カーネーションのほころぶ頃に

水多千尋

第1話 カーネーションのほころぶ頃に

 私は母の顔を覚えていません。うんと昔、私が物心つく前に家を出て行ってしまったようなのです。

 理由は分かりません。価値観の相違、痴情のもつれ、健康上の問題……。人と人との別れの理由など考えだせば、枚挙に暇がありません。

 父や親族の口ぶりから母は存命のようですが、それも幼い私を悲嘆させないための方便だったのかもしれませんし、いずれにしても、真相は闇の中というところでしょう。

 私も敢えて深く追求しようとは思いませんでした。過程がどうであれ、我が家に母が不在である事実は揺るがないからです。そこには諦めにも似た感情がありました。

 それでも、私は母がいなくて惨めな思いをしたことはほとんどありませんでした。父は自動車の修理工場で働いていましたが、授業参観や運動会などの学校行事には必ず休暇や早引けをして駆けつけてくれたのです。汗と油に塗れた作業着のままの時もありましたから、相当に無理をしていたのだと思います。

 同じ社会人となり、子どもを持つ親となった今振り返ると、ただただ頭が下がる思いです。

 


 さて、先ほど惨めな思いをほとんどしなかったと話しましたが、母親のいない寂しさをまったく感じなかったかと問われれば、首を横に振らざるを得ません。

 特に、小学二年生の時の「母の日」は本当に辛い思い出です。家族においても多様性が認められるようになった昨今では、学校も様々な配慮をしてくださるのでしょうが、私が小学生だった約二十年前は少しばかり遅れていたのかもしれません。

「日頃の感謝をこめて、みんなのお母さんの似顔絵を描きましょう」

 担任の先生は笑顔でそう言いました。しかし、ふいに私の存在を思い出したのでしょう。少し困ったような顔をした後で、「お父さんでもいいのよ」と小さく付け足しました。

(それじゃあ「父の日」じゃん)

 可笑しくてその場は笑ってしまいましたが、布団に入る頃になるとなんだか切なくなりました。

 結局父をモデルにすることもできず、私は近所に住んでいるお友だちのネコの顔を描いて先生に提出しました。先生はこれまでに見たことのない複雑な表情を浮かべていました。

(間違えた……)

 直感的にそう思いました。

 先生の発言を気にしておらず元気であることをアピールするつもりが、逆効果になってしまったようです。

 結局、クラスの掲示板に私の絵が貼られることはなく、数日経った後に「大変上手に描けました。ネコちゃん可愛いですネ」と花丸がつけられて返却されました。そのコメントは先生のせめてもの罪滅ぼしなのでしょうが、絵を家に持ち帰り、暗い部屋で一人それを眺めていた私はじわじわと悲しくなり、ついには声を放って泣いてしまいました。

(なんで、なんで私にはお母さんがいないのよぉ……)

 喉が乾くくらい涙を流した後に、私の脳裏にある光景が過ぎりました。それは光の届かない心の奥底に沈められていた遠い日の記憶でした。

 今日と同じように泣き喚いていた私に、優しい声で本を読んでくれている髪の長い女の人。根拠はありませんが、確信がありました。あの人は私の母に違いありません。

(もう少しだけ……)

 私はそう望みましたが、母の顔は判然としないままでした。代わりに、その時に聞いた物語の内容を微かに思い出しました。

(クマ……。クマが出てくる話だった)

 残念ながら、どんなに頭を捻ってもそれ以上の情報を知ることは叶いませんでした。

 私はその本をもう一度読んでみたくなりました。そうすれば母の存在を身近に感じられるような気がしたのです。母の顔だって、はっきりと見えるかもしれません。

 その時私が住んでいた家は台所と六畳程度の和室しかない小さなアパートの一室でしたので、本の一冊など探せばすぐ見つかるはずでした。

 しかし、本棚や押入にあるものを全てひっくり返しても、私はその本を見つけることができなかったのです。

 その日、いつものように夜中に帰ってきた父にそれとなく尋ねてみました。もちろん心配をかけるので、記憶の中の母の話は伏せました。

 仕事で疲れているであろう父も懸命に探してくれましたが、「ごめんなぁ。もしかしたらここに越してくる時に捨てちゃったかもしれないなぁ」と申し訳なさそうな顔で謝るばかりでした。

 藁にもすがる思いで図書館のレファレンスサービスを何度か利用してみましたが、やはり情報が少なすぎたのでしょう。あの日に母が読んでくれた本に辿り着くことはありませんでした。



 そこから一年が経ち、二年が経つと、もともと朧げだった母の記憶は、さらに薄れていきました。もしかしたら、あの時に蘇った光景は幼い頭で作り出した都合のいい幻だったのかもしれないと思うようにさえなりました。

 そんなある日のことです。私は摩訶不思議な体験をしました。あまりに突飛な出来事でしたので、「体験をした」というよりも「白昼夢を見た」とした方がいくらか自然に思えます。しかし現実に影響を及ぼしているのも事実ですので、やはりあれは実際に起きた出来事で、私はそれを「体験した」のでしょう。



 その日、自転車で三十分ほどの距離にある祖父母の家に遊びに行っていた私は、真っ直ぐに帰宅せずに寄り道をしていました。祖父母の家と私が住んでいる家の丁度中間あたりにF駅という大きな駅があるのですが、そのF駅に隣接しているビルに地元で有名な書店があります。寄り道の目的はその書店でした。私は祖父母からもらったばかりのお小遣いを握りしめて店に入りました。

 実用書、文庫本、漫画、学習参考書、写真集……。店内を見回すと、私の目に様々な種類の本が飛び込んできます。本棚にびっしりと収まっているたくさんの本たちを眺めていると、これらの中から心に残る本に出逢うことは大変な確率であることがよくわかります。

(これだけの本があれば、お母さんとの思い出の本だって紛れているかもしれない)

 半分冗談で、だけどもう半分は本気で、私はその書店に来ると、いつも真っ先に児童書のコーナーに向かっていました。もちろん思い出の本が児童書である確証はありませんが、泣いている娘に対して読む本は、絵本などの児童書の可能性が高いと予想していました。

 もっとも、そんな予想をしたところで、クマが出てくる児童書などいくらでもあります。捜索はいつも空振り続きでした。

 その日も絵本が並んだ本棚の端から端までを何度も往復していましたが、なんの成果もありませんでした。そのまま一時間ほどが経過し、そろそろ帰宅しようかと思い始めた頃です。

 ふいに、平積みにされた絵本の上に置いてある小さなぬいぐるみに気がつきました。

 山吹色をしたトリのようです。

(さっきここを通った時、こんなぬいぐるみあったっけ……?)

 私はなぜかそのトリのぬいぐるみから目が離せなくなりました。そして、そのトリもまた、左右で大きさの違う特徴的な双眸でじっと私を見つめているようでした。

 それから、自分でもいまだに信じられないのですが、私はそのぬいぐるみのトリと言葉を交わしたのです。

 大人になった今ではぬいぐるみが喋った時点で腰を抜かしてしまい、その後のコミュニケーションどころではないと思うのですが、非現実との境界線が曖昧である子どもの特権なのでしょう。当時の私は不思議な出来事を受け入れるだけの心の余白を持っていたようです。

 残念ながら会話の詳細までは覚えていませんが、やり取りの中でフクロウのように見えていたそのトリが、実はミミズクであることを知りました。耳のようなカラフルな羽は羽角と呼ばれ、ミミズクの証なのだそうです。ちなみに私はそれまでミミズクという生き物を知らなかったので、高校生になるまでミミズクは皆山吹色で羽角がカラフルなものだと勘違いしていました。

 名前を聞いたのですが失念してしまったので、仮にそのトリを「ミミズクさん」とします。

 ミミズクさんは書店に来た理由を問うてきました。探している本があると伝えると、ミミズクさんはじっと何かを考えた後で、小脇に抱えた緑色の本を差し出しました。

 私は促されるままにページを捲ってみました。すると、その中に私がずっと探していたクマのキャラクターが現れたのです。

「ミミズクさん、これ……」

 驚いた私が顔を上げた時には、ミミズクさんは姿を消していました。慌てて手元に目を落とすと、手のひらほどのサイズだった緑色の本は、可愛いクマが表紙に描かれたA5版の絵本に変わっていました。私はすぐにお財布の中にあるお金を全てかき集めて、その絵本を購入しました。

 絵本の内容は、主人公のクマが周りの動物たちに大好物のハチミツを分けてあげるという優しいストーリーでした。それは母にとって大切な本だったのか、たまたま家にあった本だっただけなのかはわかりませんが、母はあの日、星の数ほどある選択肢の中から、そんな素敵な絵本を選んで私に読み聞かせてくれたようです。

 我が家に母が不在となってしまった事実は揺るぎません。しかし、その過程で、たとえほんの一時だとしても私は確かに愛されていたのです。

「終わり良ければすべてよし」なんて言葉がありますが、その日から逆も「あり」なのではないかと考えられるようになりました。

 本を最後のページから読まないように、旅が目的地から始まらないように、結果に至るまでには必ず過程があります。

 結果が少々残念に終わったとしても、その過程の中で幸福の瞬間を見つけられていれば、それは素敵な思い出と捉えていいのかもしれません。



 そして「母の日」の今日、リビングテーブルの上には、二輪のカーネーションが飾られています。一輪は幼稚園にあがったばかりの娘から私に。そしてもう一輪は、私から顔も知らない母に。

 この風景も、幸せな人生の一ページとして、未来の私が捲ることになるのでしょう。

 


 ところで、最近夫から面白い動画を教えてもらいました。その動画に出てくるミミズクのぬいぐるみが、私が小学生の時に喋ったミミズクさんにそっくりなのです。

 私が喋ったミミズクさんは、あんなに毒舌ではなかったと思うので、別人ならぬ別鳥であれば申し訳ないのですが、ぜひお礼を言わせてください。

 あの時はお世話になりました。一緒に本を探してくれて、本当にありがとうございます。

 おかげさまで、素敵な「心の旅路」を思い出すことができました。

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カーネーションのほころぶ頃に 水多千尋 @frederick01

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