第6話 大魔王の封印場
三章 ちびっこ聖女と封印されし大魔王
ベアトリスの衝撃発言から数日後。日を重ねて休み、ようやく完全に体調が回復したベアトリスに連れられて、ルイーズたち一行は地下室を後にした。
「はてさて……意識が朦朧としていたから、辿り着けるかは不安だな」
「覚えてない?」
「大丈夫ですよ。これでも騎士ですから、彷徨うにもちゃんと対策しています」
ベアトリスはそう言うと、あたりを見回してなにかを探し始めた。
ルイーズとディオンが顔を見合わせるなか、ややあって地面に目的のものを見つけたらしい。あった、とホッとしたように呟き、彼女はその場にしゃがみこむ。
「なにがあったの?」
「これですよ、ルイーズさま。わたしの髪の毛です」
「かみのけ?」
ベアトリスの手元を覗き込むと、地面から二本の赤い髪が芽を出していた。
「…………」
なんと言えばいいのかわからず、ルイーズはただ黙ってベアトリスを見る。
「そんな可哀想なものを見るような目をしないでください、ルイーズさま。自分の辿ってきた道がわかるよう、一定の感覚でこれを埋めていたんです」
「かみのけを……?」
「ええ。ほかに手放せそうなものがなにもなかったので」
「それで自身の髪を目印にする者なんて、きっとあなたくらいでしょうけどね」
ディオンのつっこみに、ルイーズは心のなかで何度も頷いておく。
だが、ベアトリスは意に介した様子もなく、しれっとした顔で立ち上がった。
「なにはともあれ、この目印を辿っていけばいずれ大魔法が封印されている場所に着くはずだ。なんだか瑣末な石碑のようなものだったが、これはいい目印になると思って目の前に髪を埋めてきたからな」
「パパが封印されてるとこに??」
つい、つっこまずにはいられなかった。
「パパ?」
「パパラッパという虫のことですよ。ええ、大魔王の封印場の前に現れると噂の!」
怪訝そうに首を傾げたベアトリスに、ディオンが食い気味に答える。
(そんなの聞いたことないよディー……!)
だらだらと冷や汗を流しながら、ルイーズは心のなかで悲鳴をあげた。己の失態のせいとはいえ、どう考えても無理がある答えだ。
だが、疎いのか純粋なのか、あるいは外れているのか、ベアトリスは「そんな奇妙な名前の虫がいるのか……」と納得したらしい。
「その虫は、髪を食ったりするか? 食われていたら困るな」
「あ、んーん……食べないと思う……」
そもそもこの地に〝虫〟はいない。
男装の麗人、非の打ちどころがない見た目と経歴。だというのに、なぜか関われば関わるほどベアトリスのイメージが崩れていく。
(まあ、うん。とっつきにくいカンペキさんよりは、いっか……)
ルイーズは自分に言い聞かせ、ディオンに抱えられたまま目を懲らした。
抜群の視力を用いても、いまだ視界に捉えられる範囲にそれらしきものはない。
だが、ようやくゴールが見えてきた冒険に、ひとり胸をざわめかせる。
(……パパ)
──もしもこの先、待ち受けている〝父〟がルイーズを拒絶したら。
それこそルイーズの人生の冒険は、本当にそこで終わってしまうのだから。
◇
かくして、ベアトリスの髪の目印を追い、大魔王が封印されている〝石碑〟らしきものを探すたびに繰り出したわけだが。
──それは存外、簡単に見つかった。
「……これ?」
「これです。大魔王グウェナエルと刻印が入っているでしょう?」
延々と変わり映えしない景色が続くザーベス荒野で、なんとも唐突に現れた石碑。
石碑、とはいっても、それはごくごくちんまりとしたものだった。
(え、ちっちゃ。国語辞典と同じくらいしかない。え、ルゥのパパってこんなにちっちゃいの? えっ? ちっちゃ)
五歳児のルイーズが抱えられそうなほどの大きさのソレ。
ポツンと寂しく鎮座する石碑を前に、ルイーズは茫然と立ち尽くした。
石碑の前でぴょこんと芽を出しているベアトリスの赤髪も気になるが、それ以上に自身の父親があまりにもお粗末な封印のされ方をしていることへの衝撃が強い。
「……ふむ、たしかに大魔王グウェナエルと刻印はされておりますが。いやしかし、大魔王ともあろう方が、このようなちゃっちい──いえ、小さな場所に」
ディオンもまた、信じられないらしい。
しかしながら、本当にこれが大魔王グウェナエルの封印場だとするならば、まちがいなくここはルイーズの目的地だ。長い長い冒険のゴール地点とも言える。
ディオンたちが顔を見合わせるなか、ルイーズは意を決して石碑に歩み寄った。
ベアトリスの髪は踏まないよう気をつけながら、目の前にしゃがみこむ。
(ほんとに、ここにいるの? パパ……)
半信半疑でそっと指を伸ばし、石碑の刻印に触れた。そのときだった。
「ッ、……!?」
ふいに、首から下げていた〝聖女の睡宝〟がまばゆい光を発した。突然のことに驚いたルイーズは、思わず声にならない悲鳴をあげる。
「姫さまっ!」
「ルイーズさま!?」
ふたりの声は聞こえる。
だが、すぐ後ろにいたはずなのに、なぜかとても遠かった。そのうえ、このような危険時にはすぐに駆けつけて抱き上げてくれるはずのディオンの気配がない。
(なにが、起きたの……?)
おそるおそる瞼を開けたルイーズは、その瞬間、硬直した。
周囲の空間が真っ白だったのだ。上下左右、どこもかしこも白一色。毒々しいザーベスの花も、湿地も、雷鳴が轟く暗雲も、なにもかもなくなっていた。
まるで、白い絵の具のなかに、ルイーズだけポツンと放置されたかのように。
色のない世界でたったひとり佇みながら、ルイーズはあたりを見回す。
(……ここ、どこ?)
前にも後ろにも、視界のどこにもディオンやベアトリスの姿はない。
あんなに近くにいたはずなのに、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
いや、あるいは、飛ばされたのはルイーズの方なのか。
感じたことのない孤独感。足元の地面が突如として崩れ去ってしまったかのような心細さ。そしてなにより、得体の知れない場所にひとりきりという状況は、ルイーズに強烈な恐怖をもたらした。
(やだ、こわい……っ)
思わず、聖女の睡宝をぎゅっと両手で握りしめた、その刹那。
『大丈夫よ、ルゥ』
ふいに背後から、だれかに優しく抱きしめられる。
同時にふわりと鼻腔をくすぐったのは、懐かしい記憶を思い起こさせる香り。
──ルイーズが大好きだった〝母〟の香りだった。
(……ママ?)
心を引き千切られるかのような切なさが胸の内を貫いた。
ゆっくりと顔をあげて振り返り、泣きそうになりながらその声の方へ縋りつく。
「ママ……っ」
実体はない。全体的に半透明で、後ろの白い景色が透けている。
それでも、ルイーズとそっくりな長い白銀の髪をなびかせて宙に浮かんでいたのは、まちがいなく大好きな〝母〟──ミラベルだった。
『よくここまで頑張ったわね、ルゥ。まさか本当に辿り着くなんて、ママびっくりしちゃった。さすがわたしの自慢の娘』
ミラベルはそっとルイーズの頭を撫でるように手を動かすと、胸元に下げていた聖女の睡宝に触れた。実体はないはずなのに、聖女の睡宝は弾かれたように揺れる。
「……これ?」
『ルゥは賢いから、もうどうすればいいかわかっているでしょう?』
しばし躊躇ったあと、ルイーズはこくんと頷いてみせた。
『あなたならきっとできるわ。大丈夫、自分を信じて』
求められているのは、大魔王グウェナエルの封印を解くこと。
このまっさらな空間がどこかなど知る由もない。
けれど、ほかでもないミラベルがそう言うのなら、きっといま、この場所で、ルイーズが宿している聖女の力──聖光力を使えということなのだろう。
(……このママは、もしかして聖女の睡宝に宿ってたママの心なのかな?)
ルイーズが持っている聖女の睡宝は、ミラベルが死ぬ前、彼女自身が作り出したものだ。聖女の力の源を丸ごと閉じ込めた、とルイーズは聞いている。
そこに、彼女の意思や心が混ざったとしても不思議ではないのかもしれない。
ならば、やることはひとつだ。
なにしろルイーズは、そんなミラベルの──愛する母の願いを叶えるために、ここまでやってきたのだから。
「……ルゥ、がんばるね。ママ」
聖女の睡宝を首から外し、ルイーズは両手で握りしめて瞼を閉ざした。
心をすみずみまで研ぎ澄ませる。身体の中心から聖女の力を操り、聖女の睡宝と結び合わせていく。いつもやっていることだ。迷いはしない。
淡く光っていた睡宝は、その結びが強くなればなるほど光を増した。指の間から漏れ出る青白い光は、やがて真っ白な空間をも青く照らし出す。
(ルゥは、パパの封印を、解きたい)
強く、強く願うのだ。
そうすればこの力は反応してくれる。
ルイーズの心の声に応えて、次にどうすればいいかを教えてくれる。
(パパに会いたいの。会わせて)
──刹那。聖女の睡宝にヒビが入り、パリン、と割れた。
「えっ」
驚いて両手を広げたのも束の間、ルイーズの身体は溢れ出た深碧の光に包みこまれる。視界を埋め尽くしたその色を、ルイーズはよく知っていた。
(うそ、ママの)
そう、これはミラベルの聖女の力。
彼女が、聖光力を使うときに見えていた綿雲と同じ色だったのだ。
「っ……!」
わけもわからないまま顔を上げた瞬間、ルイーズはその光景に思わず手のなかで粉々になりつつあった聖女の睡宝を落としてしまった。
ぱらぱらと零れたそれは、地につく前に消えていく。
(ああ、そっか)
真っ白だった空間は、母の力の色──深碧に染まっている。
そしてルイーズの前には、あまりにも幸せそうに抱きしめ合う者たちがいた。
(……やっと、会えたんだね。ママ)
漆黒の外套をなびかせ、首に抱きつくミラベルを愛おしそうに抱きしめ返しているのは、おそらくルイーズの〝父〟だろう。
──大魔王グウェナエル。
そんないかめしい名前から、どんな恐ろしい見目の悪魔なのかと構えていたのに。
(なんだ。ルゥのパパって、けっこうかっこいいんだ)
闇で染め上げたような濡羽色の髪と、地獄の炎を思わせる紅蓮の瞳。凛とした出で立ちこそ威厳を感じられるが、思わず見入ってしまうほどの端麗な風貌だ。
女神を体現したようなミラベルとは好対照でもある。
だが、額を合わせあう彼らの姿は、まるで絵画のような美しさだった。
ふたりがどんな会話をしているかはわからない。けれど、最後に眼差しを絡ませて頷きあったふたりは、ほぼ同時に振り返り、ルイーズの方を見た。
「っ……!」
思わず、びくりと肩を跳ねあげてしまう。
そんなルイーズを見て、ミラベルはどこかおかしそうにくすっと笑った。
『こういうところ、あなたたちそっくりね?』
やや戸惑った様子を見せるグウェナエルの手を引き、ミラベルはルイーズのもとへとやってきた。かと思えば、グウェナエルとルイーズは、ふたりまとめてミラベルに抱きしめられる。半透明なはずなのに、背中に回された手は温かった。
『グウェン、ルゥ。大好きよ。愛してる。──これからもずっと、永遠に』
そのとき、ルイーズはたしかに感じたのだ。
(……ママ、パパ)
いままで迷子になっていた、家族としての繋がりを。
──離れていた家族が、ようやく一本の糸で繋がれた、その感覚を。
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