第5話 女騎士の標


 おねえさんが目覚めたのは、地下室で看病を始めてから五日目のことだった。


「……んん」


 ひと月以上移動し続けていたルイーズたちも、十分な休息を取れた頃。さてこれからどうしようか、とディオンと今後について計画していた最中のことだった。

 ルイーズが急いで駆け寄ると、ディオンも慌てたように背後につく。


「姫さま、そんな近づいては──」


「だいじょぶ」


 心配するディオンを一蹴し、ルイーズはおねえさんの右手をぎゅっと両手で握る。

 すると、ぴくりと細い指先が動いた。同時に震えた瞼がうっすらと開く。

 ゆらゆらと焦点の定まらない瞳は、ディオンの瞳とよく似た琥珀色だ。


「……、……?」


 やがて彼女の瞳は、傍らで見守っていたルイーズを捉えて左右に揺れる。一瞬そこに垣間見えたのは絶望と希望。相反するそれに、ルイーズは狼狽えた。

 だが、次に彼女の口から放たれたのは、あまりにも予想もしない言葉で。


「……ああ………………天使だ」


「…………ん?」


「そうか、わたしの願いに応えてお迎えにきてくださったのだな。しかし、なんと愛らしい天使さまだろうか。名はなんと言う? それとも天使は名を持たないか?」


 女性にしては低く艶やかで耳心地がよい声音だ。

 だが、やたらと饒舌に発せられた言葉の意味は、残念ながら最初から最後まで理解不能だった。捲し立てるように問われ、ルイーズは面食らいながら両目を瞬かせる。


「……なんて?」


「そうか。やはり、天使さまは天使さまなのか」


「や、ルゥは、ルイーズだけど……」


「ほう。ルイーズさま……なんと、名の響きまで愛らしいとは」


 おねえさんはなぜか顔を片腕で覆って、感嘆とも取れるため息を吐いた。


「ルイーズさま、どうか頼む。わたしを天へ連れていく前に、その小さく可愛らしい身体を一度だけ抱きしめさせてはくれないか。一度でいい……そうすればわたしは、なんの悔いも憂いもなく、この上ない幸せに包まれて天へ往け──痛っ!?」


 ルイーズの頬に伸ばされた手を、容赦なく叩き落としたのはディオンだ。

 急転直下の勢いで振り下ろされた手刀には、ルイーズの方が驚いてしまう。ビクッと両肩を跳ね上げながら従者の顔を窺って、さらに狼狽する。


「誰の許可を得て、自分の姫さまに触れようとしているのです……?」


 泰然とした微笑みを浮かべてはいるが、誰がどう見ても怒り心頭なご様子。その目はいっさい笑っていなかった。背後には後光のごとく闇が立ちのぼっている。


「なんだ、貴様は」


 だが彼女はそんなディオンに怯む様子もなく、怪訝そうな顔で上体を起こした。

 切れ長で鋭利な印象を受ける眼差しを向け、どこか忌々しそうに口を開く。


「男の天使など呼んでいないぞ。わたしが死に間際に呼んだのは、あくまで〝愛らしい天使さま〟だ。貴様はいっさい愛らしくない。帰れ」


「……なるほど。これは、お命を頂戴してもいいということですね」


 最後の砦であった微笑みを、すんっと削ぎ落としたディオン。凄まじく嫌な予感を覚えてしまったルイーズは、勢いよく立ち上がりディオンに抱きついた。


「っ、姫さま?」


「だめ。いーこにしてて、ディー」


「ですが……!」


「だいじょぶ、ディーはちゃんと〝愛らしい〟よ?」


 ルイーズがなかば確信犯でこくんと頷いてみせると同時、ディオンは両手で顔を覆ってその場にバタンと倒れ込んでしまった。

 なにやら「ああ、だめだ」だの「愛らしい……ばっちくない……っ」だの、ぶつぶつ聞こえてくるが、ひとまず殺戮の危機は逃れられたようだ。

 ふう、と胸を撫で下ろして、ルイーズはおねえさんに向き直る。


「あのね。あなたのお名前を、教えて」


「わたしか? わたしは、ベアトリスという。天使というものは、名も知らぬまま魂を連れていくものなのか。てっきり把握されているものかと思っていたが」


「んーん。ルゥは天使じゃないよ。だって、おねえさんはまだ死んでないもん。ちゃんと生きてるでしょ?」


 ルイーズの言葉に、ベアトリスは奇妙そうな顔で目を瞬かせる。

 そして、なにやら思案気に腕を組んだ。


「……わたしが、死んでいない? だが、わたしは死の地──ザーベス荒野に放流されたはず……。そう、そしてとうとう力尽きて命を諦めたときに願ったのだ。とびきり愛らしい天使さまに会わせてくれたら、それに免じてわたしをこんな目に合わせた裏切り者どもを呪わずに天へと昇ってやろうと」


「うん。でも、ごめんね。ルゥ、あなたのこと助けちゃった。倒れてたから」


「助けた……」


「ルゥ、聖女なの」


 尖った耳が見えないよう隠しながら、ルイーズは前髪を持ち上げて聖刻印を見せる。

 それをぎょっと視認した瞬間、ベアトリスはコンマ何秒の間に姿勢を正した。


「聖女さまだとはつゆ知らず、大変なご無礼を……っ!」


 胸に手を添え片膝をつき、ベアトリスは勢いよく頭を下げる。


「……へっ」


「よりにもよって崇高な聖女さまを天使呼ばわりするなど、騎士としてあるまじき失態……この罪、我が命をもって償わせていただきます!」


 待って待って待って、とルイーズは慌てた。

 自らの首を締め上げようとするベアトリスの腕を掴み、自分の方へと引き寄せる。


「だめ。死んじゃだめだよ。命を大事にしない人は、ルゥ、きらいなの」


「っ……聖女さま」


「聖女だけど、その呼び方はイヤ」


 せっかく助けた命を、早々に散らされてはたまらない。


(というか……聖女って、そんなにすごいの?)


 この世界において、聖女は女神にも等しい存在。

 それは以前、ミラベルやディオンからも聞いたことがあるが、まさかこれほどまでとは思っていなかった。

 安易に聖女と名乗ってしまったことを後悔しながら、ルイーズは眉尻を下げる。


「ちゃんと説明するね。だから、あなたもちゃんと説明して。どうしてこんなところにいるのか、とか。聞きたいこといっぱいあるんだ」


「っ、はい。あの、その前につかぬことをお聞きしますが……聖──ではなく。ルイーズさまは、おいくつで……?」


「ルゥ? 五歳だよ」


「ごっ……!?」


 二度見どころか三度見の果て、ベアトリスは唖然とルイーズを凝視した。


(……やっぱり、五歳って、こんな感じじゃないのかな?)


 これまで母と使い魔しか関わりがなかったルイーズは、自分のいまの姿が正しいのかわからない。ただ、ディオンはいつも賢いというくらいだし、そう言われる程度ならば大丈夫なのかとタカを括っていた部分はあった。


「……ごめんね。ルゥのこと、こわい?」


「いえっ、滅相もない! わたしの知る五歳児ではなかっただけで、怖いなどとは思いません。ルイーズさまは、愛らしい上に大変聡明なお方なのですね」


「そんなことは、ないけど」


 じつは前世の記憶がほんのり残ってて──。

 なんて言えるわけもなく、ルイーズはそろ~っと目を逸らした。

 正直、このあたりのことは深堀りされると困ってしまう。

 前世の記憶があることとルイーズの出自は関係ないが、その〝異常さ〟からルイーズが〝人と悪魔の混血〟である事実に飛び火する可能性もある。

 ディオンも危惧するところがあったのか、わざとらしく咳払いをしてみせた。

 ベアトリスの邪険な視線が、ふたたびディオンへ向けられる。


「……ともかく、まずはあなたを見つけた経緯からお話しましょう。改めて自分は、姫さまの従者であるディオンと申します」


「姫、従者……。先ほどから思っていたが、もしやルイーズさまはどこかの国の王族かなにかか?」


 王族。自分には馴染みのない言葉なのに、ルイーズはついドキッとしてしまう。

 一方、ディオンはまったく狼狽えることなく、平然と同意してみせた。


「ええ。どこの国か、に関してはお答えしかねますが。姫さまは姫さまであるからして姫さまなのですよ。自分の唯一無二の姫さまでもあります」


(姫さまのゲシュタルト崩壊……)


 ルイーズは傍らで遠い目になるが、ベアトリスはなぜか納得したように首肯した。


「なるほど。そうか、わかった」


「おや、ずいぶんと物わかりがいいですね。そういう方は嫌いではありませんが」


「命を救ってもらった身で無闇に探るつもりはないからな。それに、〝姫君〟は往々にしてさまざまな事情を抱えているものだ。とりわけ死の地にいるともなれば、複雑な事情があるのだろう」


 はあ、とベアトリスは憂いを乗せて嘆息した。


「……他ならぬわたしも、人の立場をどうこう言えるものではないしな」


「というと? あなたも王宮絡みの者ですか?」


「ああ。こう見えてもわたしは、王立騎士団で女騎士をしていたんだ」


「おうりつきしだん」


 ルイーズが拙く言葉を追いかけると、ベアトリスはふっと目許を緩めた。


「国王陛下が立ち上げた王宮付き騎士団のことです。わたしはもともと伯爵家の出なのですが、どうにも〝令嬢〟は性にあわず……。五年前──十七になる頃、自ら志願して騎士になりました。一昨年からは第三部隊の副団長も務めていたのですよ」


「へえ……すごいね。女騎士、かっこいい」


「そう言っていただけるだけでも、昔のわたしが浮かばれます。結果的には女のくせにとやっかまれ、忌々しい冤罪でこのような場所に放り込まれる始末でしたが」


 ベアトリスは自嘲の笑みを浮かべ、ふるふると首を横に振る。

 それから打ち明けられたのは、彼女が背負わされた理不尽な罪についてだった。


「──ふむ。ようするに、あなたは敵国に情報を流していたと仲間内に嘘をでっちあげられた挙句、くだらない妬みやっかみの被害に遭い、ブチ切れた……と?」


「王に媚びを売って不正に得た立場だとか、まあありがちなやつさ。下手に反論すれば相手の思うツボだとわたしも耐えていたんだが、さすがに今回ばかりはな。なにせ、わたしが属していた第三部隊の騎士たち全員の共犯だったから」


「それはまた悲惨な」


 さすがのディオンも、頬を引き攣らせて同情の目を向ける。


「第一や第二と比べて、第三部隊は落ちこぼれが属する予備隊なんだ。昇進したくば隊長や副隊長の地位につき、それなりの結果を残す必要がある」


「騎士……とくに王立騎士団は、そのあたりがシビアだと聞きますね」


「ああ。加えて、世知辛い。わたしは〝女〟であるだけで正当な評価がされず、延々と副隊長の座についていたからな。わたしはわたしで不満があったが、部下たちはそもそもわたしの存在自体が気に食わなかったんだろう」


 ようするに、邪魔者。目の上のたんこぶ的存在。

 状況を想像しながら不快な思いに駆られて、ルイーズは唇を引き結んだ。


「女騎士はそもそも少数派だ。まあ、当然だな。未来が保証されない上に命がけ。そんな職など女は誰もつきたがらない。もちろん入団時より相応の扱いを受けることは覚悟していたが、それにしても馬鹿馬鹿しい……笑える末路さ」


 ベアトリスは悔しさを噛みしめるように告げ、ひょいと肩を竦めてみせた。


「──と、つまらないわたしの話はこのくらいで。ルイーズさまは、なにゆえこのような場所に?」


「え、ルゥ?」


「言いたくないことでしたら、無理に聞くつもりはありませんが……。ただ、どうか助けていただいたお礼はさせてください。命の恩人ですから」


 口調を改め、さっと表情を切り替えたベアトリスはルイーズに向き合った。


「んん……ん~~……」


 ベアトリスは、悪い人間ではない。

 それはいまの話を聞いていても、彼女から感じる〝気〟を見ても明白だろう。

 しかし、だからといって、なにもかも打ち明けられるわけではなく。

 そもそもルイーズは、容易に他者と関われない立場だ。裏切られたら終わりという己の立場を考えれば、下手は打てない。


(国の人だったなら、なおさらルゥのことバレたらだめだよね。でも、ちょっとごまかしながらなら大丈夫かな?)


 ベアトリス自身も、いまは追放された身。

 そう考えれば、手を組むという選択は悪手ではないのかもしれない。この苦境を生き抜くための手札を増やすと考えれば、多少のリスクは目を瞑るべきか。

 逡巡したルイーズは、慎重に言葉を選びながら口を開く。


「……あのね。ルゥたち、大魔王が封印されてる場所を探してるの」


「大魔王? 大魔王グウェナエルのことですか?」


「うん、そう。理由はちょっと、話せないんだけど。とにかく、探してるの。もうずっと、ひと月以上探してるけど、見つからないんだ」


 ひと月という言葉に驚愕したのか、ベアトリスは目を見張った。


「なんと……わたしがこの地に放流されるよりもずっと前からですか。それほど長くこのような場所で生きながらえるなんて」


 まじまじと見つめられ、ルイーズは居心地の悪さを感じながら焦る。

 だが、次いでベアトリスの口から飛び出したのは予想だにしない言葉だった。


「──それは本当ですか?」


 突如降り注いだ朗報に、ルイーズとディオンは思わず顔を見合わせる。


「……しかし、それならお役に立てるかもしれません。大魔王グウェナエルの封印場なら、この地をさ迷っている最中に見つけたので」

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