第37話 願い下げ

 俺の言葉を同時に、隣に数メートルほどの真が顕現する。白く風格を漂わせる神狼。

 それを見た瞬間、周囲の人間達の顔色が変わる。


「犬……犬神? 狼系の妖怪か?」


 デブは先ほどの余裕そうな表情から一転、真を真剣な顔で見据える。


水行すいぎょう水烈すいれっ――」


 デブが呪を唱え終わる前に、真は一瞬でデブの目の前まで移動する。

 デブの顔が真っ青に変わると同時に、真はその前足でデブを足払いし体勢を崩す。デブの左足の骨が砕ける音がした。


「ぐああっ!」


 デブの顔が歪む。

 畳みかけるように、その牙がデブの首元で止められる。

 デブは完全に敗北を悟ったか、その手は震えていた。


 俺はちらりと試験官を見る。


「しょ、勝負あり! 芦屋道弥の勝ち!」


 試験官はすぐさま判定を下す。


「ありがとう、真」


 俺は真に礼を言うと、そのまま帰還させる。

 だが、真が消えてしばらくしたデブは、落ち着いたのか叫ぶ。


「ふざけるな! 俺の足は折れているぞ! 明らかにやりすぎだ! 失格だ、失格!」


 醜い……。実に愚かで、滑稽な。

 これほどまで陰陽師協会は腐っているのか。

 俺は三人に向けて丁寧に頭を下げる。


「本日はありがとうございました。試験は終わったようですので失礼します」


「まだ話は終わっていないぞ!」


「これほどに実力を見せてなお、失格になるのならそのような組織こちらから願い下げです。この私、芦屋道弥は不正など恥ずべき行為を行ったことは一度もない。我が名に懸けて。それでは」


 俺はそう言って試験会場を去った。




 試験官をしていた八百(やお)昴(すばる)は今見た光景に息を呑んだ。

 弱小として侮られ続けていた芦屋家の少年。彼は不正などすることもなく、最後まで正々堂々と戦い抜いた。


(彼はここで今、失格になるべき存在ではない。そんなこと絶対にさせるべきではない! 例え私が、どうなろうとも!)


 彼は三級陰陽師。既に三十を超え、陰陽師として経験も積み、立派な部下も多い上級陰陽師だ。

 そんな彼は自分より半分の年齢に過ぎない少年に憧れの気持ちを抱いていた。

 今回の試験では上司に当たる四条(しじょう)隆二(りゅうじ)。醜い脂肪を震わせ、今も汚い呪詛の言葉を吐き続けている。

 宝華院家の分家である四条家の当主でもある。


「少し強い式神をもっているからと調子に乗りおって! 最初から式神を出していれば負けておらんかったわ! おい、さっさとあのクソガキを失格にしておけ」


「大丈夫ですか、四条様。この私が必ず然るべき処理をしておきます」


 八百はにっこりと笑った。


「今日見たことは分かっているだろうな?」


 デブこと四条は睨みをきかせる。


「勿論です。絶対に口外いたしません」


「よろしい。骨折を治療してくる」


 四条はそう言うと、のしのしと帰っていった。

 四条が去っていった後、八百は無言でタブレットを操作し、合格のボタンを押した。


「いいんですか、先輩? 逆らう形になってしまいますよ?」


 後輩が心配そうに八百に尋ねる。


「構わないさ。ここで合格にしてしまえば、後からばれたとしても不合格にはできない。私は彼のファンになってしまったんだ」 


 八百はそう言って、笑った。




 やってしまった……。

 俺は放心しながら電車に揺られていた。


「絶対落ちたな……」


 個人的な感情を優先してしまった。


『すみません、主様。私が奴の足を折ってしまったばっかりに』


 真の念話が届く。


『いや、真は何も悪くない。父が馬鹿にされて俺も少し苛立っていた。落ちたら……来年頑張るか』


 両親になんて言おう。一位を取ると言ったのに……一次試験で落ちるなんて。

 頭を抑えて唸っていると、メールが届く音が携帯から鳴る。

 不合格通知でも来たか? 俺はそう思いながら携帯を見る。


『一次試験合格のお知らせ』


 ん?

 受かっている? 

 WHY?

 俺は首を傾げる。


『やりましたね! 誰かが道弥様の素晴らしさに気付いたのですよ!』


 と嬉しそうな莉世の声が頭に響く。


『あのデブが合格にするとは思えんが……助かった。これでなんとか報告できるな』


 俺は安心しながら、家に帰った。

 俺は試験が終わった後、デブへの復讐を考えていた。

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