能性も一段と上がるだろう。
「ちゃんと、わかるよ。わかるけど……」
初めて家族以外で出会った人。助けたいと思った人。
まだ出会って間もないけれど、ルイーズはベアトリスが大好きだった。
そんな相手にこうも理不尽な選択を与えてしまうことが、ルイーズとしては受け入れられない。ならばいっそ、ここでお別れした方がいいような気もする。
だが、そんなルイーズの答えの出ない複雑な心境を悟ったのか、「ルイーズさま」と呼んだベアトリスは存外優しい表情をしていた。
「どうかそんなお顔をなさらないでください」
「え……?」
「問われずとも、わたしはルイーズさまに付いていきますよ。たとえ悪魔の地であろうが、地獄の果てであろうが、あなたの行く場所ならばどこへだって」
ルイーズはいまいち呑み込めないまま、彼女と視線を絡め合わせる。
「共に背負うもなにも、わたしはもとより〝罪人〟ですからね。仮に人里に降りたところで、わたしは追われる身。この世界では、すでに処刑され〝亡きものになった〟はずの者ですから、どこにも居場所などありません。もはや人として生きる道など残されてはいないのです」
ベアトリスは苦笑しながら告げて、しかしすぐに表情を引きしめた。
ルイーズはごくりと息を呑み、ベアトリスの言葉に耳をかたむける。
「……わたしは騎士になりたかった。大切な者をこの手で守れる、強い騎士に。ゆえに王へ忠誠を誓い、民を守るために尽力し、清廉潔白に生きてきたつもりです。しかし、はたしてそれが正しい選択だったのかと問われれば、いまのわたしは頷けない」
ベアトリスが仲間に裏切られたことは、ルイーズももう知っている。醜い嫉妬から冤罪を吹っかけられ、着の身着のままあんな場所に追いやられた経緯も聞いた。
騎士としての心構えゆえか、いつも気丈に振る舞っているが、きっと彼女も信じていた仲間に裏切られて心に埋めきれない傷を負っているのだろう。
(……理不尽、すぎるよね)
生きたいと願った場所を己の力でようやく手に入れたのに、その結果がこのように報われないものだなんて、あまりにも悲しい。
「王もわたしなど覚えていないでしょう。こちらが認識していても、王にとっては自身に忠義を示す数多の騎士のひとりですから、わたしがいなくなったところできっと誰も気にとめやしない。そう思ったら、急にとても虚しくなって。ザーベス荒野を彷徨いながら、ああわたしの人生はなんだったんだと後悔してばかりいました」
「……おねえさん」
「だからわたしは、死ぬ前に癒されたくて天使を願ったわけですが」
切ない気持ちに苛まれていたのも束の間、ルイーズは情緒を乱される。
「あー……だからルゥのこと天使って」
そこで天使を願うあたりが、ベアトリスの強靭な精神力の顕れなのかもしれない。
「ええ、あのときわたしは救われたのです。天使よりもずっと愛らしく、そして温かな心を持ったルイーズさまとの出会いに。わたしはきっとあなたと出会うためにこの道を辿ったのだと、本気でそう思うくらいには」
「…………。パパ、ちょっとおろして」
グウェナエルにお願いして地に降ろしてもらったルイーズは、タタッとベアトリスの足元まで走り、下から真っ直ぐに彼女を見上げた。
「でも、悩んでる。どうして? やっぱり、ルゥがいけない子だから?」
「まさかっ! そんなことはいっさい思っておりません。ただ……ルイーズさまの歩んでいく未来に、わたしが必要だとは思えないのです」
「うん?」
ベアトリスの言葉の意味が図りきれず、ルイーズは目を瞬かせた。
「わたしはルイーズさまのこれまでを知りません。ですが、ようやくお父上と再会できて、長らく共にいた使い魔と家族水入らずの生活が始まろうとしている──そんな状況がわかっていながら、部外者のわたしが踏み込んでいくのはやはり……」
ああ、なんだそんなことか。
ようやくベアトリスが危惧していることを悟り、ルイーズはほっと息を吐いた。
安堵する反面、少しばかり驚いたのだ。たしかに念願だった父とは再会したが、家族水入らずだなんて、そんな夢みたいな生活が始まろうとしていたのかと。
寝耳に水であったのは、まったくもって考えが及ばなかったからだろう。
なにしろルイーズにとって〝家族〟は、まだ母とディオンだけだったから。
グウェナエルは父であるけれど、ルイーズからしてみれば、まだ出会ったばかりの相手だ。なんなら、ベアトリスの方が一緒にいる時間は長い。
(血の繋がりとか関係ないのに。ディーだって血縁者ではないけど家族だもん。いっぱい一緒に過ごして、家族になっていくんだもん)
なんと答えたらいいのか迷って、ルイーズはしばし俯いて指を絡め合わせた。
頭で理解してはいても、それを言語化するのはなかなか難しい。五歳児の自分と前世の自分が錯綜して、なにが正しいのかわからなくなってしまう。
──それでも、伝えたいことはちゃんと言葉にして伝えなければならない。
伝えられるうちに。生きているうちに。
「……あのね。ルゥはね、家族がほしいんだ」
「え……?」
「ディーとふたりきりで過ごすのも好きだよ。でも、ママがいなくなって、やっぱりさみしかった。だから、パパに会いに行ったの。家族がほしい、って。ルゥといっしょにいてくれる人がほしいって思ったから」
心を巣食う寂寥感に耐えられなかった。
ルエアーラ幽谷という隔絶された世界だからこそ、孤独は増す。一生こうしてふたりきりなのかと思ったら、ディオンには申し訳ないが怖かった。
もしもこのまま、いつか〝前世の記憶〟が完全に消える日が来てしまったら。
そう思うと、恐ろしくてたまらなくて。
(だって、そうなったらきっと、ルゥは一生ディーとふたりきりでいいって思っちゃうから。そんなのもったいない。せっかく生きてるのに、悲しいよ)
だから、外の世界に出る決意をした。
孤独を孤独として感じ取れなくなってしまう前に、イチかバチか行動に出た。
「おねえさんはね、ルゥがママとディー以外で初めて会った人なの」
「っ……!」
──否、きっと前の世界の記憶がなければ、なんの疑問も持たず、すべてはそういうものとして受け入れていたのだろう。
けれど、ルイーズは知っているのだ。
人と触れ合うことの温もりを。
さまざまな相手と心を交わさなければ生まれ得ない感情を。
「すごくうれしかったよ。だから、助けたかった。おしゃべりしてみたかった。いまもね、もっと仲よくなりたいなって思ってる」
拙いながらも、ルイーズは必死に想いを伝える。
「……パパとも、おねえさんともね。これからたくさん一緒にいて、いろんな思い出作って、ちょっとずつ家族になりたい。それがルゥの気持ちなの」
「ルイーズさま……っ」
「ルゥと一緒にきてくれる?」
ベアトリスは、大粒の涙を溜めながらこくこくと何度も頷いた。
「どこまでも、ご一緒します。騎士ベアトリスはあなたの剣となり、盾となり、光明を導いてみせましょう。改めてここに、永久の忠誠を誓わせていただきます」
「んふふ。ありがと、おねえさん。大好き」
無事に話がまとまり、ルイーズは胸を撫で下ろしながら父を振り返った。
「パパ。これでいい?」
温かい目で見守っていた彼は、すぐに頷いて指を鳴らす。
直後、なにもない空間からふわりふわりと一枚の紙が舞い降りてきた。
「これ、なあに?」
「悪魔が契約時に用いる誓約書だ」
誓約書を指先で受け止めると、グウェナエルは思案げに「ふむ」と目を伏せる。
「契約内容は、こうだな」
なにやら、ルイーズには聞き取ることができない奇妙な言葉を呟いた父。かと思えば、誓約書の表面が藍色の光を放ちだし、ひとりでに文字が刻まれていった。
差し出されたものを見てみるが、それは異国の文字のようでなんと書いてあるのかまったく読み取れない。完全に暗号を見ている気分で、ベアトリスを見る。
「……おねえさん、読める?」
「いえ、わたしも読めません……。これでも近隣国の言語の読み書きには不自由しない程度の知識はあるはずなのですが」
ふたりで顔を見合わせた後、ほぼ同時にグウェナエルへ視線を遣る。
「悪魔文字だからな。人には読めなくて当然だろう。ま、おもにベアトリスがルイーズの従者となること。そして主であるルイーズへの裏切りは、いかなる理由があろうとも許さぬという旨が書かれている」
端的に説明し、グウェナエルはふたたびどこからともなく万年筆を取り出した。
「契約を反故にした場合は、悪魔の契りに則り、制裁が下されることになる。今回であればベアトリスの裏切りだな。万が一のための契約ではあるが、異論がなければそこに名を書くといい。さすれば契約は成立する」
「ありがとうございます。ルイーズさま、お名前は書けますか?」
「うん、書けるよ」
読み書きは、幼い頃からミラベルとディオンが教えてくれていた。
前世の記憶が通用しないため、相応に苦労はしたが。
しかし、持ち前の理解力のおかげで、ディステラ国語の読み書きならばある程度できるようになったいま、自身の名前を書くことなど容易いことだ。
(ルイーズは、けっこう簡単なんだよね。まるがいっぱいで)
近くにあった大きめの石を台に名を書き記し、今度はベアトリスに渡す。
そうしてベアトリスも名を刻んだ瞬間、誓約書の全体に淡い刻印が浮かんだ。
「──契約成立だ。これでおまえたちは、正式に主従の関係になったぞ」
「え、もうおわり?」
「ああ。これは俺が大切に保管しておこう」
ルイーズが呆気なさに驚いていると、グウェナエルは誓約書を手に取って指を鳴らした。その瞬間ぱっと消えてしまった誓約書に、続けて面食らう。
(やっぱり四次元ポケット……ドラ○もん……)
闇魔法はつっこみどころが満載だ。いちいち驚いていたらきりがないし、もうそういうものなのだと軽く流すのが正解かもしれない。
「じゃあ、これからもよろしくね。おねえさん」
「はい、こちらこそ。……それよりも、どうかベティとお呼びください。主から『おねえさん』と呼ばれるのは、少々距離があるようで寂しいですから」
「ベティ? わかった」
ディオンのこともディーと呼んでいるし、たしかにそちらの方が親しみは湧く。
素直に了承すると、ベアトリスは心底嬉しそうに相好を崩した。
「わたしも、ルイーズさまを姫さまとお呼びしても?」
「いいけど……ディーがそう呼んでるから?」
「それもありますが、わたしにとってはお仕えする姫君ですからね。心からの親しみを込めて、そう呼ばせていただけたらと」
「そっか。わかった」
ディオンがルイーズを〝姫さま〟と呼んでいるのは、おそらく大魔王グウェナエルの息女だからだが、従者で共通ならばわかりやすくていいかもしれない。
(……そいえばディー、なんか静か?)
どうしたのだろう、とルイーズが振り返ると、ディオンははらはらと涙を流しながらこちらを見守っていた。せっかくの美麗な顔が悲惨なことになっている。
「どしたの」
ぎょっとして駆け寄ると、ルイーズを受け止めながらズズズズッと鼻を啜る。
「あばりにも、姫ざまが尊いばがりに……っ!」
「ええ……」
よくわからないが、そこまで心配することはなかったようだ。
そうっとディオンから離れて、ルイーズはグウェナエルのもとへ移った。
なんだかずいぶん時間がかかってしまったが、これでようやく魔界へ旅立てる。
「パパ、ありがと。行こ?」
「ああ」
パチンと指を鳴らす音が響き、足元に転移の魔法陣が浮かびあがる。昨日同様、ルイーズはグウェナエルに抱えられ、そばにディオンとベアトリスがついた。
「では、ゆくぞ。いざ──魔界へ」
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