第25話

 僕と魔女の間で炎と水流が飛び交い、時折雷鳴や突風が吹く。激しい炸裂音が響き、この部屋全体を揺らしている。力は拮抗しており、どちらの攻撃も相手に届く前に撃ち落されている。

 魔女は様々な攻撃で攻めてくる。同じ力を持っていると言っても年季が違う。生死のかかった戦いにおいてそれは絶望的な差だろう。本来は戦いになどならず、一方的な殺戮にすらなりえる。だが、僕には魔女の攻撃も聴こえる。出力が同じになった今なら聴こえた音をそのまま真似すれば魔女と同じ攻撃を返すことができる。その効果は絶大で、年季の差を埋めて互角にまで持ち込めている。

 僕からすれば、魔女から聴こえる音を必死に真似しているだけなので出るまで何が起こるかわからない行き当たりばったりな攻撃。

 魔女からすれば、先読みのように自分と同じ攻撃を繰り出されるなんとも気分の悪い攻撃。

 双方にとって神経をすり減らす攻防が繰り返される。


「っ、なんだお前!さっきから気持ち悪いことばっかりしやがって!」

 数刻、打ち合いをしていたところで魔女が苛立ちの声を上げた。それと同時に魔女の中に焦りの音も聴こえてくる。

「真似するの得意なんですよ。……なんでも出してくださいよ。真似して見せますから」

「いいだろう。じゃあ、これを真似して見せろよ。……できなきゃ、死ぬぞ」

 僕が安い挑発に魔女も乗ってきた。

 くるりと回りながら空中に浮きあがった魔女は、いつのまにか手にしていた木の杖に力を溜め始める。溜めた力が杖の前で真っ黒な球状になり、だんだんと大きくなっていく。

 ————なんだ、アレ。音が聴こえない。

 黒というにはおぞましすぎる、光すらも飲み込まれてしまいそうな深淵。あの球からは何の音も発せられていない。音が聴こえない以上、あの黒い球を真似することはできない。それ以前に何なんだあれは?

 なんにせよ、あれが相当やばい代物なのは確実だ。作り上げられる前に止める。

 なにが有効かわからないので炎に水、風に雷、瓦礫など使えるものすべてを魔女に向かって発射する。攻撃はそれぞれ別々の軌道を描いて魔女へと飛翔していく。だが、魔女に当たる寸前、それまでの軌道を逸れてあの黒い球に向かっていき、溶けるように吸い込まれた。

 攻撃を吸い込んだ黒い球は、瞬時に肥大化し、こちらのありったけの攻撃を吸収したころには魔女の姿がこちらから見えなくなるほどにまで大きくなった。

 あんなのどうすればいいんだ。

 もう魔女より大きくなってしまっている以上、発射されるのは時間の問題だ。だが、攻撃をすれば球を大きくするだけ、受け止めればそのまま押しつぶされてしまうだろう。

「悪あがきはもういいか?……じゃあ、死ね」

 魔女の宣告とともに、球が発射される。

 飛んでくる球はゆっくりとこちらへと向かっている。その遅々とした速度が逆に不安を煽る。まるで死刑を待つ死刑囚にでもなったかのような気分だ。


 あの球が少しづつ進むにつれ、胃の底の重いものが増え、感覚が鈍る。

 あんなものが爆発でもしようものなら、衝撃でこの部屋が崩れてしまってもおかしくない。それどころか上に建っている城だってどうなるかわからない。確実なのは、ここにいる兵士と少女も巻き添えになるということだけ。被害を少なくするためには僕が受け止め、全力で自分の中に押し込めるしかない。そんなことをすれば僕がどうなるかわからないが、そうでもしなければあの攻撃ですべてが終わってしまう。————そんなことは絶対にさせない。

「早く逃げてください!……って!もういない」

 受け止める前に兵士に逃げるように勧告しようと思ったのだが、いつのまにか柱の裏から消えていた。危険を察知しすでに逃げ出したのだろう。それならそれで安心だ。自爆の巻き添えの心配はない。

「うおおおおおおおおっ!」

 叫びとともに僕の背丈を優に超す大きさに成長した球を両手で受け止める。魔女の力も総動員しているが、それでも球を受け止めた体はその重さに悲鳴を上げる。視界はチカチカと点滅し、体を支える両足は石畳にめりこんでいく。

 触れたことでようやくこの球の正体がわかった。この球はまるで毛糸玉だ。魔女の力が目に見えないほど細い魔力の糸で編み込まれ、絡み絡んで球のような形になっている。

 力で出来た糸一本一本は細すぎて発する音も小さく、魔女のおぞましい音の前ではカジノの中で楽器を奏でるようなものだ。聴こえるはずがない。

 僕の攻撃が吸収されたのは、攻撃が弾に当たった瞬間に編み込まれた力と力の隙間に巻き取られてしまっていたのだ。巻き取られて中身が増えればその分大きくもなる。当然のことだろう。

 原理が分かれば対策も取りようがある。絡まっているのならほどいてあげればいい。僕の力を球に少しづつ浸透させていけばなんとかできるかもしれない。

 繊細かつ時間のかかる作業だが、やらなければこのまま押しつぶされて僕が死ぬ。そして爆発によりこの部屋もただで済まないだろう。なら、やるしかない。

 球の重さに全身の骨が軋む中、針の穴を通すような繊細な作業。少しでも加減を間違えれば即死の緊張感に、全身から汗が噴き出してくる。終わりが見えない作業に、時間が無限にすら感じられる。

 そんな僕の頑張りを魔女が放っておくはずなく、

「頑張るじゃないか。なら、追加のプレゼントだ」

 魔女がいくつもの火の玉をこちらに飛ばす。しかし、これは僕を狙ったものではなく、狙いは僕が支えている球だ。

「ぐぅぅっ……!」

 火の玉が当たった衝撃に加え、一瞬遅れて火の玉を吸収した球が大きさと重さを増す。最悪のプレゼントをもらい、球を支えていた体が石畳を削りながら大きく後ろに押し込まれる。

 あまりの重さに腕だけでは支えきれず、体全体で球を何とか受け止めている状態だ。これ以上重さが増えようものなら支えている僕の体が折れてしまう。

 もう少し時間があればすべてを解ききれる。だが、魔女はもう次の攻撃を準備しているのが聴こえる。解ききるには時間が足りない。ここでこの球につぶされるくらいなら無理やり解いてしまおうか。失敗すれば死ぬが、うまくいけばこの球はなんとかできるはずだ。

 覚悟を決め、球にありったけの力を流そうとした瞬間、魔女の周囲で発射を待っていた攻撃の数々が消えた。それに加え、あろうことか魔女の視線がこちらから逸れて後ろを向いた。

 何が起きたのか確認するため祭壇の方へ耳を澄ませてみる。すると、驚くことに祭壇の上には音が三つあった。一つは魔女の音、一つは少女の音、そして————逃げたと思っていた兵士の音。

「くっ、いつの間にここに!?お前……逃げたんじゃなかったのか!?」

「いやー、お前があんまりあの少年にご執心だったもんで横から登ってきちまった。登ってきてみたら無防備な背中があるじゃないか、じゃあ攻撃するしかないよなぁ!」

 驚愕する魔女に、兵士はあっけらかんと言ってのける。

 僕も魔女と同じく、兵士は逃げたものだと思っていたのでまさか祭壇を横から登っているなんて思ってもみなかった。しかも聞く限りだと後ろから不意打ちまで決めたようだ。

 兵士の作った隙は、数秒だっただろう。だが、それだけあれば十分だった。最後の一押しに思いきり力を流し込む。球を形成していた黒い糸はほどけるように空気中に溶けて、中から手のひら大の小さな光の玉が出てきた。

 右手の上に浮かぶ光の玉からはその大きさからは考えられないほどのとてつもない力を感じる。あの球の中から出てきたということは、吸収された攻撃がすべて凝縮されたものではないのだろうか。僕のありったけと魔女の攻撃が混ざっているのならこれほどの力になっていてもおかしくはない。

 この光の玉を利用しない手はない。これならば魔女の防御すら破り致命傷を与える必殺の一撃になりうる。

 幸いなことに、魔女は不意打ちがよっぽど効いたのか祭壇から距離を取って上空を飛んでいる。今ならぶつけても祭壇への被害は少ない。

「不意打ちしたんだから、やり返されても文句はないよなっ!……逃げずに残ったことを後悔しろ!」

 不意打ちをされた魔女は完全に頭に血が上っている。あんな状態では祭壇のことなど気にせず、怒り任せに兵士を殺しにかかるだろう。

 表情には出してはいないようだが、兵士は相当体力を消耗している。呼吸は抑えているようだが、心臓の鼓動はごまかせない。階段ではなく祭壇の横のほとんど垂直の坂を上ってきたのなら仕方がないことだ。だが、あの体力では魔女の攻撃を避けるなど到底できない。迷えば兵士が死ぬ。迷っている時間はない。


「行っけええええええええ!!」


 右手を振りかぶり、魔女に向けて光の玉を投げつける。大きく振りかぶった勢いで、そのまま体は地面に転がった。

 光の玉は、夜空を駆け上がる一条の流星のごとく、一直線に光の軌跡を描いて魔女へ飛んでいく。

「なんだ?!」

 当たる寸前、魔女が自分に迫る光の玉に気が付いたが、その時にはもう防御も間に合わない。魔女が咄嗟に両腕で防御の体勢をとったところまでは見えたが、その姿は閃光に包まれ見えなくなった。

 一瞬、部屋中が光に包まれると、遅れてけたたましいほどの爆発音。

 空間が震え、爆風が部屋を駆け抜ける。

「ぐうっ」

 地面に転がっている体が爆風に揺らされる。

 顔を上げれば、空中は爆発によって引き起こされた黒煙で埋め尽くされている。魔女の姿も煙に隠れて見えないが、聴こえる音は確かに小さくはなったがまだ消えてはいない。魔女はまだ生きている。

 音では、大まかな方角は分かっても正確な位置までは分からない。目視であの煙の中を探すしかない。

 ————どこだ。どこにいる!

 集中しろ、必ずあの煙の中にいるはずだ。流れ、動き、煙の一挙一動を見逃さないように目を凝らせ。

 ————あそこだ!

 一か所、煙の流れる速度がおかしい。あの流れ方だと、魔女は落ちている。そしてその落下先にあるのは祭壇だ。

 まずい、祭壇の上にはまだ兵士が残されている。

「……危ない!逃げて!」

 逃げるように兵士に呼びかけるが、祭壇の頂上はいまだ煙の中だ。兵士に声が届いていたとしても、視界が悪く何が起きているかさえ把握できていないだろう。そんな状態で上から落ちてきた魔女と出くわせば、何もできず殺されてしまうかもしれない。

「くそっ!」

 足が動かない。黒い球を受け止めるのに力を使いすぎた。体が重く起き上がることさえできない。祭壇まで走れれば魔女が落ちる前に兵士を助けに行けるかもしれないのにそれすらもできないなんて。

 ————落ちる。煙の向こうで魔女が祭壇に。

 だが、魔女が落ちた音も兵士の断末魔も聞こえてはこなかった。その代わり

「うおっ、なんだ!?」

「ぐあっ」

「うおおおおおおおおおおっ!」

 なんとも奇妙な声だった。驚いた声とともに、どすっという鈍い音まで混ざっていた。煙の向こうでは何が起こっているんだ?

 だんだんと薄れていく煙を切り裂くように、それは出てきた。

 まず見えたのは両腕をなくした魔女の背中。それに抱かれるような体勢で兵士も飛び出してきた。魔女の背中は銀色に光る剣に貫かれ、兵士がそれをつかんでいる。

 煙の中で何がどうなったかはわからないが、兵士が魔女を貫いたのは間違いないだろう。

「おおおおおおおおおっ!」

 剣で魔女を貫いたまま、兵士の突進の勢いは止まることを知らない。このままの勢いで突進を続けると祭壇を飛び出してしまう。

「馬鹿っ!止まって!!」

 声を張り上げるが、僕の忠告は兵士には届いていない。突進の勢いそのままに貫いた魔女ごと空中に飛び出した。

「うわぁあああああ!」

「ああっ、もう!その剣、離してください!受け止めるんで!」

 今度は聞こえたのか、ぱっと剣から手を離した。

 別々に落下していく、兵士と魔女。

 落下する軌道上に水のクッションを作り、兵士は受け止めた。魔女の方は受け止める義理もない。落ちる勢いそのままに、祭壇の横に流れる水に吸い込まれて行った。

 魔女の音が沈んでいく。それにつれて音はどんどん小さく弱くなっていき、————そして魔女の音は聴こえなくなった。

 その後も気を抜かず、注意深く音を聴いてみても魔女の音が聴こえてくることはなかった。

「終わった……のか?」

 口に出した瞬間、張りつめていた糸が切れたように体から力が抜ける。

「生きてるか?少年。……ほら」

 水のクッションでびしょぬれになったままの兵士がそばまで駆け寄ってきていた。僕の正面に立つとこちらに手を伸ばした。起き上がるのに手を貸してくれるようだ。ありがたく借りて起き上がらせてもらう。

 兵士の手は濡れていてすこし気持ち悪かった。

「……魔女はどうなった?水に浸かっていてよく見えなかったんだが」

「あそこに落ちていきました。……傷も深かったですし、浮かんでも来ないので倒せたと思います」

 兵士の質問に魔女の落ちたところを指さして答える。魔女の落ちた地点は水の色が魔女の血で赤く染まっている。そのおかげで兵士もどこに落ちたかすぐに理解できたようだ。

「そうみたいだな。……すごいな、君は」

「えっ?」

「だってそうだろう!?国を挙げても倒せなかった魔女を倒したんだぞ!しかも、たった一人で!これが王都に知れれば、君は英雄だぞ!」

 兵士に肩をつかまれ、頭を揺らされながら力説された。

 言われてみればそうなるのか。少女を助けることしか頭になかったが、僕の時代で魔女を倒した兵士が魔女殺しの英雄と呼ばれたのなら、この時代で僕が魔女を倒してしまったということは僕がその英雄になってしまうのか。

 彼は知りようがないが、僕が英雄になるということは兵士が手に入れるはずの栄光を僕が奪ってしまったのに等しい。それは国一番の栄光であり、栄誉だっただろう。それを栄光にも栄誉にも興味がない僕が奪ってしまうのはとても心苦しいことだ。

「いえ、魔女を倒したのはあなたということにしといてください。実際、魔女にとどめを刺したのはあなたですし、僕はそんなものを手に入れるためにここに来たわけじゃないんです。あの子を助けに来ただけです。……僕にはそれだけで十分なんです。」

「……謙虚なものだな」

 ぽつりと兵士がつぶやいた。それは哀れみにも似た悲しい響きをしていた。

「そういうわけじゃないですけどね。……さあ、まだ終わってません。連れ去られた少女はあの祭壇の上です」

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