第27話 名無しの少女・2
『小娘、貴様は街に潜伏し情報を我らに流せ』
ネトルーガと名乗った魔物にそう言われ、彼女はふらふらと覚束無い足取りで街に帰ってきた。あまりのショックにこれは夢だったんじゃないかと現実逃避したくなるが、下腹部に刻まれた奴隷紋がそれを許さない。
「はぁ・・・・・・」
いつもの習慣で冒険者ギルドに帰ってきた彼女は、酒場の端で深いため息をついた。これからどうすればいいのか。
誰かに相談する? いや、奴隷紋により魔王軍に不利になる言動は封じられている。では奴隷紋を解除する方法を探すか。彼女は魔法関連には詳しくないので、誰かに聞くしかないが、しかしそれは危険だ。今の彼女の肉体はシェイプシフター。万が一バレれば、どう言い繕った所で魔物として処分される。
今のところ、手立ては思いつかない。
しかし彼女の肉体は死んだが、こうして魂は生き続けている。あの絶体絶命の状況下ではそれだけでも御の字だろう。
(うん。そうだ。とりあえず生きてれば何とかなるかもしれない)
彼女はそう前向きに捉えることにし、とりあえずクエスト終わりのルーティンとして、骨付き肉を注文した。
「・・・・・・」
肉汁したたる骨付き肉が香ばしい香りを漂わす。普段なら食欲をそそるそれだが、今はなぜかそそられなかった。彼女は落ち込んでいるせいだろうと考え、無視して肉にかぶりつく。
──その瞬間、忌まわしい記憶がフラッシュバックした。
「っ! ごほっごほっ! ・・・・・・おぇ」
シェイプシフターに肉を溶かされ貪られる記憶。それと同時にシェイプシフターが肉を溶かし貪る記憶、その味まで。
彼女の肉体はシェイプシフターのものである。その体が覚えた最後の記憶、つまり彼女の肉体の味が骨付き肉によって呼び覚まされたのだ。
「うっ・・・・・・うぅ。落ち着け・・・・・・落ち着け・・・・・・」
パニックにより彼女の体が崩れ、シェイプシフターの粘液が滴り落ちる。彼女はまだその体に慣れていない。精神的な動揺で体のコントロールが乱れたのだ。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
こんな冒険者だらけの場所で正体がバレたらすぐに殺される。彼女は必死に落ち着きを取り戻そうと、肩を抱いて身を震わせた。
しばらく後、ようやく彼女は平静を取り戻す。幸いにも【影が薄い】により誰にもバレることはなかった。
「はぁ・・・・・・」
彼女は食べる気の失せた肉塊を置いてギルドを出た。
この日以来、彼女は肉を食べる事が出来なくなった。数少ない楽しみの一つが無くなった事は彼女に小さくない絶望を与えたが、それはこれから彼女に降りかかる数多ある絶望の一つに過ぎないのだった。
〇
「こうして、勇者様が魔神を倒したことで世界には平和が戻ったのです。どうだったかしら?」
「おもしろかったー」
「おれ、しょうらいはゆうしゃみたいなぼーけんしゃになる!」
シスターが協会の前の広場で子供達に神話を読み聞かせている。無邪気な子供達をよそに、彼女はフードを目深に被って足早に通り過ぎた。
彼女の『どこにも居場所がない』という思いは日に日に強くなっていた。それは魔王軍の奴隷になり、以前のように名声を稼ぐことができなくなったから、だけではない。
このナーロップ王国では人以外は差別の対象だ。それは獣人だけでなく、エルフやドワーフでもそうだ。
ならば魔族の肉体である彼女はどうなる。差別対象・・・・・・いや、紛うことなき人類の敵だ。それは彼女の価値観にとってもそうである。彼女は生まれ育った国にも、自分の価値観にも否定され続けた。そのうち、彼女は信仰を続けても辛くなるだけなので、神に祈らなくなった。
では魔族の中に居場所があるのかというとそんなことは無い。魔族の大部分を占める魔物に会話が出来るほどの知能はなく、会話のできる魔人も奴隷である彼女のことを明らかに見下していた。そもそも人の心を持つ彼女は魔族を仲間とは思えない。
結局のところ、彼女は人でも無ければ魔族でもないのだ。そんな彼女に居場所などあるはずがなかった。
「・・・・・・」
時折、ふと冷静になってなぜ生きているのかと考えることがあった。生きてても楽しいことなんて何もないのに、なぜ。考えても答えは出なかったが、ただ死にたいとは思えなかった。
「どけ! 道を開けろ!」
大通りを馬に乗った男が慌ただしくかけていく。すれ違った際にちらりと見えた装備には王国騎士の紋章が見えた。男はそのまま王城へと続く道をかけていく。
「始まった、か」
南の空が僅かに騒がしくなる。それは王都の住民には分からない程度のものだったが、魔王軍の作戦を知る彼女には分かった。
王都陥落作戦──後で言う大侵攻が始まったのだ。
「はぁ・・・・・・」
彼女はため息混じりに城門へと向かった。彼女の役目は魔王軍が近くまで来たら内側から城門を開けることだ。
「これで終わり、か」
城壁を登り、南の地平線を眺めた彼女は寂しげに呟いた。既に様々な工作により王都の守りは手薄になっている。じきに地平線を埋め尽くすほどの魔族の軍勢が現れ、全てを蹂躙する。王都に抵抗する術はない。
「・・・・・・」
結局、生きてきて楽しいことなんて一つもなかった。誰の記憶にも残らない、幽霊のような人生。そしてもうじき、記憶してくれたかもしれない人々もいなくなる。
「あーあ、クソみたいな人生だなー!」
地平線の果てが黒く蠢き始めた。数えるのも馬鹿らしいほどの魔族の群れだ。彼女は両足を投げ出し、城壁の上にごろんと寝転がった。
もう終わりだ。奇跡でも起きない限り、人間に逆転の目は・・・・・・
「はい?」
空を仰いだ彼女の目に、キラキラと輝く魔力の流れが見えた。魔力は王城から溢れ、南の空へと伸びている。そして魔力は魔王軍の上空に巨大な魔法陣を描き、次の瞬間眩い光の柱が降り注いだ。
「は?」
しばらくして暴風と衝撃波が王都に届く。城壁に置かれていた物が余波でゴロゴロと転がっていくのを余所に、彼女はその圧倒的な光景に呑まれた。
「すごい・・・・・・」
光のあとには何も残らなかった。あれほどいた魔族は跡形もなく消え去り、えぐれた地面が茶色い地肌をのぞかせている。
奇跡は、あるのかもしれない。
彼女はぼんやりとそう思った。
〇
『あの攻撃の正体を突き止めろ』
魔王軍は慌てて彼女にそう命令した。多大な魔力を使う上に傍受の可能性もある遠距離通信魔法を使って来たのだから、その慌てようもわかる。おそらく今頃魔王軍は大混乱だ。その事を思うといい気味だと思うが、それはそれとして無茶ぶりがすぎる。
あの魔法は王城から出ていた。だから王城を調べたいのだが、王城には人間以外の侵入を封じる結界がある。仕方なく彼女は何かしら調査をしているというポーズのため冒険者ギルドに来た。
「なあ昨日の光・・・・・・」
「ああ、なんでも神が魔族に天罰を降したとか」
「勇者様が再び現れたんじゃないか?」
「俺は何らかの魔力災害って聞いたぞ」
一般市民よりは多少はマシだろうと思ったが、残念ながら冒険者ギルドでも同じような噂が流れていた。王城から魔力が出ていたのだから、そこで何かが起きていたのは間違いないのだが。
(これじゃあ何もわからないな。参ったなぁ。何かしら成果は出さないと
奴隷紋は従順でない者を痛めつけるための機能がある。彼女はそれを恐れていた。
真面目に調べていても成果が出なければ魔王軍は容赦しない。役たたずと見られればそのまま
(とりあえずもう少し調べてダメそうなら他の方法を考えよう)
「そこのお嬢ちゃん。俺で良ければ一緒に行ってやろうか」
「えっ!」
そんな時だった。妙な風貌の男が話しかけてきたのは。男はサイズの合っていない全身鎧を着ていたが、非常に古ぼけており、お下がりの服を与えられた子供のようであった。およそ冒険者には見えない格好に好機の視線が男に集まっている。
だが彼女が驚いたのは普通に少女を見つけて話しかけてきたことだ。
もちろんここは王都。実力者も集まる場所だ。彼女も誰かに見つかる事も想定して他の冒険者に紛れるように行動していた。だがよりにもよってこんな素人くさい男に見つかるとは思ってもいなかった。
「ふうん。ダービー、戦士、15レベル・・・・・・」
冒険者タグを見ながら、ついでに【鑑定】により男のステータスを見る。しかし・・・・・・
────────────
名前:■■■■
年齢:■
種族:■■
職業:■■
レベル:■■■
────────────
(なんも見えない。何らかの妨害がかかっているのか)
彼女はある程度予想していたことだが、ステータスはほとんど見ることが出来なかった。
全身鎧は重く、通気性が悪く、しかも無駄に高価だ。冒険者はあまり好まず、もっぱら騎士が使う。そして騎士は身分的には貴族だ。男の全身鎧が騎士のお下がりならそういう特性を付与されていてもおかしくない。
(とすると、コイツは貴族と何らかの繋がりがある可能性もあるな)
それは彼女にとっては好都合であった。
王城に入れない彼女にとって貴族との繋がりは喉から手が出るほど欲しいものであり、まさに渡りに船だ。
「よししゅっぱーつ!」
「ちょいちょい、待てよ」
「なに? まだなんかあるの?」
適当に言いくるめて出発しようとした彼女だが、男に呼び止められる。
「名前だよ名前。名前教えてくれ」
「あー」
名前。そうだ、人間の社会では名前があるのが当然だった。長い間魔族の中で生きてきた彼女にとってそれは久しぶりのことだった。
魔族は一部の強力な魔人しか名前を持たない。魔王や四天王、もしくは何らかの重要な役割を持つ者だけだ。魔族の社会では『おい』や『小娘』などが彼女を示す言葉だった。
(名前、か。なんて名乗ろう)
彼女も人間だったころ、両親から与えられた名前がある。だがその名前を魔族になり、人間の敵となった今、名乗りたくはなかった。
(・・・・・・そうだ。いいのがあった)
その名前はこの国において、特殊な意味を持つ。名前を失った今の彼女にピッタリの意味。
「
「はあ、よろしく」
その名前に込められた意味に気づいたのかどうか。ダービーと名乗った男は気の抜けた返事をしながらガチャガチャと鎧を揺らしながらついてきた。
〇
ダービーは見た目通りにアンバランスな男だった。何も物を知らず、かと思えば異常なまでの強さを持ち、しかしそれを指摘されるのを嫌う。
明らかに普通では無い。何かを隠しているのは明白だった。
『勇者様が再び現れたんじゃないか?』
王都やギルドで流れる与太話の一つにそんなモノがあったのを彼女は思い出す。
(はっ、まさかな)
もしダービーが勇者だとして、なぜこんな所でみすぼらしい装備を着て冒険者などやっているのか。そもそも本当に勇者が召喚されていたとしても、あんな大規模な攻撃を一人で出来るはずがない。そう彼女が考えたのも無理はない話だ。
確かにダービーは異常に強い。だがそれは、まだ貴重な装備のおかげや、多少ステータスを偽っている程度で説明できるものだった。もっともそれは彼女の見た範囲では、だが。
大方、貴族の子弟がお忍びで冒険者に扮して遊んでいるのだろう。彼女はそう推測し、ダービーに取り入るために行動を共にした。
〇
暗がりからそっとダービーの様子を盗み見るジェンドゥ。ダービーはサキュバスの手を掴んでいた。企みがバレたサキュバスは逃げようと必死に抵抗しているが、ダービーには効いている様子もない。
(死んだな、あいつ)
サキュバスは人間から蛇蝎のごとく嫌われる魔族だ。それは人間を騙し、レベルを奪うという生態のせいだろう。どれだけ温厚な者もサキュバスを見れば真っ先に殺しにかかる。
だが・・・・・・ダービーはその手を離した。
「え?」
サキュバスの声とジェンドゥの心の声がシンクロする。
なんのつもりかと注視するジェンドゥだったが、ダービーはサキュバスをそのまま逃がしてしまった。
「・・・・・・」
それはジェンドゥには理解し難いものだった。
フマイン教を信仰しているのであれば魔族に慈悲をかけるなどありえない。魔族の駆逐はフマイン教の重要な教義の一つだ。そもそもこういう気の迷いを断つためにこの教義があるといってもいい。人からすれば絶対に許されない、背信者の誹りをまぬがれない行為だ。
では
「俺が・・・・・・殺したくなかった。そんだけだよ」
「神の教えはいいのかよ」
「神? 悪いが俺は無宗教なもんでな」
「ははっ。いいね。気に入った」
その答えはジェンドゥにとって救いたりえた。
フマイン教の教えの中に、ジェンドゥの居場所はない。でもそうではない者もいる。彼女を否定しないダービーの存在に、それだけで彼女は少し許された気がした。
─────────────────────
――――――――――――
――――――――
――――
――
頬をつつかれる感触にジェンドゥは目を覚ました。鬱陶しそうに目を開くと、鳥型の連絡用使い魔が追撃を仕掛けようとしている。
「わかった、わかったよ。起きるからつつくな」
どうやらここは王都から離れた森の、木の洞のようだ。外ではまだ雨がしとしとと降り続いている。
何でこんな所で寝ているのか、使い魔を手を払って追い払いながら、ぼんやりした頭で考える。
「・・・・・・ああそうだ。くそ」
やけに足元が冷えると視線を足元に落として、両足の装備が無くなっていることに気づき、全てを思い出す。
冒険者ダービーは勇者リュートだった。
相手がただの冒険者なら、二人はなあなあで関係を続けられたかもしれない。だが勇者なら話は別だ。ジェンドゥは一度勇者の心臓を串刺しにしている、人類の敵だ。勇者が許すはずがない。
そこでジェンドゥは自分が悲しんでいることに気づき、自嘲した。
「まさか、まともな人間関係を作れるって期待してたのか? こんなボクが」
期待するから辛くなる。なら初めから何も期待しない方がいい。
「っ。痛いって。わかってるよ。定時連絡だろ。今やるって」
先程から執拗につついてくるのは魔王軍の連絡用使い魔だ。ジェンドゥが調べた事を報告させるためにくる。この報告において、ジェンドゥは虚偽や隠し事は許されない。
「・・・・・・」
ジェンドゥは勇者について彼女が分かったことを記していく。普段は冒険者ダービーとして活動していること。本人はフマイン教を信仰していないこと。その他、ダービーとして接している間にわかったことなど。
「ほらよ」
ジェンドゥから報告書を受け取った使い魔は雨空を羽ばたいていく。それを見送りながらジェンドゥは胸に走る痛みを押さえられなかった。
いったい何に期待しているのか、それは彼女にもわからなかった。
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