第11話 魔界と襲撃
五章 ちびっこ聖女と新たな出会い
一瞬重力がなくなったかのように身体が浮いて、急激にストンッと落とされる。
まさにジェットコースターだ。てっぺんから急降下する際の、内臓がひゅっと竦むような、あの感覚。ルイーズは正直、何度経験しても慣れそうにない。
内心どきどきしながら瞼を開け、ルイーズは視界に捉えた光景に息を呑んだ。
「わ、暗い……」
天空を隙間なく覆う暗雲には、見覚えがあった。
とぐろを巻きながら稲妻を纏わせ、時折、地響きのような雷鳴を響かせる。その様子はザーベス荒野の上空に鎮座していたものとよく似ていた。
(どこもかしこも、不穏だなぁ……)
ルイーズはグウェナエルの腕のなかにいた。
ただし彼は、いつの間にか背中に漆黒の翼を携え優雅に飛んでいる。ここに来て初めて悪魔らしさを見たルイーズは、興味津々で父の肩越しに翼を覗き込んだ。
「パパ、飛べるんだ」
「まあな。しかし──転移先をまちがえたか? 俺の知る景色ではないが」
ディオンとベアトリスは空中ではなく地に降り立ったようだ。遥か下の方から「姫さまご無事ですかっ」と心配そうにこちらを見上げている。
「どのあたりだ、ここは」
「え。さっそく迷子?」
「いや、そんなことはない。魔界は俺の庭……だった」
なんとも不安を助長するような言い方で答え、グウェナエルは一度大きく翼を羽ばたかせる。一息に上空まで舞い上がると、執念深く周囲を確認した。
(わ、すごい)
上空からだと魔界の様子がより窺えた。
ルイーズも倣ってあたりを観察してみる。
最初に目に止まったのは、薄暗い世界のなかで唯一煌々とした光を放つ場所。ずいぶん離れてはいるが、暗い魔界を照らすようなそこに目が引き寄せられる。
「パパ、あそこなに? 明る──」
思わずその先を指さしながら尋ねた、そのとき。
ふいにそちらの方向から、豪速でなにかがこちらに飛んでくるのが見えた。
ルイーズがぎょっとしてグウェナエルにしがみついたのと同時、すっと双眸を眇めたグウェナエルは軽く左手を掲げた。直後、凄まじい衝撃波が襲う。
「──っ!?」
ぶつかったのは、闇を丸めて生み出したような巨大な弾丸だ。直径にして自身より大きいそれを、グウェナエルはその場から微動だにせず片手で受け止めていた。
だが、気を抜く暇もなかった。次いで何発も飛んできたのである。
さすがに二発目は横に逸れて直撃を避けたグウェナエルだったが、三発目はなんと空中で長い足を振りかぶり弾丸を蹴り返した。飛んできていた速度の倍になって打ち返されたそれは、もとの道を辿るように飛んでいく。
だが弾丸は、光の集まる場所へ到達する前にパッと霧散した。ひとつも呼吸を乱さぬまま見届けたグウェナエルは、しかし一瞬、気を張り詰める。
「──来たな」
なんのことやら、グウェナエルが呟いた直後、目の前に魔法陣が浮かんだ。
刹那。
カキンッと金属が擦れる不協和音が鼓膜を衝いた。
(なんか生えた……っ!?)
魔法陣から現れた男が、グウェナエルに向かって剣を振り下ろしていた。その攻撃を難なく受け止めたグウェナエルの手にも、いつの間にか剣が握られている。
柄も刃も墨で染めたかのように黒々しい大剣だ。
(だからどっから出てきたの、それ……!!)
大魔王の四次元ポケットは本当になんでも入っているらしい。ルイーズがわけもわからず父にしがみついたのも束の間、激しい打ち合いが始まった。
剣と剣。刃がぶつかり擦れる音が耳元で絶え間なく響く。
グウェナエルは基本的に受けているだけだが、否が応でも身体は揺れるのだ。
落とされる気配はなくとも、片腕に抱かれて共に衝撃を受けているルイーズからしてみればたまったものではない。
「ちょ、パパ……っ」
やめて、の意を込めて、必死に顔を上げる。
そのとき、ルイーズの声に反応したのか、相手の男にわずかな隙が生まれた。
ルイーズでも感じ取った相手の〝気の揺らぎ〟を、グウェナエルが見逃すはずもない。ルイーズが瞬きした直後には相手の首筋に剣の切っ先が突きつけられていた。
「っ……」
男は息を呑み、ぴたりと動きを止める。度重なる剣戟が終わりを告げ、ルイーズはようやく相手をしっかりと見ることができた。
癖のない藍の髪。どこか朧げな雰囲気を孕んだ灰青の瞳。研ぎ澄まされた刃のように端麗な容姿をしているものの、頬にははっきりと傷跡が浮かんでいた。
表情や佇まいからも、どこか怜悧な印象を受ける。
「……さすがですね。五年経っても剣の腕は衰えていないようで」
男は構えていた剣をそっと下ろす。
そのまま静かに鞘へと収めると、小さく息を吐いた。
「参りました。どうか命だけはご容赦を」
「……ふん。幾久しいというのにずいぶん乱暴な挨拶だな、エヴラール。言っておくが、俺がおまえに負けるなどたとえ世界が滅んでもありえん話だぞ」
「ええ、だからこそですよ。本物であればこの程度造作もないはずですから、あえてこの形でご挨拶させていただいたのです」
エヴラールと呼ばれた彼は、黒翼を羽ばたかせ、数歩分ついと下がる。
──と、胸に片手を当て、その場で恭しく頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、我が主。あなたさまのお帰りを長らくお待ちしておりました」
さきほどまで彼が放っていた殺気は霧散し、すでに見る影もない。
彼からは普段のディオンから感じる〝忠義〟と同じ匂いがした。
一方わずかばかり沈黙していたグウェナエルは、ややあって剣を消し、ルイーズを抱き直す。その口からは苦々しいため息が零れ落ちた。
「ルイーズがいるというのに剣を向けたこと、決して許さん」
「…………」
「と、言いたいところだが。まあ、今回だけは大目に見てやろう。次に同じことをすれば、たとえおまえでも地獄に突き落とすがな」
「承知しております。……しかしながら、やはり姫さまであらせられましたか」
ふいにじっと視線を向けられ、ルイーズはびくりと肩を跳ねさせた。
「陛下によく似ておられるので、そうだろうとは思っていましたが」
「似てるか?」
「似てますよ。気配からなにから、そっくりです」
エヴラールからもう敵意は感じない。
けれど、いきなり攻撃してきた相手だ。さすがのルイーズでも拭いきれない恐怖が芽生えているし、さすがにあの剣戟は幼い精神にはダメージが大きかった。
(やだ……こわい)
おろおろと視線を彷徨わせ、下方で鬼のような形相をした従者たちを見つける。
数瞬ほど迷ったが、ルイーズはグウェナエルの服を掴んで訴えた。
「ルゥ、おりる。おろして」
「……やはりこいつは殺した方がいいか?」
「んーん。でもルゥ、おりる。ディーたちのとこ行きたい」
まるで落雷にでも遭ったかのように「ぐっ」と呻いたグウェナエル。
よろつく父をさらに急かし、ルイーズはようやく地に降り立った。地に足裏が着地したと同時に駆け出し、同じように駆け寄ってくる従者たちに手を伸ばす。
「姫さまっ!!」
「ご無事ですか、姫さま……!?」
ルイーズは両手を広げてくれたディオンの腕のなかに飛び込んだ。
しっかりと受け止めてくれた彼は、いち早くルイーズに怪我がないか確認した。
やがて傷ひとつないとわかると、溜めていた息を長く吐き出し安堵を示す。
「ああ姫さま……ディーは、ディーは、もう心臓が止まるかと」
「ルゥも思った」
一方ベアトリスは、いましがた剣を打ち合っていたふたりの前に立ちはだかり、空気を凍らすような殺気を放ちながらポキポキと指を鳴らしていた。
「姫さま、どうかご安心を……。たとえ剣がなくとも、わたしは戦えますからね。騎士学校時代、同期を全員素手で沈めた実力をいまこそお見せいたしましょう」
(なにそれこわい)
内心そう思いながらも、ルイーズはディオンから離れられなかった。
むぎゅっとしたまま顔をうずめるルイーズを絶え間なく撫でながら、ディオンは苦虫を嚙み潰したような表情でベアトリスを引き止める。
「やめておきなさい、ベアトリス。あの方は魔王エヴラールさま……丸腰のあなたが敵う相手ではありませんよ。あの様子を見るに、グウェンさまを裏切ったわけではないようですし」
「だからなんだ。魔王だろうが敵ではなかろうが我らが姫さまに剣を向けた時点で万死一択! 息の根を止めてやらねばこの腹の虫が収まらない!!」
「ええ、それはまちがいありませんが! 可能なら自分もいますぐ牙を向きたいところですが!! ……姫さまは、そのようなことお望みでないでしょう?」
ディオンの最後の言葉に、ベアトリスは我に返ったようだった。
弾かれるようにルイーズを見て、瞬く間にへにゃりと眉尻を落とす。纏っていた殺気を散らし、ルイーズのそばへしゃがみこむと、美麗な顔をくしゃりと歪めた。
「姫さま。あなたが望めば、わたしは──」
「んーん……いいの。怖かったけど、パパはちゃんと守ってくれたし」
「本当になんとお詫び申せば……それもこれもわたしが離れたせいでっ!」
「や、それはちが」
「これからは絶対におそばを離れませんからね!!」
「……そ、そんなに意気込まなくても」
ディオンといい、ベアトリスといい、ふたりの過保護は一向に増すばかりらしい。
(でも、ディーのおかげでちょっとだけ落ち着いてきたかも)
ルイーズのなかに深く根付く絶対的な信頼感と安心感。長い時間と触れ合いを経て築いてきたその部分に関しては、やはりディオンに並ぶ者はいない。
「ディー、だっこ。パパのとこ連れてって」
「……大丈夫ですか? ご無理はなさらなくてもよいのですよ?」
「へーき。ルゥが行かないと、たぶんあの魔王さま死んじゃうから」
よほど娘が離れていったことがショックだったのだろう。グウェナエルは大気を揺らすほどの邪気を纏いながら、エヴラールの胸元を掴み上げていた。
「やはり、貴様は殺す。覚悟しろエヴラール……!」
エヴラールはエヴラールでいっさい抵抗せず、ただされるがままになっている。
グウェナエルは完全に頭に血がのぼっているようだし、放っておいたら取り返しのつかないことが起きそうだ。さすがのルイーズも黙って見てはいられない。
「パパ。やめて」
「っ……ル、ゥ」
「だめだよ、それ以上苦しくしたら。だって、パパの味方なんだよね? その、えうら……えぅらー……え、えぶらあーるさまは」
「……エヴラールだ。ルゥ」
「えうらーある」
どうも〝エヴラール〟がうまく言えなかったが、言いたいことは伝わったらしい。
娘に諭されたグウェナエルは、渋々ながら掴みあげていた手を離した。
胸倉を掴みあげられながらも頑なに表情を崩していなかったが、じつは相当苦しかったのだろう。離されたと同時に、数回ほど咳き込んでいた。
(……そっか。あんまり、顔に出ないタイプなんだ)
戦闘時から、エヴラールの表情筋はほぼ動きを見せていない。
一見して怖い印象を抱いていたが、そこに気づけば見方が変わる。
息遣いや、瞳の動き、瞬きの数。そんなわずかな機敏からでも、相手の感情は読み取れるのだ。とりわけルイーズは他者の変化に敏感だった。
「さきほどは大変失礼いたしました、王女殿下。私はエヴラールと申します。かつて陛下の側近を担っていたものです」
「んー。ルゥは……パパの娘、だけど。王女はなんかちがう気がするから、やめて」
「おや。では、ルイーズさまとお呼びしましょうか」
ほんの数ミリだけ、エヴラールの瞼が縦に開いた。どうやら驚いているらしいと悟ったルイーズは、少々戸惑いながらもこくんと頷いてみせる。
その様子を見守っていたグウェナエルは、気まずそうに前髪をかきあげて、深く嘆息した。
「いまはおまえが〝陛下〟だろう、エヴ。俺に対してもその呼び方はよせ」
「なにを仰いますか。大魔王は過去も現在もあなたさましかいらっしゃいませんよ」
「階級はしょせん階級だ。覇者としての〝王〟とは異なる」
「しかし……っ」
「いいから、やめておけ。民の上に立つ〝王〟たるもの、常に威厳を捨てるな。矜恃を保て。いまこのとき王であるおまえを慕い、後に続く者たちのためにな」
グウェナエルに諭され、エヴラールはぐっとなにかを飲み込んで頭を垂れた。
「……ひとまず、みなさまを我が領地へ案内いたします」
そうして誰とも目を合わさないまま、彼は振り返った。
地上からでは視界に捉えられないが、おそらくその方向には上空でルイーズが見つけた光の町がある。なるほど、あの地がエヴラールの領地だったようだ。
「積もる話もありますからね」
(……?)
ぼそりと呟いたエヴラールの横顔は、なぜだか一瞬、泣きそうに見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます