第26話

 魔女との激しい戦いの余波で、部屋中に瓦礫が散乱している。祭壇も巻き添えを食らって階段がところどころ無くなっており、特に階段の中腹には大きなへこみができていた。

「なあ、あそこのへこみ、角度的に魔女が作ったのじゃないよな」

 階段の真下に着いたときに兵士がぼそりと言った。

「……魔女が作ったものですよ、多分。……ちょっと登りにくいかもですけど、大丈夫そうですね」

 無我夢中で戦っていたからあそこに当てた記憶はない。もしも当たっていたとしても、魔女のせいだ。そうに違いない。

 階段が石でできていたおかげで、時間は多少かかったが足場が荒れていてもなんとか上まで登ることができた。……二,三度兵士が足を踏み外して落ちかけていたが。

 ————やっとここまで来た

 頂上が見えた瞬間、思わず少女の体のところへ駆け出していた。

 ガラスの向こう、少女は眠るように目を閉じている。

 少女の体は見えているのに、手を伸ばせば届きそうなのに、こんなに薄いガラス一枚に阻まれて届かない。音を聴く限り、心はまだ体にいるようだ。

 少女を姿を見るとどうしてもよぎってしまう。弱り切ったあの体を。————僕の見た最悪の未来を。

 もう二度と、あんな姿は見たくない。————絶対にさせない。

 決意とは裏腹に目じりには自然と涙がたまっていた。

「どうした少年?……いきなり走り出すからびっくりしたぞ!」

 ガラスに反射して後ろから走ってくるのが見える。声をかけてくれたおかげで感傷的になりそうだったのを無理やり平静に戻せた。

「す、すみません。頂上が見えたので思わず走っちゃいました」

 兵士からわからないように、不自然にならないように涙をぬぐい振り向いた。

「君も思いのほか子供だな。頂上でテンションを上げるなんて」

 あきれたように兵士が言う。別にほんとにそうだったわけじゃないのだが、その理由に気付かれた様子はない。

「まあいい。で、それはどうすれば開くんだ?……というか、ここはなんなんだ?」

 兵士が不思議そうにきょろきょろとしている。

 その質問はもっともだろう。さっきまでは必死だったのであまり気になっていなかっただろうが、疑問を持たないほうがおかしい。

「えーっと、なんていえばいいんですかね。僕にもよくわかんないんですよ。とりあえず、なんかこれを動かす端末?があるはずなんで、それを探してください」

「お、おう。わかった。なんかわからんがなんか怪しいものを探せばいいんだな?」

 祭壇の上を二人でいそいそと祭壇の上を探してみる。正直、僕もその端末とやらを見たことないのでわからないが、それで魔女がこの装置を動かしていたことには間違いないはずなのでここにあるはず。……きっと。

「なあ、これか?その、……端末って」

 妙に震えた声で兵士に呼ばれ振り返ってみると、体を震わせながら穴の開いた板を右手に持っていた。

 兵士がそれを差し出してくるので受け取って、くるくると回したりして表裏を確認してみる。触った感じ石や木ではなく金属でできているようなのだが、片面はガラスになっていて、どう見てもこの石でできた空間にあるのは不自然な代物だ。

 横にある出っ張りを押したり、表面を叩いてみるが反応はない。完全に壊れてしまっているようだ。それにしてもなぜ端末のど真ん中に穴が開いているのだろう?

「ええ……多分。ただ、壊れてますねこれ」

 僕のその言葉を聞いた瞬間、兵士の顔がみるみる青ざめていく。さっきからあきらかに様子がおかしい。ちょっと聞くのが怖いが聞かないことにはどうにもならない。

「何か心当たりがあるんですか?」

「たぶん……魔女刺したときに踏んだ」

 聞いた瞬間、頭のどこかでぷつんと音がした。無意識に右手が動き、気が付けば兵士の顔面に端末を投げつけていた。

 飛んで行った端末は、兵士の額にきれいに横向きでガツンと嫌な音を立てて当たった。角ではなかったのでさすがに突き刺さりはしなかったが、それでも兵士がひっくり返るには十分な衝撃だった。

 痛いじゃないか、と地面に横たわった体を半分起こして兵士が抗議をしてくる。額には真っ赤な細いあとができている。

 魔女の薬の時もそうだったのだが、この男には物を壊す癖でもあるのだろうか。さっきは二つあったからまだよかったものの、今回のは取り返しがつかない。

「それ壊れてたらアレ開けられないんですよ!あそこから助け出せないんですよ!?」

 僕の叱責に、頭に上った血が一瞬で冷めたのか、姿勢を正すと

「やっぱりそうか。……すまない」

 深々と頭を下げられた。またごねると思ったのだが、神妙な態度で謝られて思わず拍子抜けしてしまう。

「くそっ、あと少しだったのに」

「なあ、俺が言うのもなんだが、無理やり開けることはできないのか?こんなガラスくらい君の力があれば簡単に割れるんじゃないか?」

「割れるには割れますが、彼女への悪影響がないとは言えないのでやりたくはないんですけど……、この状況じゃそれしかないですよね」

 正直なところ、無理やり出すのはしたくなかった。兵士に言ったこともそうだが、無理に出した衝撃でまた心が分離してしまうかもしれない。だが、端末が壊れてしまった以上、少女をここから出すにはそれしかなかった。

 また心がどこかへ行ってしまっていたら、探す旅をすればいいだけの話だ。どうなろうと、僕は必ずこの娘を助けるんだ。

「やってみますから、危ないのでちょっと離れておいてください」

 兵士に声をかけ、少女の入っているところから離れさせる。

 距離を取ったのを確認すると、右手に力を溜めてガラスを溶かせるくらいの火球を作り上げる。あくまでガラスを溶かせる程度で止めておかないと中の少女まで燃やしかねない。

「いきます!」

 ガラスに火球を押し当て少女が出られる分の幅を溶かす。慎重に温度と大きさを調整して少女を傷つけないようにゆっくりと溶かしていく。

 溶けたガラスの隙間からは瞬時に水が流れ出す。それに流されるように少女の体も外に出てこようとする。十分な幅を溶かし終えると火球を消し、隙間から流れ出る少女の体を体で受け止める。

 受け止めたにはいいが、流れ出る水の重さまでは受け止めきれずそのまま少女の体を抱えたまま後ろに押し倒された。

 げほっげほっ、とせき込むように胸の上に抱えた少女が水を吐き出す。そのまま少しの間、荒い呼吸を繰り返していたが、それもすぐに安らかな寝息に変わっていた。

 無理やり出したからどうなるかと思ったが、体から感じる熱も重さも音も、彼女が生きていることを証明してくれている。


 安心したせいか、少女を抱きかかえたまま起き上がる気が起きない。……別にようやく生身の少女に触れられて離れがたくなっているとかではない。

 そんな僕の煩悩を断ち切ったのは、兵士の声だった。

「おーい少年、お楽しみのところ悪いがあんまりゆっくりしている余裕はなさそうだぞ」

 冷や水でもかけられたかのように冷静になる。いや実際びしょびしょなんだけど。

 少女をこんなところに寝かすわけにはいかないので、上に乗せたまま体を半分だけ起こす。

 兵士は僕の方は見ておらず神妙な表情で天井を見上げていた。最初は僕のことを恥ずかしくて見てられないから視線をそらしているのかと思ったがそんなことではないらしい。真似して天井を見上げてみると、理由はすぐに分かった。

 顔を上げた瞬間、額に何かが衝突した。突然かつあまりの痛みで声も上げられず、そのまま、崩れ落ちて今度は後頭部を地面に打ち付ける。

「大丈夫か!?」

 痛みで声も出せず、首を振ってこたえる。

 手探りでぶつかったものを探す。頭の右側にあったそれらしいものをつかんでみてみると、こぶし大の大きさの瓦礫だった。なんでこんなものがと思った瞬間に兵士が答えを教えてくれた。

「君と魔女との戦いで部屋が崩壊しかけている、と言おうと思ったのだがその前に身をもって気づけたな」

「じゃあ先に言ってくださいよ!」

 なぜか得意げに言う兵士にぎゃあぎゃあとかみついてみるが、そんなこと全く意に介さず僕の上で眠る少女をひょいと持ち上げ抱えた。

「なんでもいいが、死にたくないから俺はさっさと逃げるぞ」

 それだけ言い残して、少女を抱えてすたこら逃げるように階段に向かって走っていく。

 いわれなくても僕だってこんなところで生き埋めにはなりたくない。慌てて起き上がり、兵士の後を追う。

「ちょっと!?待ってくださいよ!」

 そうこうしている間にも周囲には瓦礫がぽつぽつと小雨くらいの勢いで振ってきている。

「危ないんで、変わりますよ。抱えるの」

 瓦礫の雨の中で少女を抱えながら足場の悪い階段を下りるのは兵士では荷が重そうだ。登るときも何度か転んでいたし、また転んだりしたら抱えている少女まで怪我をしてしまう。そう考えての発言だったのだが、何を思ったのか兵士は眉間にしわを寄せると

「いいが、……変な気は起こすなよ」

 なんて釘を刺してきた。

 完全な善意からの発言だったのになんて言われようだ。心の底で憤慨するが、どうせ何言っても聞かないだろうから諦めて何も言わず少女を奪い取る。

 奪い取った少女を背中に背負いなおし、急いで階段を駆け下りる。

 案の定、下りる途中で横を兵士が転がり落ちていくのが見えたが無視をする。

 早く降りられてよかったですね。


 急にぶるっと体が震えた。

「どうした?少年」

 階段も下りきってあとは部屋から出るだけのはずなのに、背中に直接氷を当てられているようなそんな悪寒。

「急ぎましょう。なにか嫌な感じがします」

 わかった、と兵士もうなずくと走り始めた。

「なぁ、少年。聞きたいことがあるんだが」

 走りながら真剣な顔で兵士が話しかけてきた。だが、

「それ、あとでいいですか?しゃべってる余裕ないですよ、今」

 少女を背中に抱えながら瓦礫の雨を避けるので精いっぱいで、兵士の相手をしている余裕はない。それは事実だ。けど、急がないといけない理由はほかにもあった。

 さすがにタイミングが悪いとわかったのか、兵士もすまんと一言だけ言って無言で入り口に向かう。

 幸い入り口の扉は崩れておらず、まだ通れそうだ。唯一の出入り口のここが崩れていれば、この部屋で生き埋めになるしかないところだった。

 先を走る兵士が開けっ放しになっていた扉を通り抜けた。

 僕も兵士のあとに続いて扉へ走るが、その足は突然止められることになった。


『あ゛ぁああああああああっ!』


 背筋も凍るような絶叫が、脳を、体を、空間を揺らした。

 どこからこの声が響いているかはわからないが、声には聞き覚えがあった。この冷たい感覚————魔女だ。

 やはり先ほどから感じていた悪寒の正体は魔女だった。聴こえていなくても、体が先に魔女のことを感じていたようだ。

「兵士さん!」

 扉の向こうで呆気に取られている兵士に少女を投げ渡す。

 一瞬、驚愕の表情を見せたが、あたふたしながらもきちんと少女の体は兵士の腕に収まった。

「なにを!?」

 地面の底から魔女の嫌な音がすごい速度でこちらに近づいてきている。あと数秒もすれば、水の中から顔を出すだろう。

「二人で先に地上へ!僕が魔女を引き受けます」

「だが、それでは……」

 兵士もわかっているのだ。さっきの絶叫の影響もあるのか部屋の崩落の速度は加速度的に上がっている。このタイミングを逃せば部屋から出られなくなる。だが、ここで全員が地上に逃げれば魔女も追いかけてくる。階段で襲われれば、それこそ全員が死ぬことになるし、逃げきれたとしても地上であの力を振り回されれば、どれほどの被害が出るか考えたくもない。誰かがここで魔女を止めなくては。

「大丈夫です。ここが崩れる前に僕も逃げますから」

 そんなできもしない約束をして、無理やり石の扉を閉じた。

 扉が閉じる寸前、兵士が何かを叫んでいたが、その言葉も分厚い石の扉に遮られて聞き届けることはできなかった。

 崩落する部屋の中、祭壇の横で轟音とともに水柱が上がる。

「許さん許さん許さん許さん!」

 水の中から現れた魔女は、呪いの言葉を繰り返す。

 怒りのあまり、理性なんてものはもう残っていない。

「奇遇ですね、僕も許せないんですよ」

 自分のものとは思えないほど怒りのこもった声が出た。

 魔女に連れ去られた過去の少女を救い、英雄と呼ばれるはずだった兵士も救った。

 少女との約束は果たした。だから、ここからは少女に頼まれたわけじゃない、————僕の戦いだ。

「あの子の人生をめちゃくちゃにしたあなたのこと!」

「殺してやるぞ!人間ンンッ!」

 閃光、そして衝撃。

 部屋の崩落はとどまることを知らず、たった一つの出入り口である石扉はすでに瓦礫の海に沈んでいた。

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