第3話 思いがけない出会い
2章 ちびっこ聖女と女騎士の邂逅
無事に食糧と水分を確保してから、はたして何日が経過したのか。
「なんか、この先……ちょっとちがうね」
「本当ですね。ここに来て初めて景色に変化が……」
走っても走っても同じような景色が続いていたザーベス荒野。
だが、ふいに視界の色の暗度が落ちた。
ルイーズたちが見つめる先の空は、より濃い暗雲が立ち込めている。湿地の水分量も明らかに増しているうえ、ところどころ沼地になっていた。
だが、その沼地の色はあきらかにただの泥沼ではない。いっそザーベスの茎よりも深みのある毒々しい紫色だ。それも、なぜかポツポツと水泡が上がっている。
「……もしかして、パパに近い?」
「その可能性はありますね。ですが、おそらくこの先はより危険です。いいですか、姫さま。まちがってもあの沼に触れてはなりませんよ」
「ん。たぶん、溶けちゃうもんね」
「はい。しっかり掴まっていてください」
先日、ザーベスの茎を断ち斬ったことでどろどろに溶けてしまったディオンの剣。
あれ以来、茎を斬るときはディオンの闇魔法を使うことにしていた。
聖女が光に属する聖光力を行使する一方、悪魔は闇に属する力──闇魔法を用いるのである。闇魔法の用途は多岐に及び、ディオンによればその者が包有する魔力量などによっても使える魔法は変わってくるらしい。
その点に限って言えば、ルイーズは悪魔の血を半分持っているはずなのに、なぜか闇魔法を使うことができないのだけれど。
(それにしても、パパ……こんなとこに、封印されてるの?)
人どころか、あらゆる生物が立ち入らぬ地。
周囲は毒素がはびこるばかりで、陽の光もなければ月も出ない。ただただ雷鳴が轟く空の下に何年も封じられていると考えたら、ひどく胸がきしんだ。
狼の姿をしたディオンに掴まりながら、ルイーズは抜群の視力を活かしてなにかそれらしきものがないか探す。
そうして毒の沼地区に食い込んでから、数刻ほど経った頃──。
ふいに、駆けていたディオンが「ん?」と怪訝そうな声をあげた。
勢い余って背中に乗るルイーズが転げ落ちないようにか、ゆっくりと速度を落としながら、ディオンはクンクンと鼻先を揺らす。
「どしたの、ディー」
「なにか……匂いがしました」
「匂い?」
「はい。生き物の匂いです」
「いきもの」
ディオンが向いた方向へルイーズも目を凝らすと、数キロ先にすぐ匂いの根源を見つけた。しかし瞬時にハッと息を呑んだルイーズは、ディオンの首元を握る。
「……ディー、あっち。走って」
「え?」
「あっち、人が倒れてる」
嗅覚では負けるが、視力はディオンよりもルイーズの方が幾分か優れている。
その目が捉えたものは、なんと沼地近くに倒れる〝人間〟の姿だった。
「……よりにもよって、人、ですか。たしかに、この匂いは悪魔のものではないなと思っておりましたが……。近づかない方がよろしいのでは?」
「ルゥはだいじょぶだから。はやく、走って」
「っ、承知しました。ですが、危険だと判断したら指示を仰ぐまでもなく引き返させていただきますからね!」
不安を綯い交ぜにしながら言い置いて、ディオンは勢いよく駆け出した。やがて近くまでたどり着くと、彼はやや離れた場所にルイーズを降ろし、鋭く目を細める。
「自分が様子を見てきます。姫さまは、この場から動かないでくださいね」
「うん、わかった」
ディオンは獣耳をも消した完全体の人の姿に変化していた。
警戒しながら倒れている者へと近づいていく従者に、ルイーズも不安を募らせる。
(ルゥは、ママ以外の人間に会ったことないけど……。何者なのかな)
こんなにも熱帯にもかかわらず、その者は前開きの外套に身を包み、深々と頭巾を被って倒れていた。そのせいで、遠目からでは性別も容姿もわからない。
ディオンがその者の容態を確認する様子を、ルイーズは固唾を飲んで見守る。
「ディー? ……死んじゃってる?」
「いえ、幸いにもまだ息はあります。とても弱々しいですが」
「生きてるのっ?」
こんな地獄にも等しい場所で、ひとり倒れている人間だ。正直なところ、すでに息絶えている可能性が高いと覚悟していたルイーズは、従者の言葉に目を輝かせた。
動くなと言われていたことも忘れて、ディオンのもとへと駆け寄る。
「あっ、姫さま!」
彼の腕に抱えられた者を覗きこんだルイーズは、その瞬間、絶句した。
「……!!」
頭巾の下にあったのは、肩上で切り揃えられた真紅の髪。
瞼が伏せられていてもわかるほどの、美麗な容姿。
質素な服装は男性用のもの。眠っていてもわかるほどの怜悧な雰囲気も相まって、ルイーズは一瞬『なんてきれいなイケメンさん』と思ったのだが。
(お胸が、ある……? えっ、女の人?)
いったいどういうわけか、身体のシルエットはまちがいなく女性だ。男装の麗人、という言葉が非常に似合ういで立ちに、ルイーズは虚を衝かれながら問う。
「この人、どっか怪我してる?」
「いえ、見たところ大きな怪我はないようですが」
「じゃあ、なんで死んじゃいそうなの? もしかして、毒……食べちゃった?」
「それはないでしょうね。直接ザーベスの毒を摂取したのなら、とうに事切れているはずですから。ただ、この場所に長くいたのなら、空気から毒素を体内に溜め込んで体内が侵されてしまった可能性はあります」
彼女の顔はひどく青白い。唇も血の気をなくして紫色になってしまっていた。
そっと頬に触れてみれば、恐ろしいほど冷たくてゾッと怖気が走る。
(でも、生きてるなら……助けられる、はず)
しばし思考を巡らせ意を決すると、ルイーズは彼女の心臓部分に手を伸ばした。
「……お救いになるのですか?」
「うん。だって、助けられる命を見捨てられないもん」
ディオンが心配していることも、助けたあとにどうするのかという懸念も、ルイーズはちゃんと理解している。一方で、このザーベス荒野にいる限り、そう簡単になにかが起こり得ないこともわかっていた。
(まずは、身体のなかの毒素をきれいにして……)
聖光力を操り、例の綿雲で女性の身体を丸ごと包み込む。
(元気になって、おねえさん)
治癒異能とも言われている聖女の力は、しかし万能ではない。
聖光力の効果が発現するのは、基本的に怪我などの外的要因のみだからだ。
体内を侵す病は治せないし、体力を回復させることもできない。奇跡の力なんて大層な評価をされているくせに、喪われた命を蘇生することも不可能ときている。
毒は外部から入りこんだものゆえに、外傷や穢れ扱い──ようするに〝異物〟として取り除けるが、そうしたところで彼女の身体がもたなければ意味がないのだ。
「……ん。毒は、とれたよ」
やがて女性の身体を蝕んでいた毒素をすべて取り除いたとき、彼女の顔にはわずかながら血の気が戻っていた。だが、目を覚ます様子はない。
「あとはこの方の生命力次第、といったところですね。いかがされますか、姫さま」
「……看病しなきゃ。ディーも休憩した方がいいし、ここでキャンプしよ」
「きゃんぷ?」
つい前世の記憶から抜き出した知識を口にしてしまったルイーズは焦った。
どうやら、この世界に〝キャンプ〟という概念は存在しないらしい。
(この世界の創造者、ほんとわけわかんない……)
とにもかくにも基準が意味不明だ。
ピクニックは残したくせに、なにゆえキャンプを消す必要があったのか。
「あのね、野宿、みたいな? ここでちっちゃなおうち作るんだよ」
慌てて説明すると、ディオンは「ふむ」とすぐに飲み込んでくれた。
「野宿をキャンプ、というのですね。覚えました」
「あ、うん」
さすが〝ルイーズこそ正義〟を本気でポリシーに抱える従者。ルイーズが失言しても、だいたいは子どもの造語として受け取ってくれるため、非常に助かる。
(でも、どーしようかな。テントないし)
ここではいつも、丸まったディオンの懐部分に挟まって寝ていた。
しかしながら、まさかその場所に大人の女性を入れこむわけにはいかないし、そうしたところで今度はルイーズが凍死してしまう。
看病するにも、まずは環境を整えなければならない。
「……よし。ディー、手伝ってくれる?」
「もちろんです。いかなることでも、このディーにお申しつけくださいませ」
紅髪の女性──もとい〝おねえさん〟も一緒に、ルイーズたちはあまり沼地が固まっていない場所へ移動する。
一向に目を覚ます様子のないおねえさんを、ひとまず持参していた敷物を広げて寝かせると、ルイーズたちはすばやく次の行動に移った。
空模様の変化はわかりにくいが、確実に先ほどより暗度は増している。
おそらく時刻はすでに夕刻だろう。あと数時間もすれば、真冬のように空気が冷え込んでくる。そうなる前に完成させなければならない。
「まず、ザーベスのお花をいくつかきれいにするね。あと、あそこの沼も」
「沼も、ですか? おそらくあれは、ザーベスのように毒素を抜いても泥だらけで飲むことはできないと思いますが……」
「飲まないよ? あのね、沼を掘り返すの。そこに穴ができたら、屋根を作って、カマクラみたいにするから」
はあ、と目を瞬かせるディオン。
おそらくイメージできていないのだろう。
この様子だと、〝カマクラ〟もこちらの世界には存在しないのかもしれない。
「急がなきゃ、日が暮れちゃう。作りながら説明するね」
「そうですね。言われた通りに動きますので、指示をお願いします」
「うん」
そこからのルイーズたちははやかった。
まずは数輪のザーベスを伐採し、聖光力ですみずみまで毒素を抜き取る。
続けて、比較的きれいな丸い形をした毒沼を選びまるごと浄化。沼に聖光力が効くのかという憂慮はあったが、これもザーベス同様問題なく適用範囲だった。
「ディー、ここ掘って」
「掘っ!?……い、いえ、わかりました。このディー、姫さまのためならば、たとえ泥だらけになってもかまいませんとも。お任せください!」
「ありがと。大好き」
「ぐはっ……あ、ありがたき幸せです姫さま……」
狼姿のディオンにひたすら沼を掘ってもらっているあいだに、ルイーズはザーベスの花弁を一枚ずつ茎から剥ぎ取る作業に移る。
しかし、これが思っていた以上に大変だった。なんといっても大花──一枚の花弁の大きさは、ルイーズの全長を悠々と超える。
花弁ゆえに重さ自体はそこまでではないにしろ、それを何十枚と集める作業はなかなかの大仕事。ある程度集め終わった頃には、ほぼ体力を使い切っていた。
「さす、がに、きつ、いぃぃ……」
ひとり息を切らしているところへ、「姫さま!」と駆けてきたのはディオンだ。
その表情は、いまにも息絶えそうなルイーズとは正反対で嬉々としている。
「姫さまっ! 終わりました! 泥、すべて外に出せましたよ!」
「わあ……うん、あの、ありがと……」
いまだ狼姿のディオンを見て、ルイーズはひくっと頬を引きつらせた。
いつもの美しいブルーシルバーの毛並みはどこへやら、ディオンは全身を泥で真っ黒に汚していた。なんとなく、はしゃいで水たまりに飛びこんだ犬っぽい。
(ここほれわんわん……)
しかし、達成感でハイになっているのか、やたらと目をきらきらさせてルイーズを見てくる。ほめてほめてっ!という心の声が聞こえた気がした。
「すごいね、ディー。いーこいーこ」
「はい、頑張りましたとも! 見てください、姫さまが万が一にも汚れてしまわないよう、すみずみまで泥を残さず掘り返しましてですねっ」
「うん。とりあえず、ほら、ばっちいから……あっちできれいにしてきて。ザーベスの茎のお水、使っていいから」
「……えっ、ばっちい……」
そのひとことが、ディオンはショックだったらしい。輝いていた顔から一転、しょぼしょぼと身を小さくしたかと思うと、最終的にへにょんと耳が垂れた。
(……あとで、もっかいいーこいーこしてあげなきゃ)
よれよれと歩いていく背中が悲しそうで、ルイーズは内心冷や汗を流した。
とはいえ、いますぐ慰めている時間の猶予はない。
すでに鳥肌が走るくらいには、空気が冷え込み始めているのだ。
「急がなきゃ」
さきほど短く斬ってもらった葉部分に繋がる細めの茎をずるずると引きずり、ルイーズはディオンが掘ってくれた沼の跡地へ持っていく。
「ん、いい感じ。……底なし沼じゃなくてよかった」
ルイーズの指示通り、底の部分は平らになるように掘ってくれている。
大きなサラダボウルのような穴だ。幅はそこまで広くはないため、茎の部分を対角上の地面に渡らせれば、簡易的ながら屋根の骨組みができる。
身体を清めて戻ってきたディオンにも手伝ってもらい、格子状にして丈夫にした骨組みの上に、ザーベスの花弁を重ねるように敷き詰めていく。
内部に入れるように、一箇所だけ隙間をあけておくことも忘れない。
「できた……!」
「ああ、なんとすばらしいのでしょう。地下室ですね、姫さま!」
「うん。お外の空気に触れずに済むから、ちょっとは寒さもしのげると思うの」
ディオンにおねえさんを抱えてもらい、先になかへと降りてもらう。
その後、下から抱えられるようにしてルイーズも降り立つと、内部は予想以上に空気がこもり温かかった。しっかりとカマクラ仕様が適用されているようだ。
(よかった。地中にも毒素が染み出してたら危険かもって思ったけど、大丈夫そう)
──つまり、ザーベスはなにもこの地の毒を吸い上げたことで毒花になっているわけではなく、最初から毒を含んだ花だったと仮定ができる。
しかし、改めて考えてみればそれも道理だった。もしも土地に毒素が含まれていたのなら、歩くだけで足裏が溶けていた可能性もあるのだから。
(もっと、しっかり考えなきゃ……。ルゥのせいで、ディーがいつか怪我しちゃうかもしれないし。それは絶対にやだもんね)
いまさらそこに思い至って、ルイーズはひとり肝を冷やした。
ディオンがミラベルに仕えていたときは手放しに甘えられたが、いまのルイーズはディオンの〝主〟だ 彼を従える立場としての責任がある。
「姫さま」
「っ、うん?」
「姫さまもこちらに。余った花弁で、簡単な寝台を作りましたので」
いつの間にやら、ディオンが地下室内の環境をテキパキと整えていた。
花弁を数枚重ねて作られた寝台に寝かされたおねえさんは、いまだ目を覚まさないまま眠り続けている。頭巾を外した姿は、やはり見惚れるほどの美人だった。
「あれ。ディーのは?」
中央に置いた小さな燭台を挟んで、おねえさんとは対角上にルイーズ用の寝台も作られていた。だが、なぜかひとつしかない。
「自分は平気です。いつも通り寝ますので」
「……いつも通りって……だめだよ。ディーも、ちゃんと休まないと。もうちょっとお花持ってきて、ここでルゥと一緒に寝よ?」
ね?と首を傾げれて見せれば、その瞬間、ディオンが崩れ落ちた。
同時に「うぐぁっ……!!」と妙な奇声が上がる。
「ちょ、ディー?」
「……い、いえ姫さまがあまりにも可愛すぎて心臓が一瞬止まりかけただけですどうかお気になさらずこの動悸は自分にとって生の証でもありますから」
「…………なんて?」
早口な上にノンブレスで言いきられ、さっぱり聞き取れなかった。
「なんでもないのです。……ええと、では外から何枚か追加で持ってきますので、姫さまは休んでいてください。今日はとてもお疲れでしょうしね」
「あ、うん。ありがと」
(たしかに、ちょっと疲れたかも。すんごいねむいし)
いつもはディオンの背中に乗って移動するだけの日々だが、今日は全身運動のオンパレード。加えて、聖女の力もフル活用だ。疲れるのも無理はない。
自覚してしまえばなおのこと疲労を感じて、ふわぁ、と欠伸が零れた。
いまにも瞼がくっつきそうになりながら、ルイーズはおねえさんのもとへ向かう。
「……おねえさん」
頬にかかっていた彼女の短い赤髪をそっと指先で払いよけ、布団代わりに被せていた花弁を首もとまで引きあげてやる。
「だいじょうぶ。もう、だいじょうぶだよ」
知っている。命の灯の儚さを。
知っている。奇跡の力も、その脆さには意味をなさないのだと。
(生きて、おねえさん。絶対に、生きて。死んじゃダメだよ)
どんなに大切でも、どんなに願っても、命は簡単にこの手から零れゆくのだ。
だからルイーズは抗わずにはいられない。
まだ救える命を諦めるわけにはいかない。
でなければ、母を救えなかった自分を、一生恨むことになってしまうから。
(ねえ、お願いだから……ルゥの前で、死なないで)
いっそ懇願するように心のなかで祈った直後、ルイーズは耐えきれず眠りの世界へと誘われた。
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