第22話

『がんばってね』

 そんな遠くに離れていく声が残響のように頭に響いた。

 ゆっくりと目を開くと、そこに広がっていたのは森だった。

「……どこだ、ここ?」

 誰もいない森の中、たった一人で地面から飛び出た木の根を枕にして眠っていたようだ。

 昼過ぎくらいの心地いい日差しに川のせせらぎ。緩やかな風が周りの木々や草花を揺らしている。昼寝には最適な気候だろう。

 寝起きだからか、まだ頭がぼーっとしていて記憶がはっきりしない。なんだか体は重いし、声が聞こえた気がするのに周囲に人の姿は見えない。それになんでこんなところで寝ていたのだろう。状況がつかめない。

 ちょうど真横にはきれいな川が流れていることだし、そこで顔でも洗えば寝起きの頭も少しは冴えるだろう。

 いまだ重い体を持ち上げて川の方へ顔を向ける。川の水を両手ですくい上げて、ジャバジャバと顔にかける。

 水が思いのほか冷たかったのが計算外だったが、そのおかげで呆けていた頭に血流が回ってきて目も覚めてきた。頭が動き始めると同時に、どうしてこんなところで寝ていたのかを思い出してしまった。

 過去に来たのだ。あの祭壇を使って、————少女の命を使って。

 思い出した瞬間、自己嫌悪と自責の念でつぶされそうになる。だが、そんなことは僕には許されない。

 一帯にバシャンと水の音が響き渡る。川に僕が顔から突っ込んだ音だ。それくらいしないと先に押しつぶされてしまうところだった。

 冷水で全身を濡らしたおかげで、沈みそうだった思考が引き締められた。

 僕には後悔する時間なんてない。早く少女を助けに行かなければいけない。でなければ、過去に来た意味がない。

 だが、本当にここは過去なのだろうか。てっきりそのまま過去のあの扉から祭壇に出るものだと思っていたのだが、こんな何もないところに出るなんて思っていなかった。

 周囲を見渡しても人の気配も音もしない。確かなことは、太陽が昇っているので日中だということくらいでここが魔女の森かどうかすら定かじゃない。

「はっ……くしょん」

 僕の間抜けなくしゃみで驚いた周囲の鳥たちがバサバサっと飛び立っていった。

 全身びしょびしょでは現在地を確認することすらできない。まずは服を乾かそう。


 寝ていた木の下で魔女の力を使って服を乾かしていると、遠くからドンッという爆発音が響いた。

 音の聞こえ方からして、距離はそれほど遠くない。こんな天気のいい日に自然とあんな大きな音が発生するようなことがあるとは思えない。となれば、人為的なものと考えるのが自然だ。服もちょうど乾いたところだし、誰か人がいるかもしれないので、様子を見に行ってみよう。

 乾いた服を着ると、すぐに音のした場所に走り出した。

 魔女の力のおかげで足場の悪い森の中でもおおよそ人とは思えない速度で駆け抜けた。だんだんと音のした場所に近づいていくにつれて、草や花の焦げた匂いが周囲に漂い始めた。

 人の鼓動の音がする。だいぶ弱っているようだ。どういう状況かはわからないが、このまま見て見ぬふりはできない。


「なんだこれ」

 服を着てから数分で爆発音のした場所に到着した。そこには目を疑いたくなるような光景があった。

 男性が一人、燃えていた。身を包んでいた鎧ごと燃やされたのか全身を黒く染め上げられている。体を燃やした炎は周囲の草花にも燃え移り、一帯を炎に包んでいる。このままではあの人も森もただでは済まない。そう考えた瞬間には体が動いていた。

 まずは魔女の力を使い、水を操って周囲の炎を消す。炎の勢いはそれほどでもなかったおかげですぐに消火することに成功した。

 次に黒焦げにされていた男性の方へ駆け寄る。男性は全身に大やけどを負っており、重傷なのは僕でも見て分かった。治療のために、倒れている人の体を起こし、邪魔な鎧を無理やり剥ぐ。すると、鎧の下から見覚えのある黄金の十字架が顔を出した。それを見て一瞬、手が止まる。この人はまさか————。

 ぶんぶんと頭を振って思考を切り替える。なんにせよ、この人を助けるのが先決だ。それに僕の考えていることが正しければ、この人はここで死んではいけない人だ。

 魔女の力というのは実に便利なもので、全身の大やけども時間はかかったがきちんと跡も残さず治療することができた。

 地面に寝かせた男の顔は、一度も会ったことはないはずなのに不思議なことに見覚えがあった。この顔に、首に着けた十字架、間違いないこの人は魔女殺しの英雄。いや、正確には僕のいた時代でそう呼ばれた兵士だ。その姿はカジノにあった黄金の像と瓜二つだった。


 この人がここで焼かれていたということは、今ここが少女が魔女に連れ去られたその日なのは間違いないだろう。あの手紙に書いてあることがそのまま今この場で起こっているんだ。

「うぅ、……ここは?」

 傷の治った兵士が目を覚ました。まだ意識がもうろうとしているようで、目がうつろだ。傷が治っているとはいえ、あれだけやられた後にこんなに早く目を覚ますなんて相当タフな人だ。

「気が付きましたか。あなた、魔女に襲われて重傷だったんですよ」

「……魔女?……そうだ、俺は魔女に襲われて……炎に包まれて、……そうだ!あの子は?」

 兵士は体を起こそうとするが、まだ満足に動かないのかうまく起き上がれない。だが、起き上がれないながらもこちらを見て少女の安否を尋ねてくる。

「僕が来た時にはもういませんでした。傷はちゃんと治ってるはずなので、起き上がれるようになったらそのまま街に戻ってください。その子は僕が助けるんで」

「ああ、そうか。ありがとう。……待て、傷を治したといったな、お前も魔女と同じ力を持っているのか?……そうなら、行かせるわけにはいかない。あの子をさらった理由は分からないが、そんな得体のしれない力を持った奴らにあの子を好きにさせるわけには……」

 木に持たれかかって無理やり起き上がらせた体でこちらをにらみつけている。だが、そこに迫力はない。まだ起き上がれるような状態ではないのだ。

 自分を治療した僕のことが怪しいのは分かるが、少女の願いにはこの人の生存も入っているんだ。だから、魔女に会わせることはできない。魔女と会わせないためにもなんとかして、ここでおとなしく街に帰ってもらいたい。

「安心してください。僕も、街の人に言われてあの子を助けに来たんです。……この力は魔女とは関係ありません。生まれつき持っていたものです。だから、あの子のことは安心して僕に任せてください」

 我ながらなかなかそれらしい嘘がつけたと思う。だが、それでも兵士は納得いっていない様子で

「俺はあの街に常駐しているが、あなたは見たことがない。それにあなたを信用する動機がない。信用できない人に任せることはできない」

 もっともな言い分ではあるのだが、ここまでストレートに信用できないといわれるのはさすがに心外だ。初対面なのだから、もう少し角の立たないオブラートに包んだ言い方ができないものだろうか。

「あなただけじゃ信用ならなくて旅人の僕にも声がかかったんですよ。案の定、魔女に丸焦げにされてたじゃないですか」

「あっ、あれは油断していただけだ。……ちょうど少女を見つけたときに不意打ちされたからな。魔女も俺のことが怖かったんだろう」

 小鹿のように体を震わせてよく言う。僕が来なくても死ぬことはなかったが、重傷だったんだぞ。

 あんまりごちゃごちゃいってくるので、さすがにちょっとイライラしてきた。

「じゃあ武勇伝もできたんでもう帰れますね。少女は僕が助けに行くんで街に帰ってどうぞ」

「なんでそうなる!あの子は俺が助けるから君の方こそ街に帰りなさい」

「それはできません。あの子を助けるって約束したんです。だから……僕が助けるんです」

 少女を助ける。そのために僕はこの時代に来たんだ。それに、この時代に僕に帰る場所なんてない。もう後戻りなんてできないんだ。

 僕の言葉を聞いて、なぜか兵士は目の色を変えた。

「わかった。少女を助けるのは君に任せよう。……ただし、俺もついていく。」

「……はぁ?」

「当たり前だろう。君のあの子を助けたいという気持ちはわかった。だが、俺はまだ君を信用しきれない。だから、監視のために俺も一緒に行く。もちろん、救出には手を貸すし、力は惜しまない」

 何を言っているんだろうこの人は。今の流れならどう考えても僕に任せてくれる流れじゃないのだろうか。どこをどう考えたらそういう結論になるのだろうか。

「だから……」

「俺の調子も戻ったことだし、急ごう。ぐずぐずしていると、あの子の命が危ない。魔女が行ったのはあっちだ」

 僕が文句を言う前に、歩き始めているし、ほんとなんなんだこの人。もうこっちの話を聞く気もないようだし、どうにか死なないように守るしかないようだ。生きている魔女の力がどれほどのものかわからないが、亡霊より大幅に強いということもないだろう。あれぐらいだったら、人一人守りながらでもなんとかなるはずだ。

「ちょっと!……僕を監視するんじゃないのか、あの人」

 ぼやきながら勝手に森の中を進む兵士を追いかけた。

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