第21話

「はあ、はあ、はあ」

 魔女の亡霊の姿がなくなった後も、すぐに動き出すことはできなかった。それは別に攻撃を食らった体が痛んだからじゃない。火の玉を何発も食らったはずなのに、体の傷はもうすでにすべて治癒している。これも魔女の力のなせる業だろう。

 魔女の亡霊の姿は見えなくなり、その音も聴こえなくなった。手紙の通りなら一時的に撃退できたということだろう。だがそれも一時的なものだ。魔女の亡霊は時間が経つと復活すると手紙に書いてあった。復活する前に急いで少女の体を助けないと。

「もう大丈夫ですよ。上まで来てください」

 下で柱に隠れているはずの少女に語りかける。

「……わかった」

 柱の陰から控えめな声が聞こえると、魔女によってボロボロにされた柱をすり抜けて少女がこちらに飛んでくる。もう危険はないというのに少女の表情は浮かない。やはり理由は分からないが体を取り返すのにためらいがあるようだ。


「……あの中に体があるんですね」

 祭壇の上には突き当りの壁に扉と少女の体が入っていると思われる苔に覆われたなにか以外何もなかった。少女の体の入ったなにかも気になるが、不思議なのは扉の方だ。

 扉は開いているのだが、その先は壁なのだ。面した壁がそのまま扉の中にまで続いている。なにか仕掛けがあるようにも見えないし、そうなるとそんなところに扉がある意味はない。まあ、気になるには気になるが少女の体を取り戻すのには関係のないことだろう。

 扉の方は置いておいて、苔に覆われたなにかの前まで行く。生い茂った苔のせいでその奥にいる少女の体がどうなっているかは見えない。なんとなく奥が光っている感じがするくらいだ。少女の体の状態も見たいので、邪魔な苔は燃やしてしまおうか。

 苔を燃やすために右手で火の玉を出した瞬間、少女が血相を変えて僕の右手をつかんだ。

「やめて!」

 右腕にしがみつくようにつかむ少女に出していた火の玉を消す。距離が近すぎてこのまま持っていると少女まで焼いてしまいかねない。

「お願い、……アレを壊さないで。アレが傷ついたら私、————死んじゃう」

「べ、べつに壊そうとしたわけじゃ……」

 あまりに必死な顔で言われるので思わずたじろいでしまう。自分の命がかかっているから必死になるのは分かるのだが、それにしてもあまりに必死すぎる気がする。そんなに必死にならなくても今の僕なら、魔女の力があれば何か起きてもどうにかできるのに。

 それに壊したら少女の命が危ないのならどうやって少女を助け出せばいいのだろう?これの開き方を僕は知らない。

「これどうやって開けるんですか?」

 ようやく腕から離れた少女に正直に聞いてみた。

 少女なら知っていると思ったのだが、すぐには返事が返ってこなかった。少女の方に視線を送るがうつむいてしまっていて表情は見えなかった。

「開かないよ、それ」

「……えっ?」

「開かないの。————ねぇ、私の最後のお願い聞いてくれる?」

 衝撃の告白に、あっけにとられた僕は少女の問いに返答できなかった。だが、少女は無言を同意と受け取ったのか、そのまま言葉をつづけた。

「君はここがなんなのか知らないよね。英雄さんの手紙にも書いてなかったし。ここはね、時を超えるための祭壇なの。人の命を使って過去や未来に飛ぶための祭壇。その生贄が私」

 少女の言葉に絶句した。

 時間を超える?こんなものでそんなことができるものなのか?そのための生贄なんて、そんなことのために少女は魔女に……。

 魔女への怒りで体震えていた。

「英雄さんの手紙にあったみたいに、私の体は魔女が死んでもここでずっと眠ってた。あの中にいれば死にはしないから。けど、死なないだけ。……ただ生かされてるだけの体はどんどん衰弱して、今じゃほら」

 その瞬間、少女の体が一瞬透けた。ほんの一瞬だったが確かに少女の体の奥の石の壁が見えた。それは体を飛び出して幽霊となった精神を維持できないほどに、体が衰弱してきているということなのだろう。

「それでも!今の僕なら助けられます!魔女の力があれば、それくらい……なんとかできるはずです!」

 少女の体のあるところへ、駆け足で向かう。苔で隠れている少女の体を探すように、周辺の苔を手当たり次第に手で拭ってどけていく。

 苔の向こうは大きなひびが一本入ったガラスで、中は液体で満たされている。少女の体はそこに浮かんでいた。————ここで見るのをやめておけばよかった。


 液体に浮かぶ少女の体は、人間のものとは思えないほどやせ細っていた。余分な肉はなく、ほとんど骨についているだけで、おおよそ生きているとは思えないほどだ。この様子では筋肉も衰えてしまっていて、外に出てしまえば動くこともままならないだろう。

 少女の体を見た瞬間、膝の力が抜け腰から地面に崩れ落ちた。

 見た瞬間に、分かってしまったのだ。この肉体の状態では、魔女の力を使っても助けられない。仮に助けられたとしても、————長くはもたない。

「ねぇ、わかったでしょ。私の体はもう長くはない。その中で生かされるのももう限界、いつ死んでもおかしくないの」

「そんな……、じゃあ、僕は何のためにここまで来たんですか!?……何のために!僕たちは旅をしてきたんですか?!」

 力の入らない下半身を引きづって少女に縋りついた。

 僕はこんな少女の姿を見るために村から遠く離れた魔女の森まで旅をしてきたわけじゃない。少女を救えず、少女の最後を看取るなんて、これが僕たちの旅の果てなんて到底受け入れられない。

「言ったでしょ、ここの祭壇は時を超えるためのものだって。君への最後のお願いはね、————この祭壇を使ってあの日の私を助けてほしいの」

「……えっ?」

 脳が理解を拒否した。言葉の意味はわかるが、言ってることがわからない。わかりたくない。わかりたくなどなかった。

「これを使えば私が魔女に捕まる前に行ける。今の君なら生きている魔女から私を助け出せる。そうなればお父さんも英雄さんも死なずに、私のために傷ついた人が傷つかずに済む。すべてをなかったことにできるの。————そのために、私の命を使ってほしいの」

 僕をじっと見つめる少女の目には覚悟があった。それで自分が死ぬことになるとわかっていても、やり遂げるという覚悟が。だが、その願いを素直に受け入れることなんてできなかった。だって、その願いは

「————僕にあなたを殺せっていうんですか!そんな、そんなこと……」

 その願いをかなえるということは少女をこの手で殺すということにほかならない。そんなこと、僕にはできない。できるわけがなかった。

「でも、私は何もしなくてこのままじゃ死ぬ。そうなったらもう過去を変えるチャンスはなくなっちゃうんだよ!勝手なこと言ってるのもわかってる。けど、今ならすべてを変えられる。こんな消えかけの命でも変えられるんだよ。ならやるしかないじゃない!私だって死にたくない。……死にたくないよ」

 涙ながらに言った『死にたくない』という嘆き、それが少女の偽らざる本音。

 少女だって死が怖いのだ。そんなこと当たり前だ。僕が同じことになっても同じだろう。そのうえで自分の命使って過去に行けと言っているのだ。なんて覚悟だろう。けど、それを受け入れられるかは話が違う。

「……なら、一緒に残りの時間で旅をしましょう。こんな場所のことなんて忘れて、行けるところまで行ってみましょうよ。……僕が過去に行ったところで、助けられるとは限らないじゃないですか。そうなるより……」

「大丈夫だよ、君なら。きっと私を助けてくれる。わかるんだ、私には」

 少女は涙を流しながら力強い言葉で断言して見せた。

 僕の言ったことが悪あがきなのはわかっている。いまさら何を言っても少女の決意は変えられない。それもわかっている。それでも言わずにはいられなかった。まさかこんな反撃にあうとは思ってもみなかった。そんな風に断言されてしまえばもう僕から言えることなんてないじゃないか。

「……わかり、ました」

 言葉とは裏腹に涙が止まらなかった。事態は受け入れられたが、それでもまだ覚悟が出来ていないのだ。少女の命を使う覚悟が。少女もそれを察したのか、

「……ごめんなさい。こんなつらいことに巻き込んで。けど、私は君に託せてよかったと思ってるの。あの日、初めて会った時に、感じたんだよ。こう、びびっと。まるで……そう、“運命”」

「……ふふっ」

 少女の励ましているのか謝っているのかよくわからない言葉に思わず笑ってしまった。それは言っている内容のせいではなく、あの時、僕たちが出会ったあの場所で、少女も僕と同じことを感じていたかと思うとなぜか笑いがこみあげてきてしまった。

「えっ?どうしたの?私何か変なことを言った?あー、うん……言ってた、ね、けどそんなに笑うことないじゃない!」

「いや、そういうことじゃなくて……」

「じゃあどういうことなの?」

 少女が顔を赤くして詰め寄ってくる。

 そりゃ、笑われたら恥ずかしくもなる。僕も同じことがさっきあったからよく知っている。集落で男に同じようなことを僕が言ったときもこんな顔をしていたのだろうか。

「……あの時、僕と同じこと思ってたんだなって」

 僕の言葉を聞いた少女は今度は耳の先まで赤くして黙ってそっぽを向いてしまった。

 気が付いたら重苦しかった空気がいつもの空気に戻っていた。そのせいで自然と口に出てしまったが、僕も結構恥ずかしいことを言ってしまったのではないのだろうか。

「あっ、えっと、そういうことじゃなくて、……いや、そういうことなんですけど、違うくて……」

 恥ずかしくなってきて急いで言い直そうとするが、言ったこと自体は間違っていないので言い直そうにもうまくできず、何が言いたいのかよくわからない感じになってしまった。

「ふふっ、……大丈夫、分かってるから。でも……そっか、そうなんだ」

 背中越しなせいで、最後の方が聞き取れなかったがきちんと言いたいことは分かってくれたらしい。

 この祭壇を使ってしまえば、こんな馬鹿らしい会話もできなくなってしまうと思うと悲しい。

「……やっぱり君でよかった。……君にしか頼めないよ。お願い、————私を使って、私を助けて」

「ずるいですよ。……ほんとにずるい」

 振り向いた少女は大きな瞳に涙をため、振り絞るような笑顔でこちらを見ていた。こういうタイミングでそうやって言うのは本当にずるい。

「……僕からも最後のお願い、いいですか?」

「いいよ。私にできることなら」

「笑ってください。……最後の時くらい涙じゃなくて笑顔で別れたいんです」

 少女が虚を突かれたように驚く、でもすぐに

「わかった。……頑張ってみる」

 ひきつった笑顔で答えてくれた。本当に大丈夫か不安だが、泣きながらの別れはしたくなかった。昔、母さんに教わったように笑顔で別れたい。僕も泣かないようにしないといけない。

「お願いします。……で、どうやって使うんですか?ここ」

 見渡してもなにか装置を起動させるようなものはない。不思議な扉を開いたり閉じたりしてみても何も起こらないし、下を見てみても祭壇を制御するための装置らしきものは見当たらない。

「ほんとは制御する端末があって、それで動かすらしいけど、今は装置と私の体がリンクしてるから別になくても私の意思で動かせるよ。起動すればそこの扉から過去に行けるの。すぐにでも起動できるから準備ができたら言って」

 少女は横にある扉を指さしながら言った。簡単に説明もしてくれたが、正直理解はできていない。でも、とりあえずあの扉が入り口になっているということだけは分かった。

 装置の準備は済んでいるそうなので、あとは僕の準備次第だ。準備といっても荷物はあの集落に置いてきてしまったので、心の準備だけなのだが。

「この扉を超えたらこっちには戻ってこられるんですか?」

「わかんない。でも、過去を変えるってことは、あの日から今日につながらなくなるってことだから、帰っては来られないと思う。それこそもう一回ここを使ったりでもしない限り」

 聞いては見たものの、正直帰ってこられる期待なんてしていなかった。質問の答えだってなんとなくわかっていたのでただ確認したかっただけ。戻ってくるためにここを使うとなれば、それこそまた少女のような犠牲を出さなくてはいけなくなる。それだけは絶対に許せなかった。

「となると、僕たちも出会わなくなっちゃうんですよね」

 過去が変われば、少女は幽霊にならない。僕との出会いは体を取り戻すための旅だったのだから、必然的に僕と少女は出会わなくなってしまう。少女のお父さんや英雄は死ななくなるが、僕らの出会いもなくなる。僕にとってはそれは悲しくて辛いことだった。

「きっと出会えるよ。だって、“運命”なんだから」

「そうですね」

 少女とは思えないくさいセリフだったが、驚くほどしっくりきた。

 過去が変わっても、きっと過去の僕たちは違う形で出会う。そして僕たちとはまた違う旅をする。それはどんなものになるのか、僕には想像もできないが、それでもきっと少女の言うように僕らは出会うのだろう。だって“運命”なんだから。

 そう考えたら、ふっと気持ちが軽くなった。ようやく心の準備ができたみたいだ。

 軽くなった体で扉の前へ向かう。歩いている途中、ふいに足元でカランと乾いた金属音がした。

 不思議に思い反射的に足元を確認する。それを見つけた瞬間、驚きと少しの動悸がした。完全にこれのことを忘れてしまっていた。

 落としてしまったものを両手で大事に拾い上げる。

 あぁ、約束守れなくなっちゃったな。手に取った鍵をみて思う。手のひらにすっぽりと収まるほど小さいのにずっしりと重みを感じる。実際の重さはほとんどないのだが、それを渡されたときの思いが重くのしかかっている。紐を通して首からかけていたのが、魔女の攻撃で紐が焼けて切れてしまったようだ。

 過去に行けば、叔父さんとの約束は守れなくなってしまう。だが、それでも、叔父さんとの約束を破ることになってしまっても、僕は行く。もう決めたから。

 手に持ったカギを優しくポケットにしまう。約束は守れなくてもこの鍵が大事なものなのには変わりはない。

 扉の前で大きく深呼吸をする。

「……準備できたみたいだね」

「はい!お願いします!」

 気合を入れた返事で答える。

 その瞬間、少女の体と僕たちの立っている祭壇が鈍く光り始める。光は祭壇の下から上に流れていき、扉の方へ収束していく。収束した光は扉を中心から塗りつぶしていき、そのうち扉の中は光で満たされた。

「これで過去に行けるよ」

 扉の中が光で埋め尽くされると同時に少女に声をかけられた。扉の向こうは光が強すぎて、何も見えない。見つめているだけでも目が痛くなるような光が満ちていた。————この先に進めばもう後戻りはできない。

「じゃあ、……行ってきます」

「……待って!」

 扉の方へ一歩踏み出そうとした瞬間、後ろから抱きつかれた。

「……最後だから、ほんとに最後だから、すこしだけこうさせて」

 少女の体はふるえていた。僕がこの扉をくぐれば少女は死ぬ。これが少女にとっては本当に最後の時間。

「僕、頑張ってきますから、……ちゃんと助けられるように、頑張りますから」

 励まそうとするが、そんなあやふやな言葉しか出てこなかった。頭を最大限使って言葉をひねり出そうとしたが、涙をこぼさないように天井を見上げるのに精いっぱいだった。

「ありがとう。……過去の私をよろしくね」

 そう言った少女は僕の背中を押して、扉の方へ押し込んだ。

 急に押されたせいで体が扉の方へよろめく。扉に吸い込まれていく体をなんとか反転させ少女の方を振り向く。

 振り向いた先には、あの時と同じ、いやそれ以上の笑顔を浮かべた少女がいた。

「————、———————」

 笑顔の少女は最後に言っているようだった。だが、それが僕の耳に届く前に僕の体は扉の光に包まれ、真っ白な光とともに消えていった。

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